エレクトリック・エチュード 第6章


 電車はゆっくりと駅に近づいていく。遠くから見ても分かった。駅には無数のパトカーと救急車がいた。
「にいちゃん。どうするつもりなんだ? 逃げるのか?」
 晃太が黒いジャンパーに袖を通しながら訊ねる。紅矢は沈痛な面持ちのままだ。
「逃げない。俺はこの情況を警察に伝えようと思う」
「でも、私達がいくら言っても聞いてくれませんでした。それに、言っても誰も信じてくれないと‥‥」
 葉澄が紅矢の傍に寄る。紅矢は葉澄の服についた焼け焦げを手で払う。
「俺を見れば嫌でも信じるだろう。それに一般人にも注意してもらわないと困る。まだ終わってないんだからな」
「‥‥」
 葉澄は何も言えなかった。車内は今、死の匂いが充満していた。原型をとどめている物など何も無い。そして、車体の至る所に付着している血‥‥。それは洋一郎の血だ。空中で飛び散った血や肉が車内にも飛び散ったのだ。
「吐きたくなる匂いですね」
「そうね‥‥」
 明と麗が口を手で押さえる。それほど、その匂いは強烈だった。
 生き残った人々は奇異に満ちた目で五人を見つめている。誰一人、声を発しない。皆、体中を震わせ、互いに抱き合い、怪物でも見るような目で紅矢達を見つめている。
 葉澄はその視線を受け、肩を竦める。仕方がないと思いながらも、いい気分にはなれなかった。紅矢はそんな人々の元に駆け寄る。
 人々は悲鳴にも似た声をあげ、より車両の隅に身を寄せる。それでも、紅矢は冷静に彼らに話す。
「聞いてください。今見た事を警察に正確に伝え、そしてまだ続くとお伝えください。その間、あなた達はしばらく家から出ない事を勧めます」
「‥‥あんた、何なんだ?」
 一人の男が訊ねる。紅矢は男を見下ろし、ゆっくりと答えた。
「あの女の兄です」
 そう伝い終えた後、電車が駅に止まった。その瞬間、車内に大勢の警官が押し寄せ、紅矢達に無数の拳銃が向けられた。


「お前達が首謀者だったのか。だったら、あのわけの分からない説明も納得がいく」
 捕まった葉澄に尋問するのは、いつかの葉澄の言葉には耳も傾けなかったあの男だった。男は苦い顔をする。葉澄は歯を剥き出しにする。
「私達じゃありません! 近衛切華という女性が犯人です。彼女が電車を爆破したんです」
「あの場にいなかったじゃないか、その女」
「逃げたんです」
「走る電車から?」
「普通の人間じゃないんです。だから、あんなふざけた事ができるんです」
「‥‥」
 刑事は怪訝な顔をする。それを、葉澄はキッと見返す。
「警察の方は一昨日の事件の犯人、分かってるんですか?」
「‥‥もう一度、さっきの名前を聞かせてくれないか?」
 男は葉澄の問いには答えず、警察手帳を取り出し、そこに葉澄の言った人物の名前を書き込んだ。その時、葉澄は警察手帳の中にあった男の名前を見た。諏訪高次という名前で、捜査一課に所属している事が分かった。男は刑事だった。
 必要事項を一通り書き込むと、高次は胸ポケットから煙草を取り出して、火をつける。その顔は重苦しかった。
「正直、警察は一昨日の爆破事件についてまったく手がかりを掴めていない。爆発物も見つかっていないし、何のための爆破だったのかも分かっていない。昨日の病院襲撃事件の被害者の身元を調べているが、まだ結果は出ていない。だから、マスコミにも何も話していない。‥‥もう、そんな夢物語を信じるしかないのかもしれない」
「‥‥夢物語なんかじゃないんです。これは、全て現実なんです」
「ありえない‥‥」
 高次は机に突っ伏した。
「俺は犯人を捕まえたいんだ。‥‥娘が死んで、それが犯人が捕まえられなかったら、悔やんでも悔やみきれない」
「娘?」
 葉澄の脳裏に一昨日の事件が蘇る。あの事件で亡くなった人の数は七十九人。その中に、この人の娘がいたのだろうか。不意に、電車の隅で怯えている人々の姿が思い出される。
「あの‥‥そんなに、気を落とさないでください」
「うるさい。何も分からないお前は何も言うな」
 机に突っ伏したまま、高次は答えた。少し涙声だった。
 自分の目の前を通り過ぎた無数の死。それを今、感じずにはいられなかった。今までは戦う者ばかり見て、巻き添えを食らった人の事など、ほとんど考えた事が無かった。それは自分にとっては他人だったからだ。他人の死に実感などない。ただ、ああ亡くなったんだな、と思うだけだ。
 今目の前にいる男は、その死を感じている。そんな彼に、葉澄は何も言えなかった。
 その時、扉が開いた。紅矢だった。
「もう行こう」
 紅矢は葉澄の手をとる。葉澄は高次と紅矢を交互に見る。すぐにでも行きたかったが、このまま行っていいのかどうか迷った。
「おい。まだ取り調べは終わってない」
 高次が顔を上げる。その目は濁りきっていた。
「話す事は全て別の刑事に話した。細かい事はそいつから聞いてくれ」
「‥‥お前、一体何なんだよ!」
 高次が立ち上がり、紅矢の胸ぐらを掴んだ。
「こっちはな、不眠不休であの事件を捜査してるんだよ! それを何だ! 電撃だとか、空を翔ぶ女だとか、わけの分からない事言いやがって!」
 彼の気持ちは、葉澄にはよく分かった。実の娘が死んだ。にも関わらず、その理由があまりにも非現実過ぎている。そのギャップに、この人は困惑している。
 目を血走らせる高次の手を紅矢はゆっくりと放す。冷静だった。
「世の中には信じられない事がたくさんある」
「超能力が人を殺すっていうのかよ! ああっ? ふざけんじゃねえぞ!」
 高次は完全に我を失っていた。
「‥‥」
 紅矢は小さくため息をつくと、高次を突き飛ばした。高次は足をもつれさせ、床に尻餅をついた。
「紅矢さん!」
「おっさん、よく見ろ。これが真実だ」
 駆け寄る葉澄を片手に抱き締め、紅矢は右手を差し出した。そして、葉澄にとっては見慣れている、電撃の剣を出現させた。高次は言葉を無くす。紅矢は剣を振り上げると、机を真っ二つに切り裂いた。机の切り面は真っ黒に焦げていた。
「なっ‥‥何だ」
 唖然とする高次。紅矢は剣を消すと、諏訪に言った。
「あんたの娘は本当に不運だった。心から謝る。だが、まだ終わってないんだ。あんたは刑事として仕事をしてくれ」
 高次の返答を待つ事無く、紅矢は葉澄を連れて部屋を出た。
 しばらくして、一人の女性警官が室内に入ってきた。いつか、高次の後ろにいた婦警だ。婦警は倒れている高次を見て驚き、駆け寄る。
「諏訪さん! 大丈夫ですか?」
「‥‥麻子」
「良かった。どこも怪我は無いみたいですね。ったく、あのガキ。こんな事して‥‥」
 婦警、浅野麻子は真っ二つになった机を見て、歯軋りをする。
「ガキって‥‥麻子、あれやった奴の事、知ってるのか?」
「知ってるも何も、彼が何もかも話してくれたんです。犯人は自分の妹だって。力も見せてもらいました」
「力‥‥」
 高次は使い物にならなくなった机を見る。麻子は机の太刀筋に触れ、呟いた。
「あれは‥‥普通じゃないです。でも、確かに現実です」


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