「Rusty Runners」  その@


 俺の親父とお袋が出会ったのは少年院の中だったそうだ。親父は電車の中で肩がぶつかった高校生と喧嘩になり、相手の骨を五本折った為に、そしてお袋は金で自分の体を買おうとした男の太股にナイフを刺した為に、それぞれ少年院に送られた。少年院に送られたのは、これがお互い三度目だった。
 親父とお袋はそこで出会ってあっと言う間に恋に落ちた。聞いた話だと、背筋にビビッとした電撃みたいなものが走ったんだとか。どっかの芸能人じゃないんだから、別の言い方もあっただろうに。とにかく、二人は獄中で恋に落ちて、お袋は獄中で俺を身篭もった。
 その時、親父は十五歳。お袋は十三歳だった。
 俺はそんな二人に大事に育てられた。大事に育てられはしたが、それは世間一般で言う大事とはちょっと違った。俺は小学校にも中学校にも高校にも行っていない。何故か? それは二人が毎夜毎夜こんな事を言いながら、俺を寝かしつけたからだ。
「いいか、よく聞け荒也(こうや)。“ナチュラル・ボーン・キラーズ”って映画を知ってるか? 突然出会って恋に落ちた殺人者のカップルの話だ。彼らは言うんだ。俺達は“生まれつき殺人者だ”ってな。俺と母さんはな、お互い十代で立派な犯罪者になっちまった。つまりだ、その俺達から生まれたお前も、かなりのワルだって事さ」
 こんな子守歌を聞きながら育った俺は、勿論マトモになんかならなかった。


 俺を乗せた車は今、人気の無い山道を進んでいる。親父が運転席に、お袋は助手席についている。俺は後部座席で窓から見える景色を眺めている。遥か遠くに田舎っぽい町々が見えた。
 俺は運転席の親父の肩を叩く。
「なあ、親父、これからどこに行くんだ? まさか、休日のバカンスなんて言うんじゃないだろうな?」
 親父は眉をひそめる。
「ったりめえだろうが。なあ、ハニーよ。今、ウチの家計は大丈夫なのか?」
 親父はお袋の名を呼んだ。今年三十三歳になる親父だが、俺から見たって格好良いと思う。渋いと言うにはまだ早い。ボサボサの髪の毛も引き締まった筋肉もまだまだイケる。親父はお袋の事を“ハニー”と呼ぶ。他の名前で呼んだ事が無い。だから、俺はお袋の本名を知らない。でもまあ、そんなに困ってはいない。
「全然大丈夫じゃないわ、ダーリン。このままだと、あと一年もしないうちに私達、一家心中しなくっちゃいけないわ」
 お袋はケラケラと笑って答える。
 今年三十一になるお袋だが、息子の俺が言うのも何だが綺麗な方だ。体付きはいいし、胸もちゃんと出てる。優雅な曲線を描いている長い栗色の髪の毛。パッと見て、殺人者には見えない。パッと見なくても、殺人者には見えないが。
 ちなみに、親父の本名も知らない。お袋は“ダーリン”以外の呼び名で親父を呼んだ事が無いからだ。
「だそうだ、荒也。というわけで、資金を徴収しに行くんだ」
「資金?」
 車はうねうねと曲がる山道をどんどん進んでいく。
「そうだ、資金だ。これから後十分くらいした所に、ある別荘がある。そこには財前十蔵(ざいぜん じゅうぞう)というジジイが住んでる。そのジジイはかの有名なミズハ銀行の社長なんだ」
「‥‥で?」
「そのジジイを人質にして、銀行から金を頂く。額はまあ一億もありゃしばらくは遊んで暮らせるだろう」
 一億で「しばらく」と言う辺り、親父の金銭感覚のアホさが分かる。それに軽く言っているが、とんでもない事だ。しかし、それは一般家庭での事。ウチの場合、それはあまり珍しい事じゃない。今までだって、似たような事はしてきたのだ。
「で、今から三人でそのジジイを拉致ると?」
「そっ  さすが私の息子だわ。あったまいい!」
 お袋が俺の首根子を掴み、グイッと引き寄せる。そして、その頬に無数のキスを浴びせる。美人だが自分のお袋に変わりは無い。あまりいい気分じゃない。
「やめろって! お袋!」
 それを見た親父が腰に刺していた拳銃を抜き、俺の額に押し当てる。前を見ていない。
「荒也! てめえ! 俺の女に手ぇ出すつもりか!」
 俺は慌てて弁解する。
「違うっつうの! って言うか、前見ろ! 前!」
「俺の女のアソコにナニ突っ込んでみろ。てめえの頭に風穴開けて、そこに俺のナニ、ブチ込んでやるからな!」
「だから前見ろってつうの! それに、自分のお袋とやるか! バカ親父!」
「んだとぉ! てめえ、実の父親に何て事言うんだ!」
 ハンドルから手を離し、親父は俺を睨み付ける。凄いドライビングテクだ。
「もう。私の事でゴタゴタ起こさないでよぉ。二人いっぺんでも私は全然OKよ」
 お袋はお袋で、エッチな目で俺と親父を交互に見つめる。親父ならともかく、俺にまで色目を使うあたり、お袋っぽい。だが、俺に使う事は絶対に間違っている。
「俺とヤるな!」
 つくづく思う。俺と親父とお袋の関係というのはよく分からない。親が若いからいけないのか。いや、違う。元々の人間性に何か問題があるのだろう。その間に生まれた俺だ。きっと、俺もどっかおかしいんだろう。自分じゃ、分からないが。
 そんな事を言っているうちに、三人の視界にその別荘が見えてきた。


 車は別荘から少し離れた所に止めた。俺と親父、お袋の三人は車から降りて、トランクを開ける。中には物騒な品々がどっさり詰め込まれてあった。拳銃、マシンガン、ナイフ、手榴弾‥‥。親父は腰に指してある拳銃、コルトパイソンの弾を取り出し、お袋はありったけのナイフを手にとる。俺はウージータイプの小型マシンガンを手にした。
「ハニー、荒也。手榴弾もちゃんと持っておけよ。警察が来たら、必要になるからな。あと、これだ」
 そう言って、親父はポケットから小さな小瓶を二つ取り出し、それぞれお袋と俺に手渡した。中には透明の液体が入っていた。
「これ、何?」
 思わず、俺は訊ねる。
「硫酸だ。追い詰められて、捕まりたくないと思ったら飲んで死ね」
「‥‥そうこと、ね」
 納得、と言った感じだった。
「死ぬ時は一緒じゃなきゃ嫌よ、ダーリン」
 お袋は年甲斐も無く頬を朱に染め、親父に抱きつく。親父はそんなお袋のズボンの付け根、つまり俺の生まれた場所に手を持っていき、ニタリと笑う。
「分かってるよ、ハニー。俺とお前の場合は、手榴弾抱いて大爆発といこうじゃないか」
「あん・・・・。ここじゃダメよ。お仕事のア・ト」
「OK、OK。んじゃ、行くぞ。どうせ、人なんかその死に損ないしかいねえんだから、覆面なんていらねえからな。でも、薄手のゴム手袋だけははめとけよ」
 親父とお袋は寄り添いながら別荘へと歩き始めた。デートか何かと間違えているようだ。俺もそんな二人の後ろについていく。まったくもって凄い夫婦だ。こんな夫婦、そうそういない。しかし、俺はそんな二人を心の底から尊敬していた。
 親父とお袋はまともな仕事についた事が一度も無い。ヤクザと一緒に誰かを殺したり、
金持ちの家に強盗に入ったりと、裏道街道まっしぐらだった。でも、二人は一度だってそれを恥ずかしい事とか、いけない事だと思った事が無かった。その道を歩んでいる事を誇りにすら思っていた。
 物事の善し悪しが分かるようになった頃、その事を聞いてみた事があった。その時、お袋は俺にこんな事を言った。嬉しそうに。
「荒也、人生は一度きりなの。だったらさ、思いっきりハチャメチャにやらないと面白くないじゃない? 人なんて生き物はね、どう生きたって自分じゃない誰かを不幸にしてしまうものなの。だったら、とことんそうしてやろうじゃないの。幸せになるなら、どんな事したって幸せになろうじゃないの」


「誰だ! お前達は!」
 財前十蔵は驚きの顔で俺達を見た。六十過ぎで、白髪交じり、でっぷりと太っていて、一言で言うなら老いた白豚、という感じの男だった。親父はそんな十蔵に銀色の銃口を向けた。
「俺達は“ラスティー・ランナーズ”(錆付いた走者達)。ちと生活費に困ったんで、アンタを人質にして銀行からお金を頂戴しようと考えている。少しで暴れてみろ、その腹の肉、根こそぎ切り取ってステーキにして食うからな。不味そうたけど」
 親父の隣にお袋が立ち、ナイフをチラつかせる。十蔵はビクッと体を震わすと、思わず失禁した。まったくもって家畜だ。
 別荘と言うには豪華過ぎる家だった。三階建てで、全室フローリング、巨大なバスルームに大理石で出来た台所。銀行経営というのは儲かる仕事らしい。十蔵は二階のベッドルームで愛人の女とヤっている真っ最中だった。あの体でよく女を喜ばせられるなぁ、と感心したが、俺達を見ると途端に奴のナニは縮こまってしまった。間違いなく、俺のブツの方が優秀だ。
 俺はその愛人さんに銃を向けている。お袋より若そうに見えるが、お袋よりブサイクだ。ぷっくらと膨らんだ唇が気に食わない。羞恥心も無く失禁している。
「親父。この女、どーすんの?」
「殺そうかと思ったがやめた」
 親父が言うと、お袋が金切り声をあげる。
「えーっ、殺さないの? 私、こういう中途半端に若い女って大嫌いなのよね」
 お袋は鋭い眼光で愛人を睨み付ける。愛人はその眼光に気付く事も無く、その場で震えている。
「そういう理由で殺人を犯すのはよくないよ、ハニー。抵抗したり、俺達の計画の邪魔になるようだったら殺るのが一番だが、今はまだそれ程じゃない。荒也。物置きかどっかに閉じこめておけ」
「あいよ。んじゃ、おねーさん。立ってくんないかな」
「‥‥」
「大丈夫だよ。おねーさんの命はお金になんないんだから、殺す意味が無い。つまり、殺さないって事。大人しくしてれば、五体満足でお家に帰れるよ」
 俺は愛人さんの手を取って、無理矢理立たせた。愛人さんはよろよろっとした感じで立ち上がったが、俺の言葉で安心したのか、自分から歩きだして部屋から出ていった。俺はその後をついていった。後ろからお袋の事が聞こえた。
「荒也。その女とヤったら親子の縁切るからね」


「んじゃまあ、狭いけどここに入っててくんないかな。まあ、一日かそこらで俺達帰るから、それまでの辛抱って事で」
 とりあえず全裸ではまずいと思い、物置きに入る愛人さんにベッドのシーツを渡した。
愛人さんは相変わらず暗い顔をしていたが、さっきよりはマシな状態になっていた。足取りもはっきりしていた。
 物置きの真ん中で腰を降ろした愛人さんは、初めて生きた目で俺を見た。
「ねえ‥‥他にもこの別荘には人がいたはずだけど、彼女はどうしたの?」
「えっ? 他にもいるんスか?」
 初耳だった。それに、侵入した時にそんな影は無かった。俺の背筋に冷たいものが走る。
「あの人のお孫さんが一人、遊びに来てたのよ。今は買物に行っているはずだけど、もうじき帰ってくると思う」
 買物か。ならば見つからないのも首肯ける。しかし、そうなるといつ帰ってくるかはっりした時間が分からない。厄介な問題だ。
「そうなのか‥‥。どんな子なん?」
「まだ子供よ。年は十七。名前は財前霞(ざいぜん かすみ)。痩せ形で、髪の毛はポニーテールにしてるわ」
「そうか‥‥。どうもありがとう」
 そう言って、俺は物置きを締めて、把手に南京錠をかけた。


「あっ、おかえり荒也。お金は今日の夜八時には銀行の頭取とかいう人が持ってくるそうよ。警察には連絡しないって言ってたから、案外楽に出来そう」
 部屋に戻ると、お袋が煙草を吸いながらソファでくつろいでいた。その隣には親父もいる。そして白豚こと十蔵は素裸にさせられ、ガムテープとロープでグルグル巻きにされていた。ふと足元を見た。十蔵の両足が血だらけになっていた。おそらく、逃げられないようにする為に、お袋があいつのアキレス腱をナイフで断ち切ったのだろう。
 俺はそんな十蔵を無視して、急いで親父とお袋に例の孫について話した。親父は少し渋い顔になる。
「うーむ、確かにそれはちょっと厄介かもしれないなあ。しかしまあ、所詮はガキ一人。それほど気にする事でも無いんじゃないか?」
「そうよぉ、荒也。お母さんのナイフだったら三十メートル先の相手だって、一発で殺っちゃう自信あるわよ」
 お袋は血のついたナイフを投げる仕草をする。
「でも‥‥そいつが警察に連絡とかしてたら面倒な事になるかもしれないだろう? 俺、探してこようか?」
「赤の他人のお前が探してたら余計怪しまれるだろうが。ここでじっとしてろ。そして、見付けたらウージーをぶっ放せ。それで終わりだ」
 親父とお袋はあまり問題視していない様子だったが、俺は何だかじっとしていられない気分だった。
 その時だった。どこかでゴトンという音がした。何かが倒れるような、そんな音だった。
俺と親父とお袋の三人は、ピタリとその動きを止め、耳をそばだてた。十蔵もビクンと体を突っ張らせている。
「‥‥親父」
「分かってる。ハニー、荒也、行ってこい。誰か見付けたら、即殺れ」
 親父はお袋と俺を見つめた。お袋はさっきまでの冗談めいた雰囲気など微塵も無い、真剣な顔で立ち上がった。そして、ナイフを構えて部屋から出ていく。俺もその後に続いた。


「荒也。ちゃんと後ろ見てなさいよ」
「分かってるよ」
 廊下にははっきりと侵入者の痕跡を残していた。窓が開いているのだ。そこから外の風が入り込んできている。少し寒い。
 しかし、廊下に怪しい人影は無い。それはそうだろう。この情況でのこのこ出てくる奴は馬鹿以外いない。
 しかし、そいつは馬鹿だった。
「こんのやろぉぉ!」
 その女は二階のトイレから脱兎の如く飛び出し、いきなり俺に飛び蹴りをかました。俺完全に面食らい、モロにその蹴りを受けてお袋とぶつかって、一緒に吹っ飛んだ。
「きゃぁ!」
「うぐっ!」
「死ねぇぇぇ! 俗物がぁ!」
 女、おそらく霞は手にした青銅製の置物を思い切り振り上げた。それと態勢を整えたお袋の蹴りが霞の腹にめり込んだのはほぼ同時だった。
「!」
 霞は置物を手から放し、後ろに飛んだ。すかさず、お袋が立ち上がり、ナイフを構え二本同時に投げた。一本は霞の左手の甲に、そしてもう一本は右足の突き刺さった。ピッと赤い鮮血が舞った。
「荒也! 立ちなさい!」
 お袋は鋭い声で叫ぶ。俺はサッと立ち上がり、霞の所へ走った。霞は左手と右足にナイフが刺さっているのも関わらず、ギラギラした瞳で俺を睨んでいた。
「‥‥この」
「うるせえ!」
 俺はすかさず、刺さったナイフを握り、より深く差し込んだ。鈍い感触が伝わり、俺の顔に霞の血が飛び散った。
「きゃあああ!」
 霞はポニーテールを振り乱して喘いだ。俺はナイフから手を放し、みぞおちにきつい一発を与えた。すると、霞の金切り声はピタリと止んだ。気絶したのだ。
 ふぅ、と大きくため息をつく。後ろでお袋が首をポキポキ鳴らしていた。
「荒也。さっさと殺っちゃいなさい」
 お袋が拾ったウージーを手渡す。俺はそれを霞に向かって構えるが、引き金は引かなかった。お袋は不思議そうな顔をする。
「どうしたのよ?」
「‥‥殺すには勿体ない顔してるなって思って」
 苦痛の表情すら浮かべずに、意識を失っている霞を見て、俺はそう呟いた。十蔵の孫というからたいそうブサイクな奴だと思っていたが、これがまたなかなか可愛い女の子だった。体付きはまだまだ小娘だが、もう少しすりゃお袋にも負けないモノになるかもしれない。栗色のポニーテールも俺の好みだ。手や足から流れている血がこれまた色っぽい。
 お袋がふぅと小さくため息をついた。
「もうしょうがないわねぇ。ダーリンには私から言っておくから、あんたはこの子の手当てをしなさい」
「お袋‥‥ありがとう」
「いいのよ。可愛い息子の頼みを母親が聞かないわけにはいかないでしょう?」


「殺すんなら、とっとと殺せよぉ!」
 目を覚ました霞は、壊れたゼンマイ人形のように叫びまくった。手足は取り敢えず手当てして、痛みは和らいだと思うが、それでもこの情況でこういう事を言えるとは、頭がイカれているとしか言い様がない。
「霞‥‥やめなさい」
 隣の十蔵が力なく言う。しかし、霞はそんな十蔵をも鋭く睨み付ける。
「おじいちゃんが悪いんだからね。防犯システムも無いのに‥‥。どっかの女とヤるなら、もっと考えてやってよ!」
「‥‥すまん」
 いきり立つ孫娘に、十蔵はなす術も無いようだった。というか、防犯と女とヤる事には何の関係も無いと思うのは、俺だけだろうか。
 十蔵と霞は隣同志で座らされている。勿論、二人共ロープで体はグルグル巻きだ。しかし、似てない二人だ。一つ間が空いてるからだろうか? 疲れ果てた白豚と、首輪を必死に噛み切ろうとしている子猫、という感じだ。
「お前さ、本当のこのジジイの孫娘なん?」
 俺は霞の前で中腰になる。霞は刺々しい顔を向ける。これ以上近づくと鼻に噛み付くかもしれない。
「そうよ。でも、好きでなったんじゃないのよ」
「‥‥そりゃ、そうだわな」
「でも、あんたは好きでなったっぽいわね」
「‥‥まっ、後悔はしてないね」
 俺は後ろから感じる四つの目線に応えるように言った。後悔してるなどと言ったら、即コマ切れにされると直感した。しかし、その視線が無くてもそう応えるつもりだったが。
「じゃあ、あんたも錆付いてるわけね」
 どうやら、霞は俺達の名前を知っているようで、皮肉たっぷりと言った感じの言う。しかし、俺はその皮肉に意外と真剣に応えた。
「本人が嫌だと思わなければ、錆びるのも悪くない」
「‥‥」
 予想外の返答だったらしい。霞は少しムッとした顔になった。
「荒也、錆びる錆びるってうるさいわよ。あの名前はダーリンのセンスが悪かったからいけないの」
「おいおい‥‥。結構気に入っているって言ってたじゃないか」
「新しく名前をつけるなら、絶対ダーリンにはつけさせないわ」
「‥‥ひでえ」
 後ろは後ろで話が盛り上がっているようだ。
「それより親父。話を戻そう」
「おっ、そうだったな」
 親父は気を取り直し、真剣な顔つきになって十蔵を見下ろした。
「さてと、これでもう邪魔する奴はいないはずだ。金が来るまで大人しくしていてもらおう」
 親父は煙草に火をつける。しかし、その顔に隣の霞が唾を吐いた。
「バーカ! 強盗のくせして何格好つけてるのよ。アホじゃないの? それにね、私もう警察に通報しちゃったわ。きっとお金より先にやってくると思うわ」
「‥‥そうか」
 ゆっくりと唾を拭う親父。その顔は悪鬼の如く凄まじいものだった。親父がこうなるともう誰にも止められない。靴を履いたまま、親父は何のためらいも無く、霞の首元に蹴りを入れた。ゴブッという音が響き、霞の頭がゴムボールのように横にブレた。
「がはっ! ごほっ! ごほっ‥‥」
 霞はその場に倒れる。口の端から唾とそれに交じった血が漏れていた。親父は霞のポニーテールを思い切り掴み上げた。こういう時ポニーテールは便利だ。
「お前、今の情況が分かってないみたいだな。息子の頼みだから生かしてやってるが、そうでなかったらさんざんレイプして、肉人形にしてたところだぞ」
「‥‥そうっすか‥。そりゃ‥‥どーも」
 切れ切れの声にも関わらず、霞は挑発的な言い方をやめない。青アザの出来た首を懸命に動かして言葉をひねり出す。こういう情況に慣れているはずが無い。なのに、どうしてこいつはこんなにも余裕な感じなのだろう?
「おい、荒也。こいつしばらく黙らせておけ。お前の勝手で生かしておいてるんだぞ。お前が世話しろ」
「‥‥だな」
「あとだな。しゃぶらせようなんて考えるなよ。間違いなく、噛み切られるぞ」
「分かってるよ」
 俺はお袋がくわえていた煙草を横取りして、霞のポニーテールを掴んだ。
「いたたたたっ! もうちょっと優しく!」
「親父に唾吐いたお仕置きをしてやる。別の部屋に行くぞ」
 俺は更にポニーテールを掴み上げる。痛さで、霞はよろよろと立ち上がった。そして、そのまま引きずるようにして、霞を部屋から連れ出した。


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