僕は目を覚ました。目の前がぼやけている。涙のようだ。僕は今、自分の部屋のベッドの上にいる。時間は午前七時。
「‥‥」
どうやら、夢だったらしい。実に紛らわしい。夢の中で夢を見てしまうとは。しかし、それにしてはやけにリアルな夢だった。なにせ夢の中のくせに感触があったのだ。それに色もあったし、言葉もあった。現実と何一つ変わらないように思えた。
ベッドから下り、机を見る。夢の中の机と変わらない物が一式置かれている。一応気になったので、携帯電話に目をやる。メールが一通届いている。見てみる。それはやはり深沢さんからの物だった。内容も同じだった。
僕は落ち着いて考える。これは夢か、そうでないのか。頬をつねる。相変わらず痛い。しかし当てにはならない。なにか、これが夢か現実かを区別する方法はないだろうか。
「‥‥」
いくら考えても思い浮かばない。時計を見る。七時五分。もしもこれが現実だったら、もう行かなくてはならない。でも、現実だという保証は無い。でも、夢だという保証も、同様に無かった。
僕はいてもたってもいられなくなる。確立は五分と五分だ。もし現実だったら、深沢さんと恋仲になれるし、例え夢だとしても別に何かが変わるわけでもない。だったら、現実だと思った方がいい。僕はこれが現実だと考えた。
僕はさっきの夢と同じように着替え、下の階にいる父と母に先に行ってくると言って、家を出た。
例え夢であったとしても、同じ行動はとりたくなかった。あの時は踏み切りが全て悪かったのだ。踏み切りでつっかかりさえしなければ不良グループに当たる事も無かったはずだ。
僕はさっきの教訓を生かし、自転車に乗った。本来自転車に乗って学校に行ってはいけないのだが、この際そんな事はどうでもいい。学校に着く直前辺りで降りて、適当な所に停めておけばいいのだ。僕はさっそうと自転車に乗り込み、猛スピードで学校を目指した。しかし、今回の猛スピードはさっきのに比べて段違いだった。
踏み切りに来た。まだ遮断機は下りていない。僕はスピードを緩めずに踏み切りを突っ切る。後ろを見て、踏み切りが見えなくなる頃、ようやくは遮断機を下りた。僕はざまあみろ、と思いながらも、辺りに変なのがいないか確かめた。さっきの夢よりも、もっと人は疎らだ。しかも、その中に例の不良達はいない。それでも僕は気を緩めずに注意しながら、自転車をこいだ。
学校に着いた。時間は七時十五分。今度は余裕だった。結局、不良グループにも遭遇しなかった。僕は意気揚揚と校門を抜け、教室へと向かった。
しかし、深沢さんはいなかった。しかも、今度は置き手紙も無い。ここに彼女がいたと思われる痕跡は何一つ無かった。しかし、まだ来ていないという事も考えられる。前回とは、もとい、夢とは十五分も違うのだから。
「‥‥‥‥‥」
最初はそう考えていたが、深沢さんは七時半になっても現れなかった。僕は不安になる。何故、来ないのだろう。さっきはここに置き手紙があったはずだ。つまり、前回は少しの時間かもしれないが、確かに彼女はここにいたのである。なのに、今回は一秒もここに来ていない。一体、どういう事なのだろうか。
そうこうしている間に、時間は八時十五分となり、ちらほらと生徒が登校し始めた。僕は自分の席に座り、深沢さんが来るのを待った。しかし、一時間目が始まる時間になっても、彼女は来なかった。
不安に耐えきれなくなった僕は、普段深沢さんと仲のいい、吉田さんに声をかえた。
「えっ? めぐみ? ちょっとね、来れなくなっちゃったの‥‥」
吉田さんは何か凄くバツの悪そうな顔をして、曖昧にそう言った。しかし、僕の気分は一向に晴れない。
「どんな理由なの?」
僕の真剣な顔に圧されてか、吉田さんは重そうな口を開く。
「あのね‥‥めぐみね、登校途中に不良グループにからまれて、怪我したみたいなの。肩がぶつかったらしいんだ。私はその場にいなかったから、詳しい事はよく分からないけど‥‥」
僕は愕然とする。ああっ、何という事だろう。僕があいつらに会わなかった代わりに、今度は彼女があいつらと鉢合せてしまい、怪我をしてしまったのだ。
なら、一体僕はどうすれば良かったのだろうか。普通に行こうとすれば自分があいつらに会ってしまい、早めに行けば彼女があいつらに会ってしまった。遅めに行けば、約束の時間に間に合わない。
しかし、最初のは夢だったはずだ。現実で普通に行けば、もしかしたらあんな事は起きなかったのかもしれない。でも、この現実で彼女はあいつらに会ってしまった。きっと、現実でも普通に行けば彼らに会っていたのだろう。
最悪だ。夢も、現実も。どっちだって、結局深沢さんと会う事は出来なかったのだ。
「それじゃあ、どうすれば良かったんだよぉ!」
・
・
「‥‥」
目が覚める。僕は今、自分の部屋にいる。時計を見る。時間は午前七時。僕は自分で自分の顔を思いっきりぶん殴る。痛かった。猛烈に痛かった。
「一体、どうなってんだよぉ‥‥」
もう何が何だか分からなかった。一体どこまでが夢で、どこからが現実なのか。僕は頭の中でゆっくりと考える。今、この世界を現実として。
まず、深沢さんが僕の胸中を打ち明ける光景。あれは完全に夢だった。そして、その夢を見た夢を見た。それは、学校に行こうとして間に合わなかった夢だ。そして、間に合わない夢を見た夢を見たのだ。それは早く着きすぎてしまって、深沢さんが不良達にからまれてしまった夢だ。
つまり、僕は三重の夢を見ていたのだ。
何だかひどく疲れている。夢のくせに本当に運動をしたみたいに思える。僕は乱れた髪の毛を掻きむしりながら、机の上に置かれている携帯電話に手をのばす。
「‥‥これも、夢なのか?」
深沢さんからメールが来ていた。そしてやっぱり、内容は同じだった。僕は時計を見る。時間は七時五分。今から行けば間に合う。が、僕は行く気にはなれなかった。なにせ、二回も騙されているのだ。これが真実だという証拠が無い限り、とても動く気にはなれなかった。
動く気にはなれないはずだった。しかし、僕は着替えを済ませ、父母に挨拶をして、玄関を出ていた。本当に馬鹿だと思う。また無駄な気苦労をするだけだろう。でも、頭の片隅にちょこんと座っている希望クンが、僕に行けと言っていた。
走る事も無く、また自転車に乗る事も無く、僕は歩いて今日二度通った道を進んだ。片隅で座っている希望クンを、諦めチャンが苛めていた。きっとこれも夢だぞ。だから別に急ぐ必要なんて無い。きっと、途中で夢が覚めるさ。そう諦めチャンは囁いていた。
遅く来たからだろう。踏み切りは開いていた。僕は眠気まなこを擦りながらゆっくりと踏み切りを渡る。その時だった。誰かが僕の肩にぶつかった。一瞬嫌な予感がした。不良グループだと思った。僕は恐怖におののきながらぶつかった方向に振り向く。
そこに不良グループの姿は無かった。代わりに、一台の車のフロントガラスが見えた。その瞬間、僕は気づいた。ぶつかった拍子に、人の歩く歩道から車の通る道に出てしまった、という事に。
しかし、今更それに気づいてもどうにもならなかった。全ては僕の身体に鈍い衝撃が走った後だったからだ。
(‥‥これが夢じゃなきゃ、俺、怒るぞ)
スローモーションになった世界の中で、僕はそんな事を思った。
最悪だった。何故ならば、事故った事が正真正銘の現実だったからだ。確かな証拠は無いが、事故った後、気を失いついさっき目覚めても、僕はやはり事故った後だった。普通なら、事故った瞬間に目が覚めるものだ。
幸い命に別状は無かった。自分ではよく分からなかったが、ぶつかった瞬間に、腕でガードしたらしかったのだ。右腕骨折、左腕打撲という、医者曰く「奇跡」で、僕は助かったのである。
「‥‥‥‥‥」
学校は一週間程欠席という事になった。そう思うとこれは現実だと感じた。何故ならば、現実は一番辛いものなのだ。今日の朝七時半に学校に行くはずなのに、実際に行くのは一週間も後になるのだから。
真っ白い部屋に僕は今いる。白い洋服に白い包帯、白いギブス。結構広い部屋なのに、ベッドが一つしかない。医者曰く、
「一週間だから、贅沢を認める」
との事だった。穏やかな日差しを受けながら、僕は深沢さんに何と言おうがゆっくりと考え始めた。しかしすぐにやめた。一週間後に何を言っても仕方ないのだ。
その時、不意にドアをノックする音が聞こえた。両親はさっき出ていったばかりだ。医者も看護婦も夕食までは来ないと言っていた。誰だろうと思いながら、僕はどうぞと言った。
入ってきたのは一人の女の子だった。折り目のついた制服、黒くて長い綺麗な髪の毛、カバンを持つ白くて小さな手、そして僕のお気に入りの大きな瞳。間違いなく深沢さんだった。
「こんにちわ、伊原君」
僕の心臓がいきなりエンジンを吹かし始めた。どこにでもある安い車のエンジンではなく、F1に乗っけるエンジンの如く凄い勢いだった。
「な、な、な、何でここに?」
言う台詞など考えてもいなかったので、いきなりどもってしまった。深沢さんはそんな僕を見て少し笑った。でも、ほんの少しだった。
「先生に聞いたの。この病院に運ばれたって」
深沢さんはゆっくりとした足取りで、僕の方に歩いてきて、ベッドの隣に置いてある小さな椅子に腰掛けた。顔を俯かせて、何だかここにいるのを躊躇っているような感じだった。それを見た為か、僕は言葉を切り出せなかった。少しの沈黙の後、深沢さんは小さく口を開く。
「私のせいだよね。私が呼んだから、だからこんな事になっちゃって‥‥」
深沢さんは手をのばして、うんともすんとも言わない僕の右腕に触れた。泣きだしそうだった。彼女は謝りに来たのだ。自分があんなメールさえ送らなければこういう事にならなかった、と思っているのだ。
僕は全然深沢さんが悪いとは思っていなかった。彼女が僕とぶつかったわけではない。彼女があの道で来て、と頼んだわけでもない。彼女を恨む理由など無かった。
「誰が悪いって問題じゃないよ。もし深沢さんが悪いんだったら、あの道を選んだ僕だって悪いし、車の運転手だって悪いって事になるし‥‥」
「‥‥‥」
「つまり、誰も悪くないんだよ。僕も運転手も、深沢さんも」
そうまで言うと、深沢さんは小さくうんと頷いてハンカチで顔を拭いた。
「そんな事、気にする事無かったのに‥‥」
よくこんな事が言えるな、と自分自身で関心していた。何だか映画の主人公になったような気分だった。でも、相手が深沢さんじゃなかったら、おそらく言えないだろう。
「‥‥うん、ありがとう。でもね、本当はその事を言いに来たんじゃないの。他にね、聞きたい事があったの」
聞きたい事‥‥。
今更驚く事も無いだろう。二者択一の、あの事だ。
そう思った時、不思議な事に気づく。学校に行く事も、早く行くか、遅く行くか、その選択しかないと思っていた。なのに、今ここで深沢と二人っきりでいられるのは、そのどれでもない、強いて言うなら間の選択肢を選んだからなのだ。
どちらも選ばない道が正しい事もあるのだ。全ての物事に白黒をつける事が正しいとは言えないのだ。その人の人生が正しかったのか間違っていたのかなど、誰にも言えないのと同じように。
だからと言って、今、目の前にある二つの選択肢のどちらも選ばない、というのは良くないだろう。
だって、迷う必要など無いんだから。
「聞きたい事って?」
僕は彼女の口からその事を言わせたくなって、意地悪そうにそう言った。彼女は顔をほのかに赤らめながら僕を見つめ返した。
「分かってるんでしょ? それはね‥‥」
終わり
あとがき
大学の漫画研究会で発表した作品。その本を手にしている人なんてほとんどいないと思うので、こっちに載せる事にしました。
その本には別の先輩の作品も載っていて、別の先輩が「その人のよりもうんと面白いよ」と言ったのを今でも覚えています。まぁ、向こうは重い感じのファンタジー作品でしたけどね。
時間が戻ったらどれだけいいだろう、と思った時に考えた話ですが、そのままでは面白くないという事でこんな話になりました。