「お願いですから聞いてください!」
 葉澄は声を荒げた。しかし、目の前の男はまったく聞く耳を持とうとしなかった。四十くらいの白髪混じりの男で、愛想がひどく悪い。彼の後ろで佇んでいる女性も似たような顔をしている。女性は警官の格好をしていた。
 そこは警察署の中にある取り調べ室だった。葉澄は事件のあった次の日の朝、警察に昨日の事を話す事にした。しかし、案の定と言うべきか、警官達の態度は冷たかった。
「君、もう帰っていいよ」
「ちゃんと聞いてください! 何か電気みたいな光を出す女の子があそこにいたんです。その子の放った光があの電車を爆破したんです!」
「‥‥こっちも忙しいんだ。もう帰っていいよ」
 男は重くため息を吐いて立ち上がると、女性が扉を開けた。そしてそのまま葉澄を残して二人してさっさと出ていってしまった。一人残された葉澄は、歯軋りをして目の前の机の足を蹴った。
 今、警察内は騒然としていた。勿論、昨日の電車爆破事件の事だ。テレビ局の人もいる。今朝のテレビはあの事件一色だった。しかし、どの局も犯人や原因に関しては一切明確な事は話していなかった。
 葉澄は多くの人達の間を縫うようにして警察署から出た。
 空はいい天気だ。昨日の雨が嘘のようだった。
「‥‥」
 目の前で突然起こったあの信じられない出来事。葉澄は今でももしかしたらあれは夢だったのではないか、と思っていた。目を閉じ、そして開けばいつもと何も変わらない日々があるのではないか。
 しかしテレビのニュース、警察署の騒ぎ、ビルの向こうに見える崩壊した駅。それらを見ると嫌でも現実だと実感した。
 時計を覗く。時間は午前九時。本来ならば学校に行かなければいけない。でも、とても行く気にはなれなかった。切華と呼ばれていたあの少女と、兄さまと呼ばれていたあの男。二人の事が気になってどうしようもなかった。
「‥‥あっ」
 ふと前に見る。そこには昨日見た顔があった。麗だ。その後ろには晃太と明もいる。勿論、名前は知らない。だが、その顔ははっきり覚えていた。三人は葉澄の姿を見ると互いの顔を見合わせる。そして、明が一歩前に出た。
「ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
 それを聞いて、葉澄は昨日の事だとすぐに分かった。
「はい。私も話したい事がありますから」


 四人は警察署の近くにある公園のベンチに腰を降ろした。普段なら主婦の一人や二人いてもいいのだが、今日は皆無だった。公園の外ではマスコミ関係の人々が飛び回っていて、時折救急車が通る。ここからあの駅までは歩いて五分程だ。
「私、小川麗って言うの。よろしくね」
 差し出された手を、葉澄は強く握った。小川麗はジーパンにデニムのシャツという出で立ちで、茶色のストレートヘアーだった。年ははっきりとは分からないが、大人びた風貌と落ち着いた仕草からして、少なくとも自分よりは年上だろう、と思った。
「宮原葉澄と言います」
 葉澄が答えると、次に晃太が手を出す。
「真北晃太。よろしく、ねえちゃん」
 真北晃太は、今流行という感じのストリートファッションを着こなしていた。金髪の短髪を立ち上げ、いかにも軽そうな性格を表している。自分よりも背が低く、何歳なのかさっぱり分からなかったが、自分の事をねえちゃんと呼ぶあたり、年下なのだろうと葉澄は考えた。
 その後、明が葉澄の手を取る。
「金城明と言います。よろしくお願いします」
 きっちりと学制服を着込み、何やら細長い物を握っている金城明。一見すると女のように綺麗だが、その聡明な眼差しは男だけの持てるものだった。
 一通り自己紹介を終えた四人は、一つ小さなため息をつく。皆、嬉しいとも悲しいともとれない、複雑な顔をしていた。葉澄は三人の顔を覗き込んだ。
「皆さんも警察に行ったんですか?」
「ああっ。もっとも、信じちゃくれなかったけどな」
 晃太が呆れた感じでぼやいた。
「まあ、あんな話、すぐに信じてくれるなんて思ってなかったけど」
 彼の隣で麗が首を縦に振る。口には煙草がくわえられている。
「‥‥皆さん、確かに見ましたよね?」
 葉澄はもう一度、三人の顔をしっかり見る。複雑な顔だったものの、三人の顔からははっきりと肯定の様子が見て取れた。
 明が力強く首肯く。
「はい、確かに見ました。今でも信じられませんけど、けど、あの爆発はあの女の子が放ったあの光のせいだと思います」
 明の言葉に、三人が無言で首を縦に振る。
「でも、あれを普通の人には説明できないよな。例えそれが本当に起きた事だとしても」
「‥‥あんなの、おかしいもの」
 晃太の台詞に、麗が煙混じりに答えた。
 そこで言葉が途切れた。四人は確かに見た。女の子の足から青白い輝きが飛び出し、駅の中に入っていった。そしてあの大爆発が起きた。それは紛れもない事実。だが、あまりにも非現実過ぎる。
「あの女の子と男の人、一体誰なのかしら?」
 葉澄は誰に言うでも無く呟く。顔のよく似ていた少女と男。美しい二人だった。
「女の子の名前はセツカ‥‥とか言ってたな」
 重い雰囲気が嫌いなのか、晃太が青い空を見上げてわざと大きな声を張り上げる。
「あの男の人は兄さまって呼ばれてたわよね?」
「という事は兄妹なのか? あの二人」
「そうだと思う」
 あの光が何なのかは葉澄にも分からない。しかし、会話から二人の関係が兄妹だという事は推測できた。兄妹なら顔が似ていて、顔見知りだったとしても納得がいく。
 しかし、そこまでだった。それ以外の事は何も分からない。大地を滑る爆弾に、人間離れした跳躍力。あれは話し合う余地が無かった。
 再び会話が無くなる。
 明は俯く三人を見て、無理に笑顔を作った。
「皆さん学校とかないんですか?」
「私、もう卒業しちゃったわ。大学だけどね」
 麗はポケットから二本目の煙草を取り出す。やっぱり年上だった、と葉澄は首肯く。煙草を持つ仕草も大人っぽい。
「俺さ、辞めたんだよね、高校。つまんねえからさ」
 晃太は麗の持つ煙草を突く。麗は晃太に煙草を手渡す。とてもスムーズな光景だったが、葉澄は思わず小首を傾げる。
「真北君、煙草吸える歳なの?」
「いんや。でもいいじゃん、みんなやってるし。ねえちゃんもやる?」
「遠慮しておくわ」
 晃太の気楽な言い方に葉澄は少し腹が立ったが、それを口にしようとしなかった。その様子を見て、明が早口で言う。
「私は学校があるんですけど、でも、昨日の事が気になってなかなか行く気になれなかったんですよね」
「あっ、それ、私もです」
 唯一同じ立場だと思い、葉澄は声を明るくする。制服が違うので、別の高校なのだろうとは思ったが、それでも友情のような連帯感が持てた。
「やっぱり、行けないですよね」
「ええっ、のうのうと学校に行って授業受けるなんて、気分が悪いです」
 自分だけではないんだ、という思いで葉澄は胸がいっぱいになる。
「気持ちが悪いのは私も一緒。でも、あれを他人に説明するのは苦労するわ」
「苦労っつうか、無理でしょ。だって一眠りすれば夢から覚めるって思ってたもん。あんな馬鹿げた事、夢以外考えられなかったもん」
 一緒に煙草を吐き出す麗と晃太。
 四人はまったく同じ心境だった。夢だったのではないか、と思う昨日の事件。しかし、あれは夢などではない。しかしとても説明できない。あれは人知を越えている。
 何度目かの沈黙が漂い始める。
 今ここで何を話しても決して解決などしない。解決する為にはもう一度あの男や少女に会う必要がある。しかし、もう一度会う事などあるのかどうか‥‥。
 葉澄は頭を振って公園の外を見る。相変わらず、パトカーや救急車の姿が目立つ。一日かそこらでは崩壊した駅を直すのも不可能だろう。ましてや、事件を解決するなんていつになる事か。
「‥‥あっ」
 その時、葉澄が声をあげた。三人が葉澄に目を向ける。
「何?」
 麗の問いにも葉澄は答えない。彼女は一点を見つめていた。三人もその方向を見る。そこには「兄さま」と呼ばれていたあの男が一人で立っていた。パトカーや救急車の様子をじっと見つめている。麗は思わず立ち上がった。
「あっ! あの男!」
「昨日の‥‥」
 明も立ち上がる。その横を葉澄が通り過ぎた。男の元へ走っていた。その後に、晃太、麗、明も続いた。


「あなた!」
 葉澄の声で、男が振り向いた。その目が驚きを示す。女なら誰でも振り向いてしまうような美男だったが、葉澄の脳裏にはそんな事よりも昨日の陰惨な事件がはっきりと思い起こされていた。
「お前は‥‥」
「あなた! 全部説明して下さい!」
 葉澄は周りの人達の目も気にせず、男を指差した。葉澄の後ろでは晃太、麗、明が葉澄と同じような目をしている。
 男は辺りを見回し、戸惑いを見せる。
「何故話しかける? 忘れろと言ったのに」
「忘れられるわけないでしょう。私達、わけが分からないんです。全部説明して下さい。あの女の子の事、あの光の事。あと、あなたの事も」
 葉澄は矢継ぎ早にまくしたてる。男はその態度に思わす身を引いてしまう。だが、辺りに人影が少ない事を確認すると、すぐに冷静な顔つきになる。
「知らない方がいい。知ってもろくな事にはならない」
「それを決めるのはあんたじゃない。俺達だ」
 晃太が言い放つ。麗も明もそれに首肯いた。それでも男の態度は変わらない。
「悪いがそれでも教えられない」
「どうしてよ?」
 麗が食い下がる。男の目が麗に向けられる。何もかもを見透かすような、黒い瞳だ。
「どうしてだって? 昨日のあの光景、忘れてないんだろう? だったら、首は突っ込まない方がいいとすぐに分かるはずだ」
「それは分かります。だけど、このまま何も知らずに帰るのは納得がいかないんです」
 明が前に出て答える。
「‥‥」
 明にも男は射抜くような視線を向けたが、明に怯む様子が無いのを知ると、口を真一文字に結び、頭を掻いた。
「‥‥あの事件の犯人はあの女の子だ。そして、俺はあいつの兄だ。それだけ分かれば十分だろう。じゃあ」
 それだけ言って、男は背中を向ける。
「ちょっと待ってください!」
 男の手を葉澄が掴んだ。その瞬間、男の目の色が変わった。さっき声をかけられていた時より、遥かに驚いた顔をしていた。
「‥‥まだ何かあるのか?」
「あるのかって‥‥説明不足です。あなたの今言った事は、昨日あの現場にいれば何となく分かります。私達はもっと別の事を知りたいんです」
「‥‥」
 男の目は、さっきまでの冷徹な目とは少し違っていた。何かを言おうとしてるが言えない。そんな感じに、葉澄には思えた。でも、何と言いたいのかまでは分からなかった。
 男は葉澄の手をじっと見つめ、それから彼女の顔を見た。その目はさっきまでの冷徹な目ではなかった。
「‥‥分かった。話そう。でもここじゃダメだ。別の場所へ行く」
 男は葉澄にそう告げた。


第1章・完
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