僕の上にはいつも同じ空があった 高校3年生編1


 和歌山に住んでる不細工なばあさんがカレーに毒物を入れて、四人の人間を殺した。このばあさんがテレビですまなそうな顔をしているところを一度も見なかった。今でも見ていない。とっとと死んだ方がいいとたくさんの人が思っているはずだ。
 高校三年生になった。
 この年になると、皆進路の事で悩み始めた。だが、僕を始め、ほとんどの生徒が大学に行く事を希望していたので、実際に悩んでいる内容は大学に行くかどうかではなく、どの大学に行くか、であった。皆、大学に行くのが当然だと思っていたし、大して夢も無い奴は大学以外に行く所が無かった。そういう意味で、大学は便利な所だった。
 そんな中、僕は小説を書く事に目覚めていたので、文学系の大学に行こうと決めていた。将来は司馬遼太郎よりも有名になって、最年少でノ−ベル文学賞を取って、テレビ番組「知ってるつもり」に出ると決めていた。
でも、僕が有名になる前に、その番組は終わってしまった。


 高三のクラスは前の学年の生徒半分と、新しい生徒が残り半分という感じで、相変わらず朗らかとしていて、不穏な空気は微塵も無かった。右翼なんて言葉は死語どころか、誰も知らなかった。僕だって、高三の内九八%くらいは忘れていた。
 須藤や林田とはまた一緒になったが、多田や長谷田、城嶋さんとは違うクラスになってしまった。特に城嶋さんと離れてしまったのは辛かった。去年の修学旅行の事もあり、僕は本気で彼女と付き合ってみたいと思っていたので、話す機会が減ってしまったのは本当に辛かった。
 その代わりに二人、新しい友達が出来た。一人は田野中という奴で、口数も表情も少なかったが、他の人には無い独特の雰囲気を持っていた。会った事は無いがスタンリー・キューブリックのようなモノを持っていた。ストリート系の絵に強い関心を持っていて、須藤はその絵をとても誉めていた。
 もう一人は坂東と言って、この高校唯一の漫画研究会の男子生徒だった。僕も彼に部活に入らないか、と言われたが入ったら古川みたいなのに苛められそうな気がしたので断っていた。だが、彼は不思議と苛められる事は無かった。性格はとても明るく、高校生のくせに彼女がいた。僕の友人で彼女がいたのは彼だけだった。この時僕は「堂々と言ってしまえば苛められない」という事を知り、大学でそれを実践して見事成功する事になる。
 担任の先生は三十を過ぎた辺りの、落ち着いた感じの可愛い女の先生だった。三年間の高校生活の中で一番美人な人だと思った。国語の担任で、文学系の事を聞くにはいい相手だった。


 新しいクラスにも慣れ始めた四月。
ちゃんと大学に行こうとしている者は、大学の受験以外に生涯絶対に必要の無い勉強を懸命にしていた。人を数字以外では判断できない悲しくて分かりやすい時代に生きる僕たちにそれから逃げる手段なんて無かった。逃げる事は社会からの逃亡であり、当時の僕は逃げた先の光景を想像するなんて出来なかった。
だから僕も勉強をしていた。文学系を目指していたので科学や数学の学科は無く、僕はひたすら社会や国語の勉強に励んでいた。
少し焦りのようなモノがあった。中学から高校に行く時に、私立高校を三つも受けたのに落ちたという経験があったからだ。結局、県立の高校に受かったので私立は行かなくて済んだが、あの時の屈辱的な気持ちはもう味わいたくなかったので、人並みに勉強した。
真面目な林田は勿論、サバイバルゲームに熱中していた多田も勉強を始めた。そんな中、須藤はアホみたいに遊んでいた。田野中については大学に行くのかも分からなかった。
スタボーン林田に進路の事を聞くと彼は即座に、
「四年制の大学に行く」
「どんな大学?」
「どこでもいい。大学ならどこでもいい」
と答えた。人前で夢を語るなんてした事の無い林田なら当然だな、と思い、次に須藤に進路の事を聞いてみると、
「俺さ、絵描くの得意だからさ、芸術系の大学に行きたいんだ」
 と意外にもちゃんとした答えを出した。
 彼は絵を描くのが得意だった。それも漫画のような絵ではなく、例えば晩年のピカソのような、抽象的な絵だ。正直、僕にはその絵がまったく理解できなかった。何を言いたいのかさっぱり分からなかったし、
「これは最高の絵だぜ」
 と自慢気に語る須藤がどうも気に食わず、一言も凄い絵だと言った事は無かった。他の面々も、彼に絵の才能があるとは誰もが認めていたが、具体的にどううまいのかについては一言も話さなかった。同年代の人間が作った作品に何か批評をするのが、非常に躊躇われた。
 だが、それが嫌でも理解できるようになる日が来る事になった。
 それが文化祭だった。


 進路事などで何となくピリピリしていた一学期が終わり、つまらない勉強だけに費やした夏休みが過ぎ、二学期になった。三年にとって大事なのは進路の事と文化祭の事だけだった。
うちの学校はクラス毎に別々の内容で文化祭をやる事になっていた。内容はクラス毎に相談して決める。だが、僕達はこういうのが滅法苦手だった。
文化祭の二週間前。ホームルームの時間、普段なら女子達の他愛の無い会話が漏れるその時間。だが、その日だけは静かだった。文化祭の内容を考える為だ。
 先生が言う。
「それじゃあ、何かアイデアある人、どんどん手を上げて」
 誰一人案を出す者はいなかった。
僕達の世代にとって人前で自分の主義主張を出す事はとてつもなく恥ずかしい事だった。自分の考えを他人に押し付けると苛められそうな気がしたし、第一自分の考えが他人に認められるなんて大それた事は考えられなかった。
「……」
誰も何も言わない。僕も何も言わない。気まずい雰囲気が続く。だが、そのままでは永遠に進まないという事で、女の子の何人かが意見を言った。結局、それがそのまま通る事になった。
当時「これができたら百万円」というテレビ番組が流行っていて、その中でも特に人気のあったゲームと似たようなモノをやる事になった。
 そのゲームは二本の太い針金でできた道の間に電撃の通った棒を通し、針金に触れる事無く、ゴールまで辿り着けたら百万円というモノで、勿論僕達の場合は百万円なんて用意できるはずもなく、尚且つたかだか高校生の作るモノ。ただそれらしいモノを作って楽しんでもらうのが精一杯だった。
 だが、反論がまったく出ないので、それに決定した。


 文化祭の実行委員は内野さんという女の子だった。AVに出たら間違いなく人気女優として成功しそうな見事な体つきの女の子で、性格がそれとは正反対にホンワカと天然が入っていて、親しみやすい子だった。
 彼女は誰から見ても文化祭実行委員なんて役に合う子ではなかった。リーダーシップなんて欠片も無かったし、成績も後ろから数えた方が圧倒的に早かった。なのに、彼女が選ばれた理由。それは「文化祭の時だけ頑張ればいい」からだった。文化祭さえやってまえば、後は必要が無いのだ。
 だが、その一回こっきりの文化祭が随分と苦労した。出だしから調子が悪かったのだから、当然と言えば当然だった。
 内容が決定し、いよいよ作業開始となった。文化祭準備の間は一切の授業が無い。教室全部を使う為だ。僕達のクラスはまず、壁に色紙を貼ってコーティングする所から始まった。その後は机を並べ替えてゲームらしきモノを作るのである。
 作業は驚く程テンポ悪く始まった。実際に行動していたのはクラス中五人くらいで、残りの三十人くらいは何もせずに教室の隅で無意味なお喋りを続けていた。
そんな中僕は、
「みんなして素晴らしいモノを作ろうよ」
なんて一言も言わず、他の男子と同じように教室の隅で須藤と一緒にお喋りをしていた。でも実のところ、何かしたいとは思っていた。やる事が無くダラダラしている時間程、人生の中で無意味なモノはないと思っていたからだ。
「あっ、あの、ちゃんと仕事して……よ」
内野さんはどちらかと言うと指示される方が似合っているタイプだったので、なかなか男達に指示を出せなかった。それは準備が始まる前から分かりきっていたが、案の定だった。
 少ない女子達が近くのホームセンターから色紙を買ってきて、せっせと壁に張っている。それをただ見ているだけの男子。内野さんはオロオロしているだけだった。
時間はどんどんと過ぎ、女の子の活躍で壁はカラフルな色に染まっていた。でも相変わらず男達は何もしない。準備の間は外出するのも自由で、彼らは近くのコンビニで買って来たジュースを飲んだりしていた。
僕はお小遣いはほとんどアニメのグッズや映画で消えていたのでジュースを買う余裕も無く、仕方無いので出たゴミを片付ける事にした。自分から積極的に何かするのは格好悪い事だったが、実際に何もしないのは死ぬより暇なので、やる事にした。
教室内は壁の装飾やジュースの紙パックなどでひどい散らかりようだったので、やりがいはあった。
僕は女の子から何枚かゴミ袋をもらい、せっせとゴミを集めた。僕という話し相手がいなくなったので、須藤も手伝ってくれた。他の男の子達は相変わらず無駄以外何物でもない人生を送っていた。
「あっ、どうもありがとね、笹乃君、須藤君」
人生をちゃんと生きてる女の子達が笑顔で答える。別にそれが目的で始めたわけではなかったが、言われると嬉しかった。それに僕は掃除が好きだった。自分の部屋はいつもピカピカだった程だ。
相変わらず他の男子はジュース片手に無駄な人生を送っていたが、文句を言うのも恥ずかしい事なので、何も言わなかった。
それを見ていた内野さんが涙目で僕達に笑いかけた。
「ありがとね。私、凄く嬉しい」
 そこまで言って、彼女は教室のど真ん中で泣き出してしまった。男子が誰も手伝わず、僕と須藤が仕事を始めたので、感極まってしまったようだった。
「ほっ、ほら。僕達も仕事しなくっちゃいけないって思ってさ」
 僕は動揺しながらそう答え、彼女の肩をさすった。まるで僕が泣かしてしまったような光景だったからだ。だが、教室にいた全ての生徒がそうでない事は分かっていた。
彼女はボロボロと涙を零しながらも笑い、僕の手を取った。
「うん、うん。ほんと、ありがと……」
凄く可愛くて、それでいてセクシーに見えた。
彼女の涙を見て、他の男子達は居心地が悪くなったらしく、ゆっくりとだが仕事を始めた。女の涙っていうのは強いと、この時思った。内野さんが可哀相だなんて、まったく思わなかった。女の涙は、それだけである程度の価値があるとあの時から思うようになった。
今でもその気持ちは変わってない。
 彼女は涙を拭うと、これ以上無い程の笑顔を見せ、またぎこちない仕草で指示を出し始めた。


 この文化祭は学校の近所のスーパーやコンビニでも宣伝された。その宣伝にポスターが作られる事になった。そのポスターに須藤の絵が使われる事になった。
 これには少し前話があり、まず最初に須藤にポスターの製作を依頼したのは担任の先生だった。
「須藤君、絵描くの得意なんでしょ? 文化祭のポスター描いてよ」
「マジっすか?」
須藤は予想通り渋い顔になった。二年の時もそうだったが、彼の美学はあくまで自己満足というか、僕達のような凡人には理解されない事であり、そんな思想の彼が大衆的イベントのポスターなど作るはずも無かった。
だが、先生は諦めなかった。
「ポスターが使われたら賞状が貰えるわよ」
「別に賞状なんて欲しくないっす」
「賞がとれれば、大学へのいいアピールになるわよ」
「……」
 その一言で、彼はポスター製作を決めた。彼がそこまで大学に執着があったとは知らなかった。
だが、ここで予想外の事が起こった。彼の他にも二人の生徒がポスター製作を名乗り出たのだ。その為、どのポスターを起用するかを生徒の投票で決める事になった。
 テーマは「山嵐」だった。どうしてこんなテーマで、どういう意味だったのかはまるで分からなかったが、須藤はそのテーマに添ったポスターを描いた。
 まったくもってわけの分からない絵だった。木のツタのようなモノが周りに描かれていて、真ん中に真っ白い人間が折れ曲がって描かれていた。須藤はこの作品の意図のようなモノを色々と聞かせてくれたが、意味は分からなかった。
 他の二作は如何にも山嵐という言葉があてはまるような作品だった。茶色の山に真っ黒い男が立っている絵で、僕は正直、
「絶対にこっちの方がいい」
 と思った。
 だが、投票を終えてみると、須藤の絵が一番人気で呆気無く彼の絵がポスターに器用される事になった。
凡人に理解されてしまった事で、彼は不満そうだったが、担任の先生は嬉しそうだった。


 文化祭は地味に成功した。食べ物を売るわけでもなかったので、反響はイマイチだっだが、内野さんはとりあえず形になった事で安心して、笑いながら別のクラスの催し物のたこ焼きを食べていた。
 文化祭は三日間に渡って行われた。その日ばかりは先生達も楽しんでいた。うちの校長というのが五十くらいの髪の毛の薄い人で、朝礼は短く、生徒にはやさしくという神様のような人だった。特に普段の生活にはまったく現れないあたりが、神様っぽかった。
その先生もノリのいい女子生徒達と一緒に駄菓子を食べたり、写真をとったりして遊んでいた。
僕は食堂でサンドイッチを買って、ずっと図書室で本を読んでいた。文化祭の間に、シドニー・シェルダンの『天使の自立』を読破した。
二日目にはミスコンなども行われた。校舎の真ん中に吹き抜けの広場があり、そこに大勢の観客が集まり行われた。出場した女子達は、確かに皆美人で、客席では古川みたいな人生ナンパして全て終わりです、みたいな連中が意味不明の奇声をあげて喜んでいた。
 僕はミスコンにはまるで興味が無かったが、その後のイベントには大変興味があった。吹奏楽部の演奏である。理由は勿論城嶋さんだ。彼女はクラリネット奏者で、僕は何度深夜の音楽室に忍び込んで、彼女のクラリネットを舐めようか考える程だったが、落ち着いて考えると他にもクラリネット奏者はいて、どれが城嶋さんのか分からないのでやった事は無かった。
 ミスコンが終わり、ガラリとした広場で吹奏楽部の演奏が行われた。ミスコンのような馬鹿な賑わいは見せなかったが、定番という事でそれなりに賑わった。
 僕はその間、ずっと城嶋さんだけを見ていた。彼女がその視線に気づいていたのかどうかは分からなかったが、ずっと礼儀正しく楽譜通りに演奏していた。演奏がうまかったのか下手だったのか、そんな事はどうでもよく、僕はあの時クラリネットになりたいと心から願っていた。
 演奏が終わってまた図書室に戻ると、図書室仲間の茨城が僕に写真を渡してくれた。彼とは図書室で一緒に本を読む程度の仲だったが、写真をとるのが好きだった。
彼が僕にくれた写真はクラリネットを吹いている彼女の写真だった。斜め上からとったもので、どう見ても隠し撮りだった。
「何? これ、どうしたわけ?」
「撮ったんだよ、僕が。彼女の事、好きなんでしょ? あげるよ」
「マジで? いいの?」
「うん。っていうか、僕は彼女に興味無いから、貰ってくれないと困るんだけど」
 そう言って、写真を手渡してくれた。僕はそれを急いで財布の中にしまいこんだ。
 文化祭の日には、明確な帰宅時間というモノが存在しない。普段馬鹿やってる連中はそれこそ学校に泊まるくらいの勢いで騒いでいた。まるで、69年にウッドストックで行わそのれたロックフェスティバルみたいな気がした。でもその時僕はまだ生まれていなかったし、ロックフェスティバルなんて知らなかったが。
 僕は騒ぐ事以外に人生を謳歌する事を知らなそうな連中を見ているとぶん殴りたくなったので、とっとと帰る事にした。写真も手に入ったし、シドニー・シェルダンの分厚い本も読破できたので、満足だった。城嶋さんも帰ったようだった。
 こうして文化祭は終わった。


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