僕の上にはいつも同じ空があった 高校2年生編2


 ほぼ同時期に、多田が僕にある小説を貸してくれた。
「何? この本」
「結構面白いよ。笹乃君なら分かるような気がしてね」
「ふうん」
 その本が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』だった。何の知識も知らずに手にとったので、その本が昔芥川賞をとった事も、村上さんはももうその頃『ラブ&ポップ』を書いていた事も知らなかった。
 最初はさっぱりわけの分からない内容の本だ、という感想だった。ただとにかくリュウという青年が女の人達とヤりまくるだけの話のように思えた。しかもとても興奮するような描写ではなく、最初の感想は、
「まったく意味の分からない小説」
だった。だが、何度も読んでいる内に何だかこの本が物凄い事を書いているような気になってきた。何を言っているのかさっぱり分からないが、それが逆に芸術的のように思えて、やがてすっかり僕はその本の虜になってしまった。
 その作品が映画化されている事を知り、さっそく近くのビデオレンタルで借りた。主人公リュウを三田村邦彦が演じていた。格好良いと思ったが、とんでもないエロシーンがあると期待していたわりに大して無かったので残念だった。内容も随分と違っていた。せめてペニスには薔薇を突っ込んでほしかった。勿論、三田村邦彦のだ。


 ビートルズを聴いてロックに目覚めた少年のように、石原慎太郎の『太陽の季節』を読んで文学に目覚めた青年のように、これからどうなるんだろうというオボロゲな未来しか見えていなかった僕の未来は、一気に鮮明になった。
 須藤から少しギターを教えてもらったが、まったくセンスが無かったので、僕は小説を書き始めるようになった。将来は小説でメシを食おう。この時、もうそう思っていた。
 僕の家には使われていないワープロがあった。当時、僕の両親は別居していて、僕は妹と一緒に母親の元で暮らしていた。父親が家を出て行くという形だったので、引っ越す事も学校を変える事も無かった。
 別居の理由は父親の友人の借金がどうのこうの、という感じだったが、僕はそんな事は何も知らず、ただ二人の仲が悪くなっただけなのだと思っていた。
 ワープロは昔は父親がたまに使っていたのだが、その父親がいなくなり、誰も使わなくなったので、僕が使う事にした。
 最初はテレビゲームの台詞のようなモノを書いて遊んでいたが、やがてそれでは満足できなくなり、僕は古川に対する憎しみを小説にして発散するという方法を編み出した。内容は本当につまらないもので、とにかく一人の男をこれでもかと言う程殴ったり蹴ったりする感じの内容に村上龍さんっぽい描写を加えた作品だった。
 だが、そこにはかなり僕のイメージ通りのモノが作られ、僕はおおいに満足して、どんどんと小説を書く事にのめり込んでいった。


 その思いを更に強固にするモノに出会った。高一の時の友人佐野が、あるテレビゲームソフトを貸してくれた。当時、セガがセガサターンという機種を出していて、その機種ではアダルトゲームも発売していた。セックスそのものは描けなかったが、パンツと乳首くらいまでは見せてよかった。そんな甘い規制の中で発売された、あるノベルズタイプのゲームを彼は貸してくれた。
 内容はある病院で殺人事件が起こり、その事件を解決する為に、落ちこぼれの探偵が活躍するという推理タイプのゲームだった。
女子高生のパンチラやセクシーな看護師のヌードに勃起しながら僕はそのゲームをやりまくった。『限りなく透明に近いブルー』とはまったく違うタイプで、簡単に言えば純文学と大衆文学並みに違っていた。だが、あれほど読みやすくて、分かりやすい文章に初めて触れ、僕はそのどちらの文章も面白いと思った。看護師が笑うところを「コロコロと笑う」と描写していて、それが妙にツボにハマった。
 それにより、僕はますます小説にのめり込むようになった。


 様々なモノに出会った春が過ぎ、また僕の嫌いな夏がやってきた。夏は恋の季節だからではなく、ただ暑いからだ。冬の方が何倍も好きだった。
 その頃から小説を好んで読むようになった。もっと色々な本を知ろうという欲求からだ。真っ先に目をつけたのが渡辺淳一の『失楽園』だった。ちょうどその頃、役所広司と黒木瞳主演で映画が公開されていて、世のじいさんばあさんが見果てぬ夢に胸躍らせて劇場に足を運んでいた。
 さすがに学生一人で劇場には行けなかったので、小説を読む事にした。図書館にその本が無かったので、取り寄せてもらって最初に読んだ。
 だが、面白くなかった。まだ童貞でろくに恋愛もした事が無い僕にとって、その小説は面白くもなくともなかった。一緒に能を見て、何となく悶々として高級ホテルで地味なセックス。んでもって、最後は一緒に自殺。高校生にそのシチュエーションはまったくもって心に響かなかった。第一女が三十八というのがダメだった。僕の周りに魅力的な三十八の女は一人もいなかった。
 更に後ろの席の結構可愛い女の子がいつも眉をひそませて僕を見ていたので、あまり長く読んでいられなかった。
「笹乃君、そんなの読んでるの? ……凄いね」
 凄いの意味が、いい意味ではない事はすぐに分かった。


 高二の時の英語の先生はやたらと愛嬌のいい先生だった。いつも真っ黒いサングラスをかけていて、痩せた大藪春彦みたいな顔をしていた。とは言っても、拳銃と車にはまるで興味が無く、もっぱら生徒達をからかうのが好きだった。
 高二の童貞が『失楽園』を読んでいる。それはその先生にとって恰好の餌だった。
「お前、その歳でそんな本読んでのか? いやらしいな。今日からお前はポルノグラフィイティ笹乃だ」
 と、ありがたくも何ともないあだ名をつけられた。当時はまだ同名のロックバンドもデビューしていなかったので、僕はただエロいという意味で付けられた。頭の固い林田に「スタボーン」のあだ名をつけたのもその先生であり、須藤は悲劇的にも「ブレインダメージ須藤」というあだ名をつけられてしまった。
 下手をすれば学校問題にもなりそうな名前だったが、僕も林田も須藤も、大して傷つく事も無く笑ってそのあだ名を受け入れた。それがジョークだという事くらい、誰にでも分かったからだ。いちいちそんな事で怒っていたら、僕は今頃古川を惨殺して、刑務所にいたはずだ。


 XJAPANが解散した。テレビで大々的に放送され、日本中に衝撃が走り抜けた。テレビの中でYOSHIKIは音楽性の相違だと言っていた。だが、HIDEはまた機会があればみんなで組んでやりたいと言っていた。
 僕は好きになりかけの時だったので大してショックも無かったが、多田と須藤は相当ショックを受けていた。
「BOOWYもいねーんだぜ。これから誰を応援すればいいんだよ!」
 多田はまるで世界が崩壊したかのように嘆いていた。
 そんな友人の嘆きなど知らず、XJAPANは「THE LAST SONG」を出してその活動をやめた。
 最後のシングルに昔の頃のガリガリした音楽は微塵も聞けなかった。


 ロックを聞きながら小説書きに励んだ充実の夏休みが終わり、二学期が始まった。そして、ある女の子に恋をした。生意気にも唐突に、でも衝撃的に恋をした。
 城嶋さんという女の子で、吹奏楽部でクラリネットを吹いている子だった。
 その子はびっくりするくらい冴えない女の子だった。髪の毛を染めるなんて当たり前の時に大和撫子のように真っ黒い髪の毛で、美人と言うより着ぐるみという感じの姿をしていた。可愛いという意味ではなく、ポテッとした感じという意味である。
 要は地味な子だった。
 クラスでも取り立てて噂になる事も無く、彼女が好きな男子がいるなんて話は聞いた事が無かった。
 高校一年の時もそうだったが、僕は誰もが憧れるような美人な子が好きになれなかった。僕の周りだけだったのかもしれないが、顔のいい女は大抵性格が不細工だった。いや、不細工だったわけではなく、ただ僕の好みと違っていただけなのだろう。
 僕は城嶋さんのような物静かで、地味な子が好きだった。
 彼女は確かに見た目は万人受けしなかったかもしれないが、中身は誰からも好かれるような素晴らしい女性だった。母性的と言ってもいいだろう。女性が世に台頭して男よりも強くなっていたその時代に、彼女の存在は貴重だった。一万人に一人くらいしかいない本物の大和撫子だった。
 彼女とは同じクラスだった。仲は悪くなく、時たま話す事はあった。だが、ツラツラとナンパができるほど僕の心臓には剛毛が生えてなかったので、しばらくは片思いが続いた。
 そんな宙ぶらりんの気持ちが大きく変わるイベントが起こったのは、夏の名残も消え、秋が始まる頃に行われた修学旅行だった。


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