エレクトリック・エチュード 第1章


 夜の街に、、雨が降っている。
 駅前は雨でも賑わっていた。ある者は駆け足で駅の中に入り、またある者は駅の中で雨が止むのを待っている。ある者は恋人同志で甘い時を過ごし、またある者は酒に酔って千鳥足で帰宅につく。無数のネオンの光が水溜まりに反射し、色とりどりの傘が交差点を歩き、話し声と、車の行き来が絶える事は無い。
 時間は午後九時半。それは何の変哲も無い、雨の夜の風景だった。
 宮原葉澄(みやはら はすみ)は駅内に入り、傘を閉じた。短めの栗色の髪の毛を掻き上げ、学制服のスカートについた雨粒を払う。あと少しで大学受験。今は昼は高校、夜は予備校通いと忙しい。今日も九時を過ぎてから予備校を出た。今から帰ると家に着くのは十時過ぎだ。いつまで続くのだろう、と思いため息をつく。時計を見ながら、雨の落ちる夜空を見上げた。
 葉澄のすぐ隣。真北晃太(まきた こうた)は駅内から空を見上げながら、これからどうしようか、と考えを巡らせていた。高校をやめてから、毎日同じような生活をしている。時間潰しに駅前をただ徘徊し、ナンパや友人との飲み会に明け暮れる日々。しかし、今日は何もする気になれない。雨だからかもしれない。今日はこのまま大人しく帰ろうかと、時計を見た。
 晃太の隣。小川麗(おがわ れい)は煙草をふかしながら、本当に電車に乗ろうかどうか迷っていた。大学を出たまでは良かったが、就職先が決まらずもう一年だ。このまま故郷に戻ろうか、それとももう少しここにいて頑張ってみようか。それが決められなかった。残り少なくなった煙草を再びふかし、時計を眺める。
 麗の隣。金城明(かねしろ あきら)は男にしては長めの髪の毛をタオルで拭きながら、手にしている竹刀の袋に水がついていないかを確かめる。どうやら無事のようだ。今日も剣道の練習をしている内にこんなに遅くなってしまった。来年は高校三年生になり、受験に専念しなくてはいけない。このまま剣道に明け暮れていたら母親が怒るだろうな、と苦笑いを漏らし、次にやってくる電車の時間を確認した。
 時計は午後九時半を示していた。雨の降る駅前。四人は偶然そこにいた。
 そして、四人の視点がある少女に向けられた。それは偶然などではなかった。
 少女は駅の前で一人で佇んでいた。どこかの学校の制服を着た少女は傘もささず、雨に濡れていた。黒く長い髪の毛はびしょ濡れで、服も透けて見えている。過ぎ行く男達が、好奇の目で少女を見つめる。しかし、少女はその熱い視線に気づいていない。
 駅の奥から電車がやってくる音が聞こえる。少女はゆっくりと顔を上げた。大きな瞳に、ツンとのびた鼻、闇に溶けてしまいそうな黒髪。一度見たら忘れられない程、その少女は美しかった。
 そして、その顔はとても嬉しそうに見えた。
 雨に濡れているのに何故そんな顔をしているのか。四人はそれが気になり、少女から目を反らす事が出来なかった。
「ショータイム」
 少女が呟いた。
 その瞬間、少女の足元から光の弾のようなモノが飛び出した。そして、"それ"はあっと言う間に四人を通り抜け、駅の中に吸い込まれていった。
「‥‥何?」
 思わず葉澄は声をあげた。その時だった。駅の奥の方、"それ"が飛んでいった方向からけたたましい音が響いた。巨大な地震を思わせる音で、その音に人々が足を止めた。
 音は鳴り止まない。逆に大きくなっていく。四人は駅の中を見た。何かが迫ってきていた。それは真っ赤な爆風だった。
「きゃあ!」
「うわっ!」
 葉澄と晃太が叫ぶ。麗と明も身を屈める。そんな四人に爆風が降り注いだ。四人は何も出来ず数メートル吹っ飛び、水溜まりの中に倒れ込んだ。
 その瞬間、駅全体が大爆発を起こした。やってきた電車も炎の海に呑まれた。駅内にいた人々も瞬く間に炎に呑み込まれた。
 駅前は騒然となった。歩いていた多くの人々が真っ黒い煙を吹き出し爆発する駅の中に目を向ける。突然起こった大爆発。冷静でいる者は少女以外、誰一人いなかった。
「あっはっはっ!」
 爆風と雨を浴びながら、少女は腹を抱え、高らかに笑った。
「いったた‥‥」
 葉澄は頭をさすり、顔を上げた。吹き飛ばされ、服もびしょ濡れになったものの、かすり傷程度で済んだ。そんな葉澄の目の中に、あの少女の足があった。葉澄はゆっくり顔を上げる。
 少女は満面の笑みだった。
「ねえ、綺麗だと思わない?」
「‥‥」
 葉澄は何も答えられなかった。ただ獣を狙う狼にも似たその瞳に、底知れぬ恐怖を感じた。
 葉澄の隣で明が立ち上がる。額から血が出ている。しかし、明はそんな事は気にもせず、少女を見上げていた。麗、晃太も体を起こし、少女を見た。二人共軽傷だ。
「ふんふん〜」
 少女は四人に見られている事を知りながら、鼻歌を歌い、濡れた髪の毛を掻き上げた。その様子はまるで、雨を喜ぶ幼子のようだった。
 四人は黙ったまま、少女をただ見つめていた。何が起こったのか、まったく分からなかった。少女の足から光が飛び出し、その直後の大爆発。一体、何なんだ‥‥。
「‥‥切華」
 雨の中で歌う少女に誰かが声をかけた。葉澄と明が振り向く。そこには灰色のコートを着込んだ長身の若い男が立っていた。目付き、鼻立ち、短いものの真っ黒い髪の毛、全てが少女とよく似ていた。男は明と葉澄の横を通り過ぎると、切華(せつか)と呼ばれた少女の前に立った。
「本当にやったんだな」
 低く、脅しに似た口調だった。だが、切華と呼ばれた少女の笑みは消えない。
「前から言ってたじゃない。やるって」
「そうか‥‥」
 男は深くため息をつく。
「兄さまも一緒にやりましょう」
「前から言ってたはずだ。断る、と」
 兄さまと呼ばれた男は凄味を効かせて答えた。男の手から青い輝きが出る。四人の体が凍り付く。この男もなのか‥‥。そう思った。
 しかし、男の出した光は少女の足から出たそれとは違い、手の中でとどまったままだ。少女の笑みがより不気味なものなる。
 男がゆっくりと前に出る。しかし少女は動かない。
「お前がやめないと言うのなら、俺はやる」
「人が見てるわよ」
「‥‥」
 男が後ろには葉澄と明がいる。切華の後ろには麗と晃太がいる。男は四人を見ると、唇を噛んだ。少女はまた不敵に微笑む。
「今ここで戦ったら、この人達巻き添え喰って死んじゃうんじゃないの?」
「‥‥」
 男は少女を睨み、堪えるように青く光る手を握り締めた。少女は笑みをたたえたまま、手を差し出す。
「私ね、兄さまの事大好きよ。だからできる事なら何もしないで。あと三人殺したら、もう何もしないから」
「もう誰も殺させない」
「優しすぎるわ、兄さまは。本当に、私とは大違い」
「いや、お前は俺と何も変わらない」
「‥‥」
 少女の顔から笑みが消える。その顔は怒りとも悲しみともとれない、複雑な顔だった。
「‥‥また会いましょう」
 少女はそう告げると、その場でジャンプした。その跳躍力は尋常ではなかった。何十メートルか分からない。少女の体はあっと言う間に夜空に消え、見えなくなってしまった。
 葉澄達四人は、その光景を唖然としながら見上げていた。
「‥‥」
 少女の姿が見えなくなると、男はもう一度四人を見た。四人共、その場から動く事もできず、声を出す事もできなかった。
「早く忘れる事だ」
 男は静かに言って、少女と同じようにジャンプして、夜空に消えてしまった。
 電車や駅から立ち昇る煙や炎は未だ吹き出し続け、闇色の夜空を朱色に染めている。パトカーや救急車も何台か来ていた。辺りの喧騒は一層激しくなっていた。
 そんな中、四人は相変わらずそこから動けなかった。それは、駅が爆発したからではない。あの二人の姿が目に焼き付いていたからだった。
 何なんだ、あの二人は‥‥。
 四人は口に出す事無く、そう思っていた。


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