「Plastic Hold」  そのA


「‥‥名前、何て言うの?」
「そんなの教えるか」
「何で? どうせ、今日限りの関係なんだからいいじゃない」
「お前が警察に行って、俺の名前喋っちまったら、逃げ切れないだろうが」
「‥‥じゃあ、何でこんな事するの?」
「‥‥」
 テレビでは相変わらずの映像が流され続けている。窓の天気も相変わらず洗濯物日和りだ。私は手錠を掛けられたまま、布団の上に寝転がり、男に話し掛ける。男は拳銃は持っているものの、私の隣に腰を降ろして、テレビを眺めている。テレビの中の雰囲気とはあまりにもかけ離れた、おっとりとした雰囲気だった。
 男は私の方をチラリと見ると、私の頭をグリグリと撫でる。
「お前‥‥今の人生に退屈してないか?」
「えっ?」
「俺はな、人生に退屈しちまったんだ。俺も半年くらい前まではお前と同じ、大学生だった。でも、飽きちまったんだ。ただ勉強して、出会った女と普通の恋して、就職するっつう人生にな」
「だから、こんな事を?」
「‥‥そう」
「ふうん」
「‥‥余計な事、言っちまったな」
 男は自虐的に笑うと、私の頭から手を離した。
 私は何だか拍子抜けた気分だった。もっと深刻な理由でやっていると思っていた。借金だとか、大金持ちになりたいとか、そんな理由だと思っていた。‥‥大金持ちになりたいなんて理由が深刻かどうかは疑問だが、この人の理由はもっと抽象的だ。
「刺激が欲しかったんだ。あんた」
「‥‥そんなとこだな。もっとも、その刺激の為に人を殺す気なんて無いけど」
「じゃあ、私は殺されないんだ?」
「当たり前だ。俺の仲間が逃げ出す準備が出来ればすぐに消えるよ、俺は」
「‥‥」
 消えるよ、と言われて何故だか少し切なくなる。何だか、自殺する人を見ているみたいだ。別に彼は自殺する気なんて毛頭無いのだろうけど、悟っているような雰囲気がある。ちょっと格好良い、かな。
 それに、彼の生き様も格好良い。私はそんな大胆な事は出来ない。大学だって、苦労して入ったはいいけれど、何かしたかったわけでもない。んじゃ、何で入ったのか? って言われるけど、それはやる事が無かったからだ。大学に行けば、とりあえず四年間は急ぐ必要が無い。理由は‥‥それくらいだ。
 それに比べて、彼は潔い。つまらないと言ってさっと決別して、別の人生を歩んでいる。そんな彼が、少し羨ましく思えた。
 その時だった。室内に機械音が響いた。携帯電話の音だ。私のではない。私は彼の顔を見る。彼はさっきまでの緩やかな顔ではなく、キリッとした顔になっていた。
 彼は素早くポケットから電話を取ると、受話器部分に口を当てる。
「‥‥俺だ。‥‥何? ‥‥そうか、分かった。一言喋らせるだけでいいんだな。‥‥ああっ、分かってる」
 彼は逆立った刺のようなピリピリとした雰囲気を醸し出しながら、私の方を見る。そして、私の口元に電話を寄せる。
「警察が人質を出せと言っている。信用出来ないんだろうな。何でもいい、適当に喋れ」
 彼はそう言う。私は突然ふられて何を言えばいいのか分からなくなってしまう。電話の向こうからは何の声も聞こえない。でもきっと、向こうには警察の人が何人もいて、耳をすませているのだろう。
「‥‥えー、私は元気です。今、目の前に強盗の仲間がいます。でも、何も痛い事はされてません。本当です」
 そこまで言うと、彼は私から電話を遠ざけ、電源を切ってしまう。彼は私の方を見ず、黙って電話を見つめている。一瞬、張り詰めた空気が流れた。
「‥‥」
 私は彼をかばうような言い方をした。彼の性別も言わなかったし、助けを呼ぼうともしなかった。何故、そんな事を言ってしまったのかはよく分からない。ただ、私は彼が悪人には見えなかったし、この情況をそんなに嫌だとも思っていなかった。
「‥‥よかった? あれで」
 私がそう訊ねると、彼はハッと我に返ったように顔を上げ、私を見下ろす。
「あっ、ああっ。良かったと思うぞ。俺の性別も言わなかったし、ここがどこかも言わなかった。上出来だ」
「へへっ、あんがと」
「‥‥これで警察も信用したと思うから、しばらくは手が出せないはずだ。その間に、あいつらが逃げ出す準備が出来れば、一番いい結末を迎える事が出来る」
「‥‥結末?」
 私が訊ねると、彼はようやくさっきまでの落ち着いた表情になる。いや、さっきよりも
幾分明るい表情になっていた。
「銀行の金をくすねて、みんなで逃げだす。警察は追ってこれない。そうすれば、俺達はあっと言う間に大金持ちさ」
「やっぱりお金なのね‥‥」
 呆れた風にそう言うと、彼は顔をグッと私の眼前に寄せ、不敵に笑ってみせた。
「‥‥あるに越した事は無いだろ?」


 彼の言った通り、警察はいつまでも銀行の中に入れないでいた。それはそうだ。入ったら人質の命は無い。人質の存在はさっきの電話で明らかになった。入れるわけがない。というか、入ったら私が困ってしまう。
 窓の外はうっすら日が暮れかけている。時間が経つのが早く感じる。別段、何かしていたわけではないのだが(人質にはなっていたが)、やたらと早く過ぎていった気がする。
 今さっき、また彼の携帯が鳴った。また警察か、と私は思ったがどうやら彼の仲間かららしく、私は出なかった。
 電話を切ると、彼はおもむろに立ち上がった。そして、私にこう言った。
「もうそろそろ、逃げる準備が出来る。あと一時間程度だ。待ち合わせの場所に行かなくちゃいけない。ここに手錠の鍵を置いていく。俺はもう行くから、後は自分でやってくれ」
 突然別れを告げられ、私は慌てて彼を引き止めようと、芋虫みたいに床を這って、彼のズボンに噛み付く。
「ひょほはっへほ!」
「噛んだまま言うな」
 彼は私の頭をポンポンと優しく叩く。私は口を離して声を荒げる。
「ちょっと待ってよ。このままにして行く気? 無責任よ。ちゃんと鍵外してから行きなさいよ!」
「今外したらお前、逃げるかもしれないだろ? こんなところで計画を台無しにするわけにはいかない。大人しく、俺が出ていってから藻掻いてくれ」
 そこまで言うと、彼は私に背を向けて出ていこうとしてしまう。私は再び彼のズボンに噛み付き、必死に彼を引き止めようとする。
 何で彼を止めようとしているのか、よく分からなかった。でも、あまりにも呆気ない別れは嫌だったし、ここで彼と別れてしまえばきっともう二度と会えない。それは、絶対に納得出来なかった。ここでこうすれば、ひょっとしたら私の人生は大きく変わるかもしれない。そんな、漠然とした期待のようなものが心の中で膨らんでいた。
「むむむむむむっ!」
「ええい! 離さんか!」
「むむむむむむむむむむむむむむっ!」
 私は彼が羨ましかった。つまらない人生を投げ捨てて、スリルと興奮に溢れた世界に行ってしまった彼が。私も行きたい。今の人生になんか全然満足していない。彼と行けば、きっと私の人生は変わる。劇的に、そして誰も体験出来ないような経験が出来る。私は、そんな事がしたい。
「ぷはっ! ねえねえねえ! お願い、私も連れていってよ!」
「はあ? 何言ってるんだ? お前。頭おかしくなったんじゃねえのか?」
「おかしくなんかなってない! ねえ、あんたのお仲間に女っているの?」
「‥‥いないけど」
「それじゃあ、逃亡中って色々と大変じゃない? ほらほら、風俗とか行ったら、入り口の所にウォンテッドとか言ってあんたの顔写真が張り出されてるかもしれないじゃない?」
「ウォンテッドってのは無いと思うけど、まあ、行きづらくはなるわな」
「でしょでしょ? 私って自慢じゃないけど、結構体には自信があるのよ。いつも隣にうら若き乙女がいると何かと便利よ。どう?」
 何だか凄い事を言ってるな、と思う。つまり、いつでもエッチしていいのよ、と言っているのだ、私は。経験なんかロクに無い(一応ある)。でも、彼なら構わない。お仲間と一緒にプレイ! となると結構きついかもしれないが、んな事はその時になってから考えればいい。
 とにかく、今は絶対に彼をこの部屋から出してはいけない。私は必死に身をよじって自分の体をアピールする。衿元を懸命に開ける。すると、ちらりとだが胸が顔を出す。彼の目がそこに注がれる。ノーブラ、ノーパンがこんな風に役に立つとは思ってもみなかった。
 彼は壁にかけられた時計に目をやると、小さくため息をついて私の前に腰を降ろした。
私はチャンスと思い、尺取虫よろしく、腰をねじって彼の太股に顔を乗せる。
「ほれほれ、見せてみ。舐めちゃる、舐めちゃる。ほれほれ」
「‥‥いいのか、本当に」
「へっ?」
 真剣な彼の眼差しに、私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。彼は私の肩に手を当てて、ゆっくりと語りだす。
「俺についてくれば、もう二度と安定した生活は送れないぞ。バイトして、カラオケ行って、大学行って、そして就職。そんな事、絶対に出来ないぞ。それでいいのか? その覚悟があるなら、ついてこい。ついてくるなら、俺は絶対にお前は裏切らない」
「‥‥」
 彼は一言一言を言い聞かせるように言う。きっと彼は私に諦めさせようとしているのだろう。こんな事は危険な事だから、中途半端な気持ちでなるんじゃない、と言っているのだ。しかし、私の耳には最後の一言しか残っていなかった。
 ついてくるなら、俺は絶対にお前を裏切らない。
 こんな事を言われたのは生まれて初めてだ。今まで、友達という存在は何人もいた。その中には絶対に信頼出来る友人もいた。でも、こんな事は一度も言われた事は無かった。
誰も言えないのだ、絶対に裏切らない、なんて。でも、この人は言った。堂々と正面切って言ってのけた。この人とならどこまでもついていきたい。
「行くわ。後悔なんて絶対にしない。だって、あなたは裏切らないんだもの」
「‥‥分かった。一緒に行こう」
 彼は力強く首肯くと、私の肩をポンポンと叩いた。


「勇也! 早く車を出せ! 警察の奴らが来るぞ」
「何だって? 逃げ道がバレたのか?」
「報道の奴らが嗅ぎつけやがったんだ。早くしろ! って、誰? この女」
「私、神楽千里って言います。今日から仲間になりました。夜櫓死苦(よろしく)!」
 私は汗だくの男に元気よく挨拶をする。男二人は呆然と私を見ている。
 私のアパートから歩いて十分くらいの所、閑静な住宅街の片隅の彼(勇也という名前だと今知った)の車が置いてあり、チャッチャッと着替えを済ませた私は勇也と二人で車の中で待っていた。すると五分くらいして二人の男が全速力でやってきた。二人共、勇也と年は同じくらいだ。
 私が運転席に座り、勇也が助手席に座っていた。やってきた男二人は急いで後部座席に乗り、そこで初めて私を見た。
「‥‥よろしくって、おい! 勇也、お前何考えてるんだ!?」
 男の一人が静かな夜の住宅街にこだまする大声で怒鳴る。そんなに大声で話したら怪しまれるだけだと思うのだが。現に勇也は落ち着いている。
「人質だった女だ。俺達の仲間になりたいんだとさ。大丈夫、心配無い。彼女は絶対に信用出来る。俺を信じろ」
「‥‥本当だろうな?」
 男はまだ疑心暗鬼と言った感じだ。隣の男も似たような顔をしている。しかし、勇也の顔は変わらない。
「本当だ。それに、いつでもエッチな事していいみたいだぞ」
「いつでもなんて言ってないでしょうが!」
 私は勇也の言葉に喰ってかかる。その時だった。どこからかピーポーピーポーという警察のサイレンらしき音が聞こえた。それを聞いて、後ろの男の二人の顔が変わる。
「分かった分かった! こいつの事は信用するから、早く車を出してくれ」
「だとさ。千里、とっとと出発してくれ。場所はさっき言った通りだ」
 勇也は前を向いて、景気付けと言わんばかりに私の肩を叩く。
「あいよ!」
 私はエンジンをかけ、サイドブレーキを下げ、レバーをドライブにすると、一気にアクセルを踏み込んだ。車はまるでチ○ロQのようにキキキキキッと凄まじい音をたてて発進した。私は安全運転には自信は無いが、暴走ならば自信があるのだ。
「おいおい! 事故るなよ!」
「まっかせなさい!」
 顔を引きつらせている勇也と後ろの二人を横目に、私は目の前の家の壁をギリギリのハンドルテクでかわして、闇夜の住宅街を爆走していった。
 プラスチック・ホールド。
 そんな言葉が似合う。彼が私に掛けた手錠。そして、私を縛っていた細やかな人生の呪縛。その二つを切り離した私は、今、とても幸せだ。全ての蟠りから解放された気分だ。
これからどんな未来が待っているのか楽しみだ。山あり谷ありの、壮絶な人生になるだろう。それもまた面白そうだ。勇也と一緒なら、どんな事をやっても切り抜けられる自信がある。日本のポニー&クライドと呼ばれるカップルになってやろうじゃないの!
 でも、3Pはちょっと嫌だなあ。
                                                             終わり


あとがき
確か「ラヂオの時間」か何かのジャンルが密室コメディって言うのを聞いて、それが面白くて俺も何か考えてみようと思って、書いた記憶があります。
あとは明朗活発な女性が書いてみたかったから。それ以外に深い意味は無かったと思います。でも、二人のやり取りは書いていて、かなり面白かったです。こういうってスラスラ書けるんですよね〜


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