「はばたけ! 蝶の羽よ!」  そのB


「‥‥吉本。お前、何者なんだ?」
「言ったでしょ? 007のファンなんですよ」
「それだけの理由でバズーカなんか持つのか?」
「本当はイギリス人に生まれたかったです」
 煙を吐く黒い鉄の筒を持った倉田が、異形の目で吉本を見つめる。吉本はそんな倉田にバズーカの弾を手渡す。
「局長を助ける為にやってるんですから、そんな目で見ないでください。あと、くれぐれも直撃させちゃ駄目ですよ。死んだら意味無いですから」
「‥‥」
 さらさらと言ってのける吉本に圧倒されながらも、倉田は弾をバズーカに込めて、光一達の乗っている車めがけて引き金を引いた。オレンジ色の閃光が飛び出し、道路の地平線辺りで爆発した。その爆発がみるみると迫ってくる。吉本は華麗な運転さばきで、その爆発を抜けていく。
 そんな二人の車の後方から、ボンネットが半分程ひしゃげたパトカーが迫ってきていた。そして、まるでジェットエンジンでも積んでるかのようなスピードで、倉田達の車の真横につく。
 パトカーの窓から再び茜が顔を出す。
「交通法違反プラス銃刀法違反で逮捕だ! お前ら、世界征服を企んでるな! そんな事はお天道様が許しても、この森本茜が許さんぞ!」
「何時代の人間だ、お前は!」
 倉田も負けじと窓から顔を突き出し、応戦する。猛スピードで走る車に乗っている同志の会話とは思えない程、二人の言葉は大きかった。二人共、スピーカーで話しているかのようだった。
 久美はじっと吉本の顔を見つめている。その視線に気づいたのか、吉本も久美の方を見る。久美は笑顔で吉本に片手で手をふる。
「私ね、最近彼氏と別れたの。どうしてだと思う?」
 その問いに吉本は含み笑いをする。
「さあね」
「スピード狂なのよ! 私! 誰も私のドライブに耐えられないの!」
「そんな事だろうと思ったよ!」
 その言葉を合図に二台の車は一気に加速した。スピードは百三十キロを突破した。パトカーが僅かに前に出て、吉本の車の進行を妨げようとする。しかし、吉本はパトカーの反対方向にハンドルを切り、その妨害から逃れる。パトカーは吉本の車の後ろにつくが、すぐに横から追い抜こうと左側から走っていく。すると今度は吉本の車がその進行を妨げようと左に寄る。しかし、その瞬間、パトカーが僅かにスピードを落とし、素早く右に移動する。再び、二台の車は並走状態になった。
「いい走りだ!」
「なかなか燃えるわね」
 吉本と久美は満足気な笑みを浮かべる。それを見る倉田と茜の顔は半分青ざめていた。凄まじい蛇行の連続と、今まで知らなかった友の豹変ぶりで青ざめていたのだ。
 高速道路を走っている他の車達は、二台の暴走を知ってか、無理に近づこうとせず、四つある車線の内、両端を走っている。車の通っていない真ん中の二車線を、吉本の車と久美のパトカーが疾走していた。
 そして、光一達の乗っている車に確実に近づいていた。


 私と光一を乗せた車の先に、道がYの字の別れ道があった。左の道の上に看板があり、街の名前が書いてある。どうやら、左に行くと高速を降りるようだ。
「どっちに行くの?」
「出来るだけ高速に乗っていたいからな。右だ」
 光一はそう言って、ハンドルを右に切った。車はYの字の右の道に入った。
 しかし、私は周りが少しおかしい事に気づいた。他の車は皆、左の道を行っている。右を選んだのは私達の車だけだ。道の先を見ても、一台の車も通ってない。
「ねえ、少しおかしくない? こっちの道、私達の車しか走ってないよ」
 私の言葉を聞いて、光一は辺りを見回す。そして、初めてそれに気がついたようだった。
「そう言えばそうだな。何でだろう?」
「戻った方がいいんじゃないの?」
「そうしたら、捕まるぞ。大丈夫、何とかなるさ」
 何とかなるさ、という言葉は彼らしくないと私は思った。でも、確かに彼の言う通り、
ここで戻ったら間違いなく倉田に捕まってしまうだろう。だから、それ以上は何も言えなかった。
 後ろを見てみると、青い車とパトカーが並びながら近づいていた。二台共、くっついたり離れたりして、安定していない。
「どうやら、あのパトカーは俺達じゃなくて、倉田達の事を追ってるみたいだ。ラッキーだな、このまま二台が共倒れになってくれれば」
 バックミラーを動かしながら、光一が言う。前はあまり見ていなかった。そして、私も後ろの二台が気になってあまり前を気にしていなかった。


「前の車にはなぁ、ガキと女が乗ってるんだ。その二人さえ捕まえれば、お前らには手は出さない。だから、とっとと失せろ! バカ女!」
「バカって言うな! 若い男女の恋を阻止しようだなんて、あんたも大人げないわね!」
「違うっつうの!」
 相変わらず倉田と茜は窓から身を乗り出し、罵り合いを続けている。吉本と久美は運転する事に熱中して、そんな二人の事など気にしていなかった。吉本と久美は当初の目的を完全に忘れていた。
「お前みたいな女は絶対に結婚出来ないからな!」
「っ‥‥人が気にしてる事を。あんたいつか絶対に私の足舐めさせてやるから」
「死んでも舐めるか!」
「じゃあ、死ね!」
「はんっ! ‥‥‥‥んっ?」
 倉田が顔を道の先に向けた時だった。倉田の目に奇妙なモノが飛び込んできた。
「おい、あれ‥‥」
「何よ! ‥‥‥げっ!」
 倉田の指差す方向を見た茜は、思わず声を上げてしまう。
 二人の見たもの。それは美しい空だった。そして、その空は高速道路と高速道路の間にある。道路が途中で無くなっていた。その距離、およそ三十メートル。そこだけ、ぽっかりと道路が無かった。
「吉本! 吉本! 道が途中で無くなってるぞ! って聞いてんのか?」
「久美! 久美! 道が途中で無くなってるわよ! って聞いてんの?」 
 二人はお互いの運転手に呼びかける。しかし、その運転手は運転に夢中だった。
「いいわ、いいわ、この感覚。久しぶりだわ‥‥」
 と目のすわった久美。
「俺の007魂をここまで引き出すとは、あの女、ただものじゃねえな」
 と荒い息継ぎをする吉本。
「道がねえんだよぉぉ!!」
 と涙を流し絶叫する倉田と茜。
 三台の車は刻一刻と道路の切れ目に近づいていた。


「ちっくしょう! こんなの計算外だぞ!」
 ハンドルを激しく叩きながら、光一は悶絶する。後ろからは相変わらず、二台の車が猛スピードでついてくる。スピードを落とせない私達の車は道路の途切れに確実に近づいていた。このままのスピードで行ったら、あと一分くらいでついてしまう。
「‥‥仕方ない」
「どうするつもり?」
「今から百八十度、車を回転させる。そして、あの二台の横を通り過ぎる」
「でも、危ないんでしょ?」
「このまま落ちるよりは可能性がある。大丈夫だ、君は何の心配もしなくていい。絶対に離れ離れになんかならないから」
 光一は額に浮かんだ無数の脂汗を乱暴に拭いながら言う。小さな深呼吸を何度も繰り返し、とても苦しそうな顔をしていた。私はそんな光一を、見つめる事しか出来なかった。
「‥‥‥‥」
 もし翔べたら。
 その時、ふと思った。もし翔べたら、車は駄目になってしまうかもしれないけど、私と光一だけなら向こう側に行けるかもしれない。車でジャンプして、飛んでる間に私が光一を抱いて外に出て、そして翔んで向こう側まで行く。
 でも、この羽は一度だって、私の言う事を聞いたくれた事など無い。何度も翔びたいと願ったのに、決して叶えてはくれなかった。
 一体何の為に、この羽は生えているのだろう? 蝶も鳥も翔ぶ為に羽を持っている。羽があるから翔べるんだ。私にも、羽が生えてる。なのに、翔べない。
 悔しい。こんなに私の事を守ろうとしている人がいるのに、私はそんな彼に何もしてやれない。私も何かしたい。彼の為に何かしたい。彼を助けてあげたい。
 翔びたい!!
「待って! そのまま走り続けて!」
「えっ?」
 光一が驚いた様子で私を見る。私は真剣な眼差しで光一を見返す。
「私が。私があなたを助ける! だから、走り続けて!」
 刻一刻と高速道路の切れ目が近づいてくる。しかし、車の中だけが時が止まったように静かだった。そして、ゆっくりと光一は言った。
「‥‥飛んで、いいんだな?」
「うん」
「‥‥よし。任せたぜ!」
 全てを分かってくれた光一は、スピードを早めた。私はドアの窓を全開にした。風が凄い勢いで飛び込んでくる。こんなに強い風を浴びたのは初めてだ。これなら翔べる! いや、絶対に翔んでみせる!
 私の羽よ。一回だけでいい。一回だけでいいから‥‥‥。
 はばたいて!! 


 タイヤが空を走った。車がジャンプした。全てがスローモーションになって動く。風の音が聞こえなくなった。光一の声が聞こえなくなった。私の心臓の音だけが、何度も耳に響いた。
 私は右手をのばし、光一の手を強く握った。そして、左手で窓の淵を強く掴んだ。
 両足で椅子を蹴った。体が車から出た。光一の体も外に出た。車がゆっくりと下へ流れていく。光一の手から、彼の心臓の鼓動を感じた。背中に力を込めた。羽が開いたのかどうか、分からない。でも、私は精一杯、羽を動かした。動かしたつもりだった。本当に動いているのかは分からない。でも、精一杯祈った。
翔べ、と。
 光一の方を見た。
 彼は笑顔で、私を見ていた。


 「不思議な子もいるものねぇ」
「‥‥‥お前、それくらいしか感想がないのか?」
 倉田が道路に両膝をつきながら、茜を見上げた。茜は清々しい風を浴びながら、高速道路の遥か彼方を見つめていた。
「いいドライビングテクね。どこで習ったの?」
「007の映画で」
「あら。私と同じね。007の中で何が一番好き?」
「ティモシー・ダルトンのリビングデイライツだ」
「あらあら。それも私と同じね」
 煙草を吸いながら、久美が吉本を見つめている。吉本も久美と同じ銘柄の煙草を口にしながら、目を細めながら久美を見返している。互いの目が合うと、二人はどこか恥ずかしげに笑った。
 青い車とパトカーは、道路の切れ目近くに止まっていた。二台のタイヤから、白い煙がモクモクと立っている。道路にそのタイヤがつけた黒い跡が長くついていた。白い煙が美しい青空に溶けていった。
「うーん、恋ってなんて素晴らしいんでしょう。私もあんな恋がしてみたい!」
「お前じゃ無理だよ
「‥‥‥天国ってどんな所だと思う?」
「‥‥」
 顔を引きつらせる倉田と、額に血管を浮き上がらせている茜。
「今度、一緒にドライブでもいかが?」
「いいね。どこまで行く?」
「そうね。北海道で朝日を見て、九州の桜島で日没を見るっていうのはどう?」
「はははっ、退屈しない一日になりそうだな」
 とにこやかに久美と吉本。
 そして、四人は向こう側の道路の切れ目を眺めた。
 そこには、羽の生えた少女と、白衣を来た青年の姿が小さく映っていた。二人は道路を走っていた。
 ずっと走り続けていた。
                                                        終わり


あとがき
確か大学一年の頃に書いた作品だったと思います。当時、ちょうど洋楽のロックやパンクなどを聞きだした頃で、エアロスミスなんかを聞いてイメージが沸いたはずです。いや、グリーン・デイだったかな。‥‥忘れしまった;; 今改めて読むとグリーン・デイっぽい感じがしますけどね。
とにかくハイテンションでストレート、恋愛もストレート。んな感じの作品です。


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