「ICE ROSEの童話」  その@


 昔、昔
 周りを山に囲まれた、ある大きな街がありました。街の真ん中には巨大な城が建っていて、街は活気に溢れ、昼でも夜でも人の姿が消えませんでした。
 その街にある小さな花屋に、ローズという女の子が働いていました。
 ローズはみなしごでした。赤ん坊の頃、毛布に包まれて泣いている所を、花屋のおじいさんとおばあさんが拾って育てたのです。
 花屋を営んでいたおじいさんとおばあさんには、子供がいませんでした。なので、二人は我が子のようにその赤ん坊を育てました。真っ赤な髪の毛。それがその赤ん坊の特徴でした。おじいさんとおばあさんは、その髪の毛がバラのように赤い、という理由でその女の子をローズと名付けたのです。
 ローズはすくすくと育ち、誰もが見ても可愛いと言える程の女の子になりました。誰にでも明るく接し、いつも笑みを絶やしません。おじいさんとおばあさんが営んでいた花屋の仕事を手伝うようになると、その可愛らしい微笑みが見たくて、いつもたくさんの人が花屋に来るようになりました。
 ローズはあっと言う間に、街の人気者になっていったのです。


「なあ、ローズや」
 ローズが男の人と結婚する程の年になった時、おばあさんは言いました。
「なあに? おばあちゃん」
「お前ももうそろそろ結婚する年。誰か、いい男の人はいないのかい?」
 そう聞くと、ローズはしばらく迷っていましたが、こう言いました。
「花屋には色々な男の人が来るけれど、結婚したいと思う男の人はいないわ」
 おばあさんはがっくりと肩を落とします。
「お前はとても可愛い子だよ。結婚したいと言えば、きっとたくさんの人が来る。私はお前の実の親じゃないけれど、娘みたいに育ててきた。出来れば、孫の顔が見たいよ」
 そう言われ、ローズは少しの間考え、そして言いました。
「分かったわ、おばあちゃん。私、結婚するわ。そして、おばあちゃんとおじいちゃんに子供の顔を見せる」
 ローズは悲しい顔をするおばあさんを見たくないから、結婚の話を承諾しました。それを聞き、おばあさんの顔はたちまち明るいものになりました。
「そうかい! だったら、花屋の前に看板を立てよう。そして、お前の婚約者を募ろう」


 花屋の前に看板が立てられました。そして集まってきた男の数は星の数程にもなりました。その中にはお城の王子、レイクの姿もありました。
 美しい金色の髪の毛は女性のように細く、街の女達は誰もがレイク王子に憧れを抱いていました。
 レイク王子はローズと同じ年でしたが、結婚したいと思う女性がいませんでした。ほとんど街に出ず、毎日お城の中で暮らしていたので、お城の中の女性しか知らなかったのです。そして、お城の中には彼の心を射止める者は一人もいませんでした。
 後継ぎが出来ず、困り果てていた城の王様は、その看板に書いてある女性の話を聞き、レイク王子にその女性に会いに行けと命じたです。レイク王子は渋々、父の命令を聞きました。
(城の中には、私の心を射止める者はいなかった。このローズという女性は、私の心を射止めてくれるのだろうか?)
 レイク王子はローズを見た事がありませんでした。そして、初めてローズを見た時、レイク王子はあっと言う間に、彼女に恋をしてしまったのです。


 ある日、花屋の前に集まった男の人達を、ローズは不安な顔で見つめていました。
「この中に、私の結婚相手になる人はいるのかしら?」
 そう思っていた時でした。ローズの目に、一人の男性が映りました。それはレイク王子でした。目が合った瞬間、ローズはレイク王子の美しさと気品さに恋をしてしまいました。
「‥‥あなたは?」
 ローズは熱くなった胸を押さえながら、レイク王子に訊ねました。
「私はお城に住んでいるレイクという者です」
「レイク? もしかして、レイク王子ですか?」
「はい。あの看板を見て、やってきました」
 ローズは目の前にいる男の人が、あの噂に聞いたレイク王子だと知り、どうしていいか分からなくなってしまいました。しかし、レイク王子は真剣な眼差しで、ローズに言ったのです。
「私は一目見て、あなたに恋をしました。ぜひ、私と結婚してください」
 レイク王子は、ローズの手を握り、その手の平に口付けをしました。それを見て、周りの男達がオオーッと感嘆の声をあげました。手の平に口付けをする、という事はその相手に一生を捧げるという意味でした。
 ローズは頬を真っ赤に赤らめ、首を縦に振りました。
「はい。私で良ければ」
 こうして、ローズはレイク王子と結婚する事になったのです。


 二人の結婚の話は、すぐに国中に広がり、多くの者は美男美女の結婚に拍手喝采を送りました。しかし、一人だけ、それを嬉しく思わない人がいました。
 街でも有数のお金持ちの娘、レイジーでした。レイジーは街で一番大きい屋敷に暮らす娘で、わがままで、自分の気に入らない事は決して許さない性格の娘でした。
 彼女はレイク王子の事が昔から好きでした。そして、結婚出来る年になったら、すぐにでもレイク王子と結婚しようと思っていたのです。しかし、突然現れた町娘とレイク王子は結婚する事になってしまったのです。
 レイジーは怒りました。美しい蒼色の髪の毛を逆立て、怒り狂いました。
「そのローズとかいう女は絶対に許さないわ! 絶対に、レイク王子と結婚なんかさせない!」
 白いドレスを振り乱し、彼女は考えました。どうすれば、ローズとレイク王子が結婚せずに済むのか。そして、一つの名案が思い浮かびました。
(‥‥結婚式までに、彼女が喋れなくなればいいんだわ)
 この国の結婚式は、大勢の人の前で花嫁と花婿が契りの約束事を交わします。それが交わされない結婚式は認められません。その契りとは、互いを生涯の伴侶として認める、とはっきりと“口で言う”のです。つまり、喋る事の出来ない者は結婚出来ないのです。
「そいつの舌を引き抜いてやる!」
 レイジーはそう決意したのです。


 それからしばらく日にちが過ぎ、ローズとレイク王子の結婚式は明日になりました。
 ローズはその日の夜、レイク王子と共にお城の部屋で肩を寄せ合い、明日の事を話し合っていました。
「明日はきっと、とても素敵な結婚式になるでしょうね」
「ああっ。素晴らしい結婚式になるさ」
 ローズとレイク王子は互いの顔を見合っては、小さな笑みを浮かべます。二人共、明日が待ちきれない様子でした。
「それじゃあ、私。明日の為にもう寝るわ」
 そう言って、ゆっくりとローズは立ち上がりました。
「ああっ、そうするといい。僕も今日は早めに寝る事にするよ」
 立ち上がったローズの手を名残惜しそうに握りながら、レイク王子は言いました。
 結婚していない二人はまだ、同じベッドで眠る事が許されていません。ローズはレイク王子のいる部屋から出ると、自分の部屋に戻りました。
 長い廊下を一人で歩くローズ。外はもう暗く、時折聞こえる烏や梟の声が、ローズの足を早めます。そんな時でした。天井を支える柱の影に誰かがいるのに、ローズは気づきました。
「‥‥誰かいるの?」
 その影に向かって、ローズは言いました。しかし、返事は返ってきません。ローズは恐る恐るその影に足をのばしていきます。一向に、その影はこちらに来ようとはしません。ローズは唾を飲み込むとその影に手をのばしました。
「きゃっ!」
 その瞬間、その影から手がのび、ローズの腕を掴みました。そして、勢い良く引っ張ると、ローズをその影に引きずり込んでしまったのです。
 その影の正体はレイジーでした。レイジーはローズの口を塞ぐと、手にした鍛冶用のペンチを振りかざしました。
「‥‥!」
「レイク王子は私だけのもの。あなたのものじゃない。結婚なんかさせないわ」
 そう言うと、レイジーはローズの口を無理矢理こじ開け、その中にペンチを差し入れました。その瞬間、ローズの喉の奥に凄まじい痛みが走りました。
「んーーーーっ!」
 レイジーの手にしたペンチは無残にローズの舌を引き抜きました。ローズの口から真っ赤な血が溢れ出ます。ローズは涙を流し、口を押さえます。しかし、既に彼女の舌はその口の中にはありませんでした。
「一生、約束を交わせないで悔しがりなさい」
 レイジーは蒼髪をかき上げ、そう言うと、今度はドレスの中から床屋で使う鎌型のはさみを取り出し、ローズの美しい赤髪をばっさりと切ってしまいました。肩を覆っていた髪の毛は床に落ち、ローズは首まではっきり見えてしまう程の短髪になってしまいました。
「ううっ‥‥ううっ‥‥うっ」
 血の溢れる口を片手で押さえ、もう片方の手で床に落ちた髪の毛を懸命に拾おうとするローズ。レイジーは小さく笑うと、その場から駆け足で去っていきました。
 そして、そこにはローズだけがとり残されました。
                                


 次の日。お城の中は大慌てでした。花婿がいるのに、花嫁がどこにもいないのです。レイク王子を始め、数百人の召使い達がローズを探しましたが、結局ローズは見つかりませんでした。そのはずです。彼女はもう、お城の中にはいなかったのですから。
 そして、結婚式は中止となりました。レイク王子は集まってくれた大勢の街人に全てを打ち明けました。
「ローズを捜し出した者には金貨五百枚を授ける! だから、一刻も早くローズを見つけてくれ!」
 レイク王子の悲痛な姿を、レイジーは一人笑いながら見ていました。
(もう二度と、あの女はレイク王子の前に姿を現さないわ。レイク王子‥‥。あなたは、私のもの‥‥)
 レイジーはドレスの中に隠したローズの舌を握り締めながら、そう思いました。


 ローズは一人で街から相当離れた森の中を歩いていました。口の周りには血の乾いた痕があり、手には切られた髪の毛が握られていました。
 ローズは何も考えず、ただぼんやりと前を見つめながら、森の中を歩いていました。陽は暮れ始め、辺りはうっそうと茂る草木しかありません。
(‥‥これから、私はどうすればいいのだろう? もう、街には戻れない。レイク王子と結婚する事も、きっともう出来ない。喋る事すら出来ない。もう、生きていても仕方ない)
 ローズはそう思いながら、歩いていました。
 目の前に何か光るものが見えました。それは小さな池でした。ぐるりと端から端まで見渡せてしまえる程の小さな池。しかし、底は見えません。水は深い蒼色で、どのくらい深いのかまったく分かりませんでした。
 ローズは池の前で立ち止まると、その池を見下ろしました。
(ちょうどいい。この池に身を投げて死のう‥‥)
 そう決意したローズは、そのまま蒼い水の池に身を投げました。冷たい水が、あっと言う間に、ローズを包み込んでしまいました。
 水の中でローズは思いました。
(そう言えば、あの女性もこんな水の色の髪の毛をしていた‥‥)
 その瞬間、ローズの心の中で何か音をたてて切れました。
(私は何も悪い事なんかしていない。誰かから無理矢理レイク王子をとったわけでもない。まして、街にいた頃は人に恨まれるような事なんて何一つしなかった。なのに、どうして私がこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。何故、大切な髪を切られ、舌まで引き抜かれてしまうのだろう。そんなのは不公平だ。私だけが辛い目に遭うなんて、嫌だ!)
 そう思った時、耳の奥の方で何かが割れるような音がしました。


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