僕の上にはいつも同じ空があった 高校1年生編1


 僕の高校生活は村上龍の『69』なんかに比べると、かなり地味だった。学校の屋上をバリケード封鎖する事も無く、ロックフェスティバルにも憧れていなかった。政府に何の疑いも持っていなかったし、生きる事を不思議に思った事も無かった。
僕はただ、毎日テレビゲームに明け暮れて、アニメを見て、友人からエロビデオを借りて一人エッチをしたりしていた。
 恋はしたけれど成就しなかった。苛めを受けたけど自殺するような事は無かった。ロックを知ったけれどギターを手にする事は無かった。殺したい奴は何人もいたけど、ナイフを手にした事は無かった。
 人の上に立とうと思った。誰よりも凄い人になろうと思った。でも何をすれば分からなかった。結局何もしなかった。
 まったくもって、さえない高校生活だった。
 それでも、僕はその時を振り返ると思う。
「ハッピーだった」
と。


 一九九六年、僕は高校一年生だった。
 ジョン・レノンの偉大さなんて知らなかった。ジミ・ヘンドリックスもシド・ヴィシャスもカート・コバーンもとっくの昔に死んでいた。
 地下鉄サリン事件の惨劇も消えかけて、これから起こる同時多発テロなんて誰も知らなかった。
 平和を歌うヒッピーの代わりに愚痴を歌うフリーターが街を歩き、一部の女の子達はブランド品を片手に援助交際に励んでいた。でも、それを危険だと言っていたのはテレビのリポーターだけで、関係の無い多くの女子高生達はたまごっちの育成に励んでいた。
 若いアイドルがたくさん出ていたけど、AV女優は彼女達よりも美人だった。
 O−157とか言う、わけの分からない食中毒が蔓延して、誰もカイワレダイコンを食べなくなった。でも、元々僕はカイワレダイコンが嫌いだったから、食べなかった。
 どこかのトンネルで崩落事故が起きて、政府がグスグズしていたから閉じ込められていた沢山の人達が死んだ。でも、僕は今でもそのトンネルの名前を知らない。
 良くない事ばかりが目立って、日本全体が何だか元気が無いような事を言われていた年だった。
 でも、僕は元気だった。近くの公立高校に受かって、天にも昇る嬉しさだった。世間の事なんて知らなかったし、知る気も無かった。僕らのアイドルだった安室奈実恵も元気にテレビの中で踊っていた。彼女も僕もまだ十代だった。
 ただ、自分とその回りが幸福ならそれでよかった。
 日本人の九十九%がそう思っていた時代だった。今は百%かもしれないから、当時の方がまだ世界は澄んでいたのかもしれない。


 うららかな四月の春。僕は高校一年生になった。
 僕が進学した公立高校は近くの駅から自転車で二十分くらいの所にある、何の変哲も無い共学高校だった。閑静な住宅街の片隅にあり、校庭の裏には巨大な田んぼが広がってのどかだった。
 男子よりも女子の方が多く、僕の学級も八クラス中二クラスが女子だけという、男子にとっては夢のような環境だった。でも、本当はただ周りに女の子が多いだけで、別にどうって事はなかった。
 体罰をする怖い先生もいなかったし、三島由紀夫のような思想を持った先生もいなかった。問題を起こす生徒もいなかった。ひょうきんな奴はいたけれど、東大紛争みたいな事を口にしていた者は一人としていなかった。野球部が甲子園に行く事も無かったけれど、殺人事件や自殺事件が起きるような学校でもなかった。
 誰も「君が代」を歌う事に抵抗なんて無かった。でも、朝会の時にしっかりと声を出して歌う者は一人もいなかった。目立つ事が恥ずかしくて、誰も口を開かなかった。
 没個性が流行だった。
「個性を持て」
 という大人の言葉を、誰も真剣に受け止めていなかった。それ以前に手に入れ方を誰も教えてくれなかった。それ以前に、誰も教えて欲しいなんて思ってなかった。
 そんな学校に入れて、僕は幸せだった。


 僕のクラスは男子女子がちょうど半分くらいで、とりたてて目立った事は何も無いクラスだった。美男も美女も、またそうでない連中もいて、授業中は皆大人しく、休み時間は仲の良い連中同士で喋る。もう本当にこれ以上表現のしようのないクラスだった。
 僕は目が悪かったから、いつも一番前の席にいた。僕は馬鹿がつくくらいの真面目生徒だったので、先生とも仲良しだった。先生は問題の無い生徒には優しく接した。そこには、自分は先生であるという威厳などはどこにも無かった。
 尊敬とかそういうのは無くて、ただ優しい年上の人。それが僕にとっての先生のイメージだった。
 一年の時の担任の先生は四十代くらいの女性の先生で、人生の八十八%は真面目に生きてきました、というような感じの人だった。冗談も通じず、生徒達との距離も常に一定。面白くはなかったけれど、その存在を嫌だと思った事も無かった。本当に教師の鏡みたいな人だった。
 僕の隣には僕と同じように目の悪い女の子がいて、その後ろにもやはり同じ理由で席替えをパスしていた女の子がいた。
 二人共仲良しで、同時に絶対処女だと断言したくなるような顔をしていた。
 でも僕は自分の顔が不細工だと分かっていたので、
「自分に吊り合うのは彼女達みたいな子だ」
 と達観していた。なので、僕は結構隣の彼女達が好きだった。もしもあの時それなりに本気になっていたら、僕は高校時代に童貞を捨てられたかもしれない。それも、二人同時だ。
 でもあの時そんな勇気があったら、今僕はこうして小説なんて書いていなかっただろう。どこかの女のヒモになって、毎日ダラダラ過ごしていたに違いない。
 ある日お金が無くなって、彼女が、
「私、風俗に行くわ。それであなたが養えるなら後悔しない」
 と言う。僕は表向きにはそれを否定するが、内心どうぞ行ってくださいと思う。それで彼女は風俗で働いて歌舞伎町一の名器の女だと言われて、僕はそんな彼女の男として楽に暮らす。その内に彼女が自立して僕は一人ぼっちになって新宿のどこかの公園の片隅でホームレスとしてミミズみたいに暮らす。きっと、そうなっていたに違いない。
 だから、あの時本気にならなかった事は後悔していない。
 僕の後ろの席にはクラスの中で唯一の問題児が座っていた。とは言っても、尾崎豊の歌みたいに校舎の窓ガラスを壊して回るような古臭い事をするわけではなく、単純に学校に来ないだけだった。
 どうして来ないのかは知らなかったし、知っても意味が無いと思っていたので、聞く事も無かった。彼はたまに来て、寝て、終わったら帰る、という昔話の主人公みたいな生活を送っていた。でも、かなりイケメンな顔をしていたので、女子からは凄い人気があった。それなのに、彼はまるでそういうのに興味が無く、その硬派な様子がより女子達を騒がせていた。
 彼は一週間の内、三日くらいしか学校に来なかった為、席替えの時にあまりいなかった。だから、彼の席もそこに固定されていた。
 僕と後ろの彼。そして隣の女の子二人。その四人は最初の四月から次の年の四月まで不動だった。そこだけがまるで結核患者を隔離するサナトリウムみたいな感じだった。もっとも、誰も不満など無かったし、誰も病気などではなかったが。


 高校一年の頃の僕には三人の友人がいた。
 高田は中学時代からの友人で、歌手のZARDが三度のメシより好きなノッポだった。ある日、先生が皆さんは何時に寝ますか? とクラスの皆に聞いた時に一人だけ十時と答えていた。他の皆は一時や二時と言っていたのにだ。
 二人目の松田は弱々しいという単語を絵に描いたような性格のオチビで、成績もそれほど良くなく、長所と言えば頼まれた事は断れないという事とアニメが好きという事くらいだった。しかし、アニメ好きを長所と言った奴は世界でまだ誰もいない。
 高田と松田の共通点は反抗期などまるで知らないという事だ。両親や先生に言われた事は何の疑いも無く忠実に守り、それを苦にも思わない。更に二人共ブリーフ派で、アダルトビデオなんて見た事なんて無かった。真面目で女の子にはモテないタイプだった。
 三人目の佐野は前の二人に比べると幾分普通の高校生らしかった。パッと明るい性格で、成績も運動もそれほど良くはなかったが、能天気な性格がその全てを補っているような奴だった。アダルトビデオなんかも貸してくれた。女優がひどい不細工なビデオだった。だが、AVは女優の顔ではなくエロスの内容が全てだと思っていた僕はかなり楽しんだ。その女優は巨乳で、男優は胸ばかり責めていたのだ。
 僕、高田、松田の三人と佐野とでは明らかに違いがあった。それは異性と仲良く話せる人と話せるか否かという事だ。大人と子供の境界がそこであり、話せる奴は釈迦如来だった。僕は釈迦如来に憧れるただの一般農民だった。
 そんな感じで、僕の高校一年目が始まった。


 桜が落ち始める五月。僕はまず最初に部活に入った。軟式テニスだ。
別に女の子と仲良くしたいなんてこれっぽっちも思ってなくて、中学の時にやっていたからせっかくなんだし高校でもやろうと思っただけだった。
 中学の軟式テニス部は最悪だった。厳しかったというわけではなく、担任がいなく軟弱者ばかりが集まっていたという意味でだ。大会で優勝した事なんて一度も無く、ある者は近くの砂場でトンネル掘りをし、またある者はコートの隣の竹やぶの中で竹の子取りなんかをしていた。
 その気分で入ったのがいけなかった。高校のテニス部は非常に厳しく、最初はコートにも立たせてももらえず、ずっと素振りと球拾いばかりやらされた。先輩達は本気で上達しようと思っていた。高校にもなってどうして軟式に命をかけるのだろう、とずっと思っていたが聞いた事は無かった。
 ある日、大会があった。高校からバスに乗り、その後タクシーで十数分かかる所にある、立派な会場だった。とは言っても、僕は補欠だったので先輩の試合を見ているだけだった。
 つまらなかった。別に先輩達がヘタクソだったというわけではなく、見ているだけというのがつまらなかった。僕自身うまいわけではなかったが、冗談でもいいから出してほしかった。
 あまりにもつまらないので、階段状の外部席で寝た。寝ている間に試合が終わり、同級生に起こされた時に頭が冴えてなかったので、そのまま転んで下の階段に座っていた別の高校の生徒の一団の中に顔から突っ込んだ。まるで「おむすびころりん」のおむすびのようにゴロゴロと突っ込んだ。
 怪我はしなかったが、他校の生徒達は鬱陶しそうな顔をし、先輩達はバツの悪そうな顔をしていた。
 それをきっかけに僕はテニス部をやめた。享年一ヶ月。よくもったな、と自分でも誇りに思っている。
 そんな感じで、僕の高校生活の出だしは最悪だった。


次のページへ  ジャンルに戻る