「Plastic Hold」その@


「‥‥やっぱりヤるんすか?」
「するか!」
「じゃあ殺されるのね! ああっ、美女の命は花のようだって言うけど、本当なのね」
「殺したら人質の意味無いだろうが」
「じゃあ、やっぱりヤるんすか?」
「ええい! やかましい!」
 男はそう怒鳴ると、私の口に食パンを詰め込んだ。
「むぐぐぐぐぐっ!」
「‥‥隣の人にバレたら困るんだよ。黙らないと、本気で食っちまうぞ」
「‥‥はむも?(パンを?)」
「食ってから言え!」
 男は私の頭を乱暴にグリグリと撫でると、私に背を向けて座り、テレビのリモコンを手にした。彼の言葉を聞いて私は押し黙り、口の中に詰め込まれた食パンをゆっくりと飲み込み始める。
 彼なんか大して恐くないのだが、何分こちらは身動きがとれない。それに、彼には拳銃という物騒な物がある。今、騒ぐのはどう考えてもいい事ではないだろう。
「‥‥」
 窓を眺める。外はいい天気だ。こんな日は洗濯物なんかすぐに乾いてしまうだろう。そう言えば、昨日脱いだ靴下、洗濯機の中に入れたままだ。一日経つとひどい匂いになってしまう。ああっ、洗濯したい。
 とまあ、色々と考えるが、今は何も出来ない。なにせ、今の私は人質だからだ。
 私の名前は神楽千里。今年から大学生になり、一人暮らしを始めたごく普通の女の子。朝は必ずコーンフレークな、ごく普通の女の子。味噌汁の具は豆腐じゃないとブチ切れる、ごく普通の女の子。髪の毛はセミロングで、色はちょっと茶色の入った黒。自慢は目がいい事と胸が大きい事。両目とも視力二.0。アメリカとかにいる牛みたいなおっぱい女程ではないけれど、日本人にはしては大きめな胸。これを揺らして街を闊歩(かっぽ)すると、とってもいい気分になれる。
 ここはそんな私の家だ。六畳一間の小さなアパートの一室。さっきも言ったが、私は一人暮らしだ。なのだが、何故だか今は男の人がいる。別に同棲してるわけではない。というか彼氏いないし。
 この男の人は今日、目が覚めたら家の中にいた。目覚めた時にはもう、私の両手は後ろに回されて手錠がかけられていた。しかも、パジャマ姿な上、ノーブラ、ノーパンのまま。私がまだ情況を把握していなく、眠気眼で男を見た時、男は私にこう言った。
「今、近所で俺の仲間が銀行強盗をして、銀行に立てこもってる。お前は、警察と交渉する為の人質だ。分かったな」


「今朝十時半。○○県○○市にある○○銀行に拳銃を所持した強盗が数人押し入りました。銀行員達は全員逃げ出しましたが、強盗団の一人から先程警察に電話があり、他の場所で仲間が人質をとっている、と伝えてきました。警察は現在、その人質の有無や真偽など調べるとともに、強盗との交渉を続けています。以上、現場からお伝えしました」
 今の時間はちょうど正午。さっきから、ニュースはこの事件の事ばかりやっている。銀行はこの近くだから、そこに行けばきっと、たくさんの野次馬とかがいるのだろう。しかし、私は行けない。さっき言ったけど。私は人質だからだ。
 勝手に部屋に入ってきた男は覆面も何もつけてなく、素顔だった。格好は白いTシャツに色褪せたジーパンという、何とも特徴の無い格好。まあ、印象を薄くする為にこんな服を着ているのだろう。
 顔は意外と格好良い。全体的に細身で、今風のすらりとした顔立ち、茶色の髪の毛も似合っている。しかし、会った時からずっと気難しそうな顔をしている。まあ、情況が情況だから仕方ないだろう。年は私より二つか三つ上といった所だろうか。
 普通に出会ったならば、きっと私は彼に恋の一つでもしただろう。しかし、今は無理だ。彼は強盗で、私は人質。これから一体どうなるのかさっぱり分からない。まあ、人質というのは生きてこそ価値があるのだから、殺されはしないと思うのだが。
「ねえねえ」
「‥‥何だよ」
「どのくらい、こうしていればいいの?」
 お腹も空いたし、トイレにも行きたい。何より、大学に行かなくてはいけない。親に何回も頭を下げて認めてもらった私立大学だ。ちゃんと四年で出ないとまずい。
 私は努めて大人しい口調で男に訊ねる。すると男はブスッとして表情で振り向く。
「一日だ」
「一日!? 丸々一日? 絶対に漏れちゃうって!」
「何が?」
「おしっこ」
 私が何の恥ずかしげもなく言うと、男は眉間に手を当てて、やれやれ、と言った感じの顔をする。
「家の中だったら、少しは自由を認める」
「ご飯は?」
「冷蔵庫にあるモン、食わせてやるよ」
「お風呂は?」
「ダメ」
「お化粧は?」
「する必要無いだろ?」
「何言ってるの、あんた! 乙女のお肌は毎日のお手入れで出来るものなのよ! せめて、乳液くらい‥‥」
「じゃかましい! お前な、今の情況分かって言ってるのか? お前は人質。そして、俺は強盗なんだ。非常事態なんだ。黙ってろ」
 男は辛抱たまらんと言った感じで大口を開けて怒鳴ると、手に持った拳銃を私の目の前に突き出す。それを見て、私はうううっと後退りしてしまう。本物なのか偽物なのか分からないが、もしも本物だったら、私の頭に風穴がぽっかり、という場合も考えられる。本当に開いたら、考えられないけど。
 とにかく、あれを持ってこられると、悔しいが何も言い返せない。
「‥‥」
 テレビでは依然、例のニュースがリアルタイムで放送され続けている。警察が人質を探していると言っているが、ここに警察が来ていないという事は事態はまったく進んでいないという事だ。
 どうしてこんな事になったのか考えてみる。第一に、どうしてこの男が私の部屋に入れたか、という事。答えは簡単だ。私が昨日の夜、バイトから帰ってきて鍵を掛けずに寝てしまったからだ。私は大雑把な性格からなのか、よく鍵を掛けるのを忘れたりしてしまう。
でも、今まで一度だって泥棒に入られた事なんて無かったし、別に気にとめてもいなかった。というか、その鍵すらもどっかに置き忘れてしまう事もしばしばなくらいだったし。今日初めて、それを後悔した。
 第二。どうして私なのか。それは全然分からない。私は人質になりやすそうな顔をしていたのだろうか。‥‥どんな顔だよ、それ。
 いくら考えも納得のいく答えが出ない。分からなければ、当の本人に聞くのが一番早い。
「ねえねえ」
「‥‥今度は何だよ?」
「どうして、私を選んだの?」
 男はズボンのポケットから煙草を取り出し、火をつけ、ゆっくりとした仕草で煙を吐き出す。呆れているような顔をしている。
「鍵が開いてた部屋、ここだけだったから」
「あっ、納得」
 なんとまあ、説得力のある答えだ。やっぱり本人の語る事は違うね。って事は偶然私になったという事か? うーむ、つくづく自分の性格を呪いたくなる。
「お前さあ‥‥」
 男が小首を傾げながら、私に訊ねる。
「んっ? 何?」
「‥‥緊張感とか、無いの? 仮にもって仮じゃないけど、お前人質なんだぜ。テレビを散々賑わせてる事件の関係者なんだぜ? もっとこう、怯えろよ」
「怯えろって言われても‥‥。別に乱暴されたわけでもないし。第一、あんたの顔、全然恐くないんだもん」
「‥‥」                                 
 男は煙草の煙をボワッと吐き出して、頭をポリポリとかいた。
 実際そうなのだ。私は事件の関係者だけど、事件の場所とは別の場所にいるし、目の前の男も全然恐そうな顔をしていない。まあ、手に持ってる拳銃は恐いけど、ここで撃ったら男の計画は多分台無しになるはずだ。早々撃つはずがない。そんな余裕と、元々物事を深く考えない性格が災いして、今、全然緊張感のようなものは無い。
「‥‥まあ、ヘタに暴れられるよりマシか」
 男は煙草を持ってきた携帯灰皿にしまうと、私に少しだけ笑顔を見せた。
「あんただって、緊張感無いじゃない」
「ここにいる限り、俺もとりあえずは無事だしな」
 男はゆっくりと立ち上がり、冷蔵庫を勝手に開けて中を捜索しだす。私の緊張感の無さがあいつにも感染したらしい。とは言っても、電話を取って警察に連絡する事なんか出来ないけど。
「‥‥ロクなもん入ってねぇな。納豆とチーズと‥‥缶詰くらいか?」
「うっさいわね。今日、学校の帰りに買いだめしておこうと思ったのよ。あんたがもう一日遅く来てれば、もっといいモン入ってたわ」
「んな気のきいた事出来るか」
 男は冷蔵庫の中からいくつかの缶詰を取り出した。鯖と牛肉の缶詰だ。あれは非常用にとっておいたやつだ。あれを食べられたら、地震が起きた時に生き残れない。私は慌てて
男に声をかける。
「それはダメ! それは非常用だから。地震が起きた時に食べるやつなの」
「今がその非常事態だろうが。って地震でもし天井が落ちてきて冷蔵庫が潰れたら意味ねえぞ」
「‥‥あっ、そうか」
 そう言われて、私は思わず首肯いてしまう。そう言われればそうだ。非常用というのは冷蔵庫の中に入れておくべきではない。また一つ知恵を身につけてしまった。って、そんな事考える場合ではない。
 男は私の目の前に再び腰を降ろすと、容赦なく缶詰を開けてしまう。しかも、私の好物の鯖缶の方からだ。
「わたしにも頂戴。あーん」
「‥‥」
 こんな知りもしない奴に鯖缶を食われてなるものか、と私は必死に彼の前で大口を開ける。男は大きくため息をついて、私の口に手掴みで鯖の身をほおり込んだ。
 鯖のジューシーな甘みと独特の歯応えが口の中に広がる。そう言えば、今日は起きてから何も食べていない。別にダイエットなんてする気は無いので、私は更に大口を開ける。
主人のエサを待ってる池の鯉か何かになった気分だ。
「私、朝から何も食べてないのよ。牛肉の方はあげるから、せめて鯖の方は頂戴。全部」
「全部かよ‥‥。まっ、いいか。ほらよ」
 そう言って、男は一切れずつ鯖を私の口に運んでいく。意外といい男だ、私が食べおわって口を開けるまで、ちゃんと待ってくれる。私は男のその行為に思いっきり甘えながら、ささやかな朝食をすませた。


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