エレクトリック・エチュード 第2章


 男が向かったのは駅から歩いて十分足らずの所にあるマンションだった。高いマンションで、男はそのマンションの最上階の一室に四人を案内した。
 部屋は狭く、四人も入るといっぱいだった。四畳半で小さなベッドが一つ。置いてある物はテレビとタンスくらいで、あとは何も無かった。簡素な部屋だったが、窓から見える光景は見事だった。その窓からは昨日の爆発で半壊した駅もよく見えた。
 男は部屋に入るとコートを脱ぎ、Tシャツ姿になる。非常に引き締まった体付きで、葉澄と麗の目は自然と男の体にいってしまう。しかし、男の方はそんな視線はまったく気にしていない。
 男はベッドに腰掛けた。葉澄が男の隣に腰掛け、その隣に麗が座った。床に晃太と明が座る。
「さてと‥‥じゃあ、順番に教えてくれよ」
 晃太の言葉に男はすぐには答えず、ズボンのポケットの中から煙草を取り出した。口に加え、その先端に手をかざす。すると、ライターも何も持っていないのに、煙草に火がついた。四人は一瞬我が目を疑った。
「えっ? なっ、何、今の」
 葉澄が素っ頓狂な声をあげる。
「今のが、俺と切華の持つ力だ」
「‥‥力?」
「そうだ。簡単に言えば電気の力だ」
「‥‥」
 この男は何を言ってるのだろう。葉澄は思った。力? 電気? まるでSF小説だ。
 男は煙を吐きながら、子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し始める。
「人間の体には微弱ながら電気が流れている。それは感電もしなければ感じもしないものだ。だが、俺と切華には普通の人の何千倍、何万倍もの電気が流れている。昨日のあの爆発、そして今の煙草の火。それは全部、その力だ」
「‥‥」
 麗が黙ったまま、怪訝な顔をする。晃太も明も葉澄も、内容をよく理解していないようだった。男が今言った事は、あまりにもふざけていた。いくら目の前で言われても、すぐには理解できなかった。
 男は四人の顔を一度見ると、煙草を口にくわえ、片手を突き出す。
「まだ信じられないか‥‥」
 男の手が青く輝きだした。それは確かに昨日見た、あの光だった。光は一本の線になって伸び、剣のような形になる。四人はただただ唖然としながらその光景に見入っていた。
「この光は電気でできている」
「‥‥」
 幻想的ですらあるその剣の形をした光。明がぼうっとそれを眺め、手を出して触れようとする。男の顔つきが険しくなる。
「感電して死ぬぞ。何でも三万ボルトらしいからな」
 そう言われ、明は急いで手を引っ込めた。
 男はその光の物体を上下左右に動かす。その物体は動く度に熱い熱波のようなものを放った。葉澄や麗は少し顔を遠ざける。男は四人の様子を一通り見た後、その光を消した。光が手の中に吸い込まれていくようだった。
「これで信じただろう?」
「‥‥」
 四人は口を開けたまま呆然としていた。こんな事があっていいのか、こんな非現実的な事がこの世に存在するのか。昨日の爆発。そして今の光‥‥。
「‥‥話しすぎたな。もういいだろう?」
 呆然する四人に、男は吐き捨てるように言った。こういう態度になる事があらかじめ分かっていたようだ。その言葉に葉澄は我に返る。
「まっ、まだです。まだあなた自身の事、ほとんど分かってないんですから」
「知ってどうするつもりなんだ? 何もできないだろう」
「するしないの問題じゃないです。納得できないんです」
 確かに信じられない。その光景を見た今でも、瞬きをすれば全部が夢だったのではないか、と思える。だが、そんな事は無い。今見た光景は、瞬きをしても忘れない。
 そして、葉澄はまだ全てに納得していなかった。
「‥‥」
 男は大きくため息をついて眉間を揉んだ。言いたくない。そう言いたいのが四人にも分かった。
「私、宮原葉澄と言います。近所の高校に通ってる十八歳です。もう少しで大学受験です。本当は今日も学校なんですけど、サボっちゃってます。初めてです」
 葉澄はいきなり自己紹介を始めた。自分の事は言わず、相手の事だけを聞くのも失礼だ、という葉澄の考えだった。そして、自分も喋ったんだからあなたも話してほしい。そんな願いもあった。
 それを素早く察知したのか、麗も話しだす。
「私は小川麗。去年大学を卒業して、今はもっぱら就職活動中の二十三歳。実家に戻ろうかなって思ってた時にあの事件に巻き込まれたの」
 続いて晃太。
「俺は真北晃太。先月まで高校に通ってたけど、つまらないからやめた十七歳。今はフリーターってやつ」
 最後に明。
「私は金城明と言います。近く私立高校の二年で、剣道部に所属してる十八歳です」
 それぞれの自己紹介を終え、残ったのは男だけだった。男は四人の顔をゆっくりと見て回る。
「まだ俺と関わり合いたいのか?」
「関わり合うかは分からないです。でも、あなたの事は知りたいんです」
 聞いて、それで自分が何をするかは分からない。でも、このまま家に帰って元の生活に戻るなど、葉澄はしたくなかった。他の三人も同じ目をしていた。男は頭を乱暴に掻き、重い口を開いた。
「俺は近衛紅矢。二十三。お前達が昨日見たあの女。あれは俺の妹の切華だ。あいつも俺と同じ力を持っている」
「昨日の電車爆破事件はあなたの妹さんがやったんですね?」
 葉澄が男、紅矢の顔を覗き込む。
「そうだ。あの電車にはとある人物が乗っていた。あいつは、切華はそいつを殺す為にあんな事をしたんだ」
「ある人物?」
 麗が身を乗り出す。
「神奈川勇という男だ。知らないだろ?」
「聞いた事の無い名前ですね。真北君、知ってます?」
 明が晃太を見る。晃太は小首を傾げる。
「知らねえ。それよりさ、もしかしてその神奈川って奴一人を殺す為だけに電車を丸ごと爆破したのか? あんたの妹は」
 晃太の言葉に、紅矢の顔が曇る。
「そうだ。あいつはもう手段を選ばない。目的を達する為なら他人の犠牲なんか考えないだろう‥‥」
 おもむろに紅矢はテレビをつけた。テレビはどの局も例の電車爆破事件の事を報道していた。崩壊した駅内の様子が映され、画面の下には死亡した人間の名前が次々と並べられる。昨日の事件で亡くなった人の数は今のところ、七十九人だった。
 その中に神奈川という男がいたかどうかは分からないが、仮に一人がそうだったとして、残りの七十八人はまったくの無関係だったという事になる。
「‥‥どうして、あなたの妹さんはその神奈川という人を?」
 葉澄のその質問に、紅矢の口はより重たくなる。
「それは言えない。これはあくまで俺と切華だけの問題だ」
 そう言われ、葉澄は口を噤む。どんな理由なのかまったく想像がつかない。しかし、あの不思議な力を持っているのだ。きっとそこには、人には言えない重い理由があるのだろう。そう思い、葉澄は別の質問をする事にした。
「それじゃあ、彼女はまだあんな事をするつもりなんですか?」
「ああっ。あと三人だ」
「三人も?」
 葉澄は目を見開く。一人であれだけの事をやったのだ。あと三人狙ったとしたら、犠牲者の数はとんでもないものになる。
「それで、あなたはそれを食い止めようとしているわけね?」
 麗がテレビを見ながら冷静に告げた。昨日、四人が見た紅矢は、どう見ても切華と仲の良い雰囲気ではなかった。そこから察したのだろう。
「ああっ、これ以上やらせるわけにはいかない」
 紅矢は拳を堅く握り締め、自分自身に言うように呟いた。
 一通り言い終えたところで、紅矢は重い腰を持ち上げる。
「‥‥もうこれで十分だろ? さあ、もう帰ってくれ」
 紅矢は玄関に向かう。しかし、葉澄も麗もそこから動こうとしない。
「どう思います? 小川さん」
「どうって言われても。何もかもが信じられない話だけど、でも信じるしかないわよ。目の前であんなの見せられちゃ、幻想だとは言えないわ」
 麗は紅矢のいる玄関とテレビを交互に見つめながら、重く呟く。
「そう‥‥ですよね」
 葉澄の言葉も重かった。今まで当たり前の世界を生きてきた葉澄にとって、今のこの情況はすぐに理解できるものではなかった。
「何やってるんだ。早く帰ってくれ」
 玄関の方で紅矢が声を張り上げる。しかし、誰も出ていこうとしない。理解できない。でもこのまま帰って、また普通の元の生活に戻っていいのか、葉澄は迷っていた。
 紅矢が部屋に戻ってくる。
「何考えてるんだ? 君達がここにいたって何の意味も無いだろう? 俺や切華の力を見ただろう? 変な気を起こしてみろ。切華に焼き殺されるだけだぞ」
「待ってくれよ。にいちゃん。どうやら神奈川って奴、死んでなさそうだぞ」
「‥‥何?」
 さっきから黙っていた晃太が顔をあげた。晃太と明はずっとテレビの死亡人欄を見ていたのだ。明が冷静に言う。
「神奈川勇という人は、死亡欄の中にはありませんでした。あの人は、怪我を負って近くの病院に運ばれたみたいです」
「‥‥」
 紅矢は黙る。そして、灰色のコートを手に取る。葉澄達も立ち上がる。
「一緒には来るなよ」
 脅すような低めの声に、葉澄はビクンと体を強ばらせる。この人についていったら、またあの少女と出くわすかもしれない。そうしたら、どうなるのか。その恐怖が男の今の言葉に凝縮されていた。
 しかし、葉澄はどうしてもこの人についていきたい気持ちになっていた。
「じゃあ、何でそこまで私達に話してくれたんですか?」
 葉澄の言葉に、紅矢は半笑いになる。
「何故? 聞きたいと言ったから答えただけだ。こんな事、誰に言ったって信じちゃくれない。君達に言ったところで、何の問題も無いからな」
「‥‥」
 コートを羽織り、出発の準備をする紅矢に、葉澄は何も言えなかった。紅矢の言う通りだ。自分達は知りたい事を知る事が出来た。目的はそれだった。
「でも、このまま何もせずまた元の生活に戻っても‥‥嫌です!」
 それが葉澄の正直な気持ちだった。確かに自分は何もできない。いたところで、邪魔なだけだろう。でも、あの現場を見ておきながら何もしないというのは堪えられなかった。殺人犯を見つけたのに、通報もできないような歯痒さ。犯人の顔も、これから何をするのかも知っている。なのに何もできない。それが悔しかった。
「なあ、あんちゃん。今回だけ行っていいだろ?」
 晃太が駄々をこねる。まるで子供だ。紅矢は呆れた顔で晃太の頭を叩く。
「何考えてるんだ? 君達は。切華を見たんだろ? 駅が吹っ飛ぶのを見たんだろ? なのにどうしてついてきたがる? 異常だ」
「でもさ、神奈川っておっさんの情報を教えたのは俺達だぜ? その恩返しぐらいしてくれてもいいじゃないか」
「恩? テレビを見てただけじゃないか。それにどんな形で恩返しをしてほしいんだ? 一緒にくれば満足なのか?」
「少なくとも俺はそれで満足する。こんな事は人生の中で早々拝めるもんじゃない」
「‥‥どうかしてるぞ、お前」
 紅矢は呆れて天を仰ぐ。そんな彼に今度は麗が言う。
「あの時あそこであなた達を見たのは私達だけじゃなかったらどうする? もしかしたら、あなた達を探して警察の人が街中を歩き回っているかもしれないわ」
「‥‥何が言いたい?」
「警官に同行を求められた時、あなたはどうするつもりなの? 時間はあまり無いんでしょう? そこに私達がいれば、誤魔化す事が出来るわ。私達は関係無いんですもの」
 得意気になって語る麗。葉澄の知る限り、自分達以外に二人の行動を見ていた者はいなかった。だがはっきりとは分からない。もしかしたら、誰か見ていた人がいたかもしれない。
 反論できない紅矢は苦い顔付きになる。
「‥‥どうしてそこまでしてついてきたがるんだ? 俺には分からない」
「見てみたくなった。その程度の理由じゃ満足できない?」
「勝手にしろ」
 笑みを浮かべる麗を一瞥し、紅矢は部屋から出た。


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