僕の上にはいつも同じ空があった 高校2年生編3


 北海道の小樽に行く四泊五日の旅行で、一年の時の旅行と一番違ったのは、古川がいない事と、向こうについてからは各個人自由の時間があるという事だった。
 自由と言っても、全てが個人の自由というわけではなく、四泊の内の最後の一日のみ、更に何人かでグループを作って行動しなければいけなかった。そこに絶対条件としてつけられたのが、「男女混合のグループにする事」だった。
 僕は当然のように城嶋さんと一緒のグループになりたいと思っていた。まず林田と彼の友人の山田と男子三人のコンビを組んだ。人数は六、七人程度と決まっていたので、彼女のグループが三、四人だったらOKだった。
 運良く彼女は四人の女子グループの中にいた。他の女子の顔を見てみたら、クラスの中でも特に地味な子達ばかりが集まっていた。でも、その分個性的で、将来成功するなら彼女達のグループの中から生まれるだろう、と思った。
 男子女子のグループが出来ると、次に男女のグループを作る事になった。案の定と言うべきか、同類同士達が集まった。古川みたいな感じの男連中は馬鹿な女子達と一緒になった。実際は馬鹿じゃなかったかもしれないが、少なくとも僕の目には馬鹿そうに見えた。
 その中で、僕達のグループと城嶋さん達のグループがくっつくのは必然だった。
「笹乃のグループは城嶋んとこだろう」
 という風が吹いていた。地味な連中同士仲良くやってくれ、というわけだ。僕は喜んでその風を肺に吸い込んだ。
「ねえ、一緒のグループにならない?」
 そう僕がドギマギしながら言うと、城嶋さんは、
「うん。いいよ」
 と笑顔で即答してくれた。その時の顔は天使のようだった。天使なんているはずないとその時までは思っていたが、その瞬間から考えを改めたほどだ。
 恐ろしいくらい呆気無く決まり、僕はこんなに簡単に決まっていいのか、と不安になった。その不安もただの杞憂だったが。
 林田は生真面目で女の子となんてろくに話す事もできなかった。それは彼の友人の山田や女子達の方も同じで、僕と城嶋さん以外の男女はほとんど交流する事ができなかった。  その結果、グループ内の男女の意見交換は全てと僕と城嶋さんを介して行われ、自然と僕と彼女が班長、副班長になった。
「こことここに行こうよ。ほら、電車でも近いし」
 城嶋さんが僕の前で地図を広げて名所を指差す。白魚のような指には、指輪一つついていない。
「うん。いいと思うよ」
「じゃあ、決まりだね」
 自由時間の計画はあっと言う間に決まった。息がぴったりだったという事だ。他に誰も口を開けないので、僕達の案が話し合われる事無くそのまま決定になってしまった事は誰も知らなかった秘密のはずである。
 こうして、最高の段階を経て、僕は修学旅行に行く事になった。去年のスキー学校とは雲泥の差があった。
 ちなみに須藤と多田のいたグループは地味でもなく、馬鹿でもない女の子グループと一緒になっていた。だが、女の子達は明らかに嫌な様子だった。彼らはユニーク過ぎていた為に、女子からの人気はよくなかった。
僕は彼らと組まなくて本当に良かったと思った。


 修学旅行当日。成田空港に集まり、生まれて初めて飛行機に乗った。学校以外の場所で見る城嶋さんも素敵だった。いい素材は何を使ってもいいという事である。
生まれて初めて見る雲の上の景色は雄大で、僕は呆気にとられた。まるで雲が大地のように濃く下に立ち込め、飛び降りたら着地できるのではないかと一瞬本気で思った。
 途中で添乗員のお姉さんに飲み物をもらった。オレンジジュースかコーヒーか選べたが、僕は大人ぶってコーヒーを選んだ。思い切りブラックで、飲んでからオレンジジュースにしておけば良かったと後悔した。
 僕は一番窓際に座っていて、城嶋さんはそこから何席か隣に座っていた。その城嶋さんから使い捨てカメラが回ってきて、
「外の景色をとって」
 と頼まれた。僕はドキドキしながらシャッターを切った。現像した写真は見なかったのでどんな写真ができたのかは分からないが、多分逆光が入ってあんまし綺麗にはとれてなかったと思う。


 飛行機は無事到着し、機内から出た時にその寒さに驚いた。季節は九月か十月だった気がするが、身震いする程に寒かった。太股丸出しの女子達はみんな鳥肌が立っていた。物凄くエロかった。
 そのままバスでホテルに向かった。街の隅にある結構リッチなホテルで、公立高校のくせに随分といい所とれたな、と知りもしない大人の事情なんかを思った。
 部屋まで男女混合というわけにはいかなかったので、部屋は林田と山田、須藤達と同じ部屋になった。外観は洋風なホテルだったのに、個室は和風という辺りは如何にも日本っぽかった。
 須藤はいつもムカつくくらい陽気だった。勿論、それはホテルについても変わらなかった。
「なあ、もっくん。皮、剥けてる?」
 須藤は僕を「もっくん」と呼んだ。名前に由来したわけではなく、僕の風貌が何となくもっくんだったという理由からだった。
「何? 皮って」
「あそこのに決まってるじゃん」
 そう言って、須藤は自分の股間を指差した。
 当時僕は父親の洋服ダンスの中からエロビデオを見つけて、一人エッチに耽る夜が続いていたので、その会話はよく理解できた。だが、それが恥ずべき事なのかそうでない事なのかまでは分かっていなかった。
「……剥けてないよ。何でも、日本人の半分は剥けてないって話だよ。って言うか、萎んでる時から剥けてたら痛くて仕方無いと思うんだけど」
 馬鹿正直に言うと、須藤は顔をしかめた。
「そうか? 俺さ、剥けてないんだよ。恥ずかしくてたまらないよな」
 そう言いながら、彼はズボンの中に手を入れて、手動で何度も剥いていた。僕には彼の行動が理解できなかった。それ以前に、見せる相手がいないのに剥いてどうする、という疑問があった。
 須藤以外の面々は人前でエロ話をするのが得意ではなかったので、須藤の「事ある毎にズボンの中に手を突っ込んで手動で剥く」作業の評判はすこぶる悪かった。だが、それでも彼はそれをやめようとしなかった。
 そのくせ、旅行が終わった時点でやめていた。



 最初の三日はクラス行動だった。やたらとデカいタワーの前でみんなして集まって、色々回った。他にどこを回ったのかは覚えていない。覚えていないという事は、大した所には行っていないという事だ。
 最初の3日を無事過ごし、残り一日になった。僕にとって、高校史上最大最高至極の一日の始まりである。
「それじゃあ、五時までにここに集まるように」
 そう先生が言うと、僕は城嶋さんの所に行った。他の面々も彼女の周りに集まった。
 七人で集まり、僕が広げる地図を城嶋さんが覗き込む。長いく黒い髪の毛が垂れる。何でもない仕草だったが、たまらなく綺麗に見えた。
「最初はここだよね」
「うっ、うん」
 まず行ったのがラーメン横丁だった。修学旅行の定番で、行った事も無い東京の下町を想像させるグチャッとした通りに入って味の濃い味噌ラーメンを食べた。別にラーメンに何ら執着の無かった僕は、それが珍しいとも何とも思わず、ただ美味しいと思った。
 問題なのは何を食べたのか、ではなく、誰と食べたかであった。だから、隣にいたのが城嶋ではなく林田だったのが今でも悔やまれてならない。その時、城嶋さんは他の女の子達と一緒に醤油ラーメンを食べていた。


 その日は午後から雨が降った。ただでさえ寒いのに、雨が降ってより寒くなった。だが、僕の心はそれとは正反対にどんどん熱くなっていった。きっとあの時の僕の心だったら、パンの一枚や二枚平気で黒焦げにできただろう。
 ラーメン横丁の次はオルゴール館に行った。その名前の通り様々なオルゴールが売っている店で、昔の木製の大きな家を店用に改造したような外観だった。中も似たようなもので、どこかの大使館みたいだと、大使館なんて行った事すら無かったのに思った。
 かなりたくさんの人がいて、僕ら以外のグループもいた。ここでは念願叶って城嶋さんと一緒にオルゴールを見て回った。
 僕は銅色のアンティーク車と船のオルゴールを買った。今でも自分の部屋に飾ってあるが、何という音楽が奏でられているのかは今でも分からない。
 彼女が何を買ったのかは覚えていない。何も買っていないかもしれないし、何か買ったかもしれない。僕にとって大事だったのはラ−メン横丁の時と同じで、彼女が何を買ったのか、ではなく、彼女と一緒にいるという事だった。
 ちなみに他の面々が何を買ったのかも覚えていない。他の面々が何を買おうと、僕には一向に関係無かった。


 次に名前も知らない水族館に向かった。オルゴール館からはかなり離れていて、電車に乗らないといけなかった。歩いて十分ほどで小さな駅に辿り着き、そこから水族館に向かった。
 車内は観光客と他校の修学旅行生徒でごった返していた。外は寒いくせに、車内はやたらと暑く、僕は首から汗をかき、窓は真っ白に曇っていた。
 当然座れるはずもなく、僕と城嶋さんは立って入り口近くに並んでいた。他の面々は僕らから少し遠くの所にいた。別に僕達の事を気遣っていたわけではなく、ただ単純にたくさん人がいたら自由に移動できなかっただけだ。彼らはそれほど人の気持ちが分かる程器用ではなかった。
 僕と城嶋さんは二人でくっつくようにして電車のガタンゴトンという音を聞いていた。だが、僕は彼女の髪の毛が気になって仕方無かった。
「ねえ、そんなに髪のばして大変じゃないの?」
 とか言いながら彼女の髪の毛をサワサワと触った。水のようにしっとりしていて、凄く心地良かった。彼女ははにかんだ笑顔を見せて、
「ちょっとね。でも、長いのが好きだから」
 と言った。僕はそんな彼女の笑顔にうっとりしながら、ずっと彼女の髪の毛を触っていた。彼女も嫌な顔はしなかった。
 満員電車の隅で女子高生の髪の毛を弄くって、恍惚の表情をするデブ。悪夢のような光景である。よくこんな変態プレイが笑って済まされたのかというと、まさしく城嶋さんの女神の如き優しさに他ならない。もしかしたら嫌だったのかもしれないが、そういう顔をしなかった時点で、既に彼女は女神である。
 水族館は時間が短くてほとんど見て回る事ができなかった。アジやサンマのような大して珍しくもない魚を見て、帰る事になった。


 集合場所に戻ると、既に須藤達は戻ってきていた。何をするにもルーズな彼らの事だから、きっと遅れると思っていただけに意外だった。話を聞いたら、
「すぐに男女に別れてさ、俺達ずっとゲーセンにいたんだよ」
 と言っていた。女の子達の方もそれで満足だったらしかった。
彼らは別に北海道に来たからと言って、思い出に残る何かをしようなどとはまったく思ってなかったらしい。まったくもって彼ららしいな、と僕は笑った。勿論それは、僕が素敵な思い出を作る事ができたから笑ったのだ。
 楽しかったのかそうでなかったのかよく分からない須藤達を尻目に、僕は城嶋さんの方を見た。
「楽しかったよ」
 橙色の夕暮れの中で城嶋さんは僕に笑ってそう言った。勿論、僕も笑顔で返した。あの時の彼女の顔は、言葉では表現できなえ程に眩しく可愛かった。
 城嶋さんと一緒に行動したその日に、小樽でその年初めて雪が降った。


 旅行が終わり、日記にようなモノを書いた。卒業文集なんかに載るヤツである。
 その時、僕は将来漫画家になりたいとまだほんの少しだけ思っていたので、文章は控えめにして、全面に絵を書いた。ラーメンをみんなして食べている絵だった。
 本当は僕と城嶋さんだけを描きたかったのだが、それではあまりにも不公平だと思い、とりあえず七人全員の絵を書いた。でも、そのバランスが悪かった。城嶋さんだけを思い切り可愛く描き、他の面々を適当に描いた為、それを見た友達がみんなして、
「お前、城嶋さんが好きなんだろう? ああっ?」
 と言われる事になった。今までみんなその事に気づいていなかった事に驚いたが、真実なので包み隠さず言った。あまりにも正直に言うと、みんなからかうのをやめて納得してくれた。
「応援してるぜ」
 と須藤が本気なのか分からない言葉をかけてくれた。


 修学旅行が終わり、冬が近づいてきた。僕の心はまだ修学旅行の思い出が抜けきれてなく、相変わらず暑かった。
 体育祭があった。小学校の頃の運動会とはわけが違う。誰も真剣にやろうだなんて思っていなかった。徒競走でみんな一緒にゴールなんてアホな事はしなかったが、別に誰が勝とうがどうでも良かった。
 それなのに、いざ本番が来ると誰もが真剣にやった。
 僕はスウェーデンリレーのアンカーとクラス対抗リレーをやる事になった。スポーツが大の苦手だった僕が何故長距離のリレーのアンカーになったかと言うと、ジャンケンで負けたからだ。
 スウェーデンリレーというのはバトンが渡される度に走る距離が増えていくリレーの事である。最初は五十メートルそこから段々と増えていき、アンカーは八百メートルだ。僕は絶対に一位でゴールできないと確信していたが、とりあえず城嶋さんが見ているので精一杯走ろうとは思っていた。
 体育祭当日。天気は晴れで運動をするには最高の日だった。
 校庭に楕円形のトラックが敷かれ、その周りに椅子が並べられている。小学校の運動会と同じだ。だが、それをやる人間はかなり成長している。親など一人もいなく、学生達も死んだ魚みたいな目でトラックを見つめていた。
 女子のブルマーはもう水着のようにきわどくてエロいモノではなく、スパッツのようになっていたので、男の目は死んで更に腐ってしまった魚のような目をしていた。
 体育祭はそれほど盛り上がらず進行した。そして、あっと言う間に僕の出番になった。
 第一走者がスタートに着く。そして、先生が鉄砲を撃つと皆一斉に走り出した。誰もやる気など無いくせに、いざ競技が始まると皆が最大の力で臨んだ。それが激しいプレッシャーになった。
 僕にバトンが渡った時、うちのクラスは三位くらいだった。別にクラスの為に頑張りたいなんて立派な事は思ってなく、とにかく城嶋さんにいい所を見せようと思って走った。
 だが、最初に力んで走ったのがまずかったらしく、四百メートルを過ぎた辺りでドンドンスピードが下がり、凄まじい勢いで後走者に抜かれた。何とかビリだけは避けようと粘ったが、変に頑張った為に靴が脱げかけて、更にスピードが下がり、結局ビリでゴールした。
 城嶋さんにいい所が見せられなかったという後悔で死にそうだったが、誰も僕を責めようとしなかった。たかだかそんな事で怒るなんて、恰好悪い事なのだ。僕も怒られるなんて最初から思っていなかった。
 その後、冷やしたぬき蕎麦をお昼に食べて、最終種目のクラス対抗リレーに出る事になった。が、入場口で待っていた時に気分が悪くなったので、校庭の隅で思い切り吐いた。どうやらスウェーデンリレーで変に頑張ったのがいけなかったようだった。
 さっき食べた蕎麦がまだあまり消化されていない状態で吐き出され、それを見ていたクラスの友人が、
「大丈夫か? 休んでていいぞ」
 と優しい声をかけてくれた。それまでろくに話した事も奴だったし、性格はあの古川に似ているタイプだったので、そんな事を言われるなんて予想外だった。
「別の奴に代わってもらうからさ、休んでていいよ。ってか、俺の前で吐くなよ」
 僕は当然走りたくなったし、第一本当に走れなかったので、彼の言葉に甘えて休む事にした。
 僕の代わりに長谷田が走った。彼は僕よりも太っていて運動が苦手だったので、リレーは散々な結果だった。僕はどうしてあんな奴を代わりに選んだ疑問に思いながら、校庭近くの便所で胃に残った蕎麦と水と胃液全てを吐き出した。
 リレーでは負け、蕎麦を全部吐いたけど、友人の暖かさを知った。


 短い冬休みが終わり、三学期になったが、これと言って何も無かった。城嶋さんとは大し用も無いのに色々と話をしたが、それ以上の関係にはなれず、ずっと片思いは続いた。
 ある日の家庭科の時間の事。その時間は皆で簡単な食事を作るというものだったが、彼女の作った料理を少し食べさせてもらった。とても美味しくてやっぱり彼女はいい奥さんになると思った。それが僕ならと思ったのは一度や二度ではなかった。


 二年はこうして色々な事があった。ロックを知り、小説の楽しさを知り、好きな女の子と一緒に旅行に行く事ができた。体育祭では散々だったけど、友達の暖かさを知った。
 本当に幸せで、充実した高校二年だった。


高校2年生編 完
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