エレクトリック・エチュード 第7章


 外は既に暗闇に染まり、窓から見える都会の輝きがうるさい。前例の無い三つの事件が頻発し、街が眠る事は無かった。
「全てはね、今から二十三年前の事。ある四人の科学者がある実験を一人の女性に施した事から始まった。四人の内、三人はあなた達は知っているはずよ。神奈川勇、毛利洋一郎、私、神崎美奈子。そして近衛守。あの人の実の父親よ」
「えっ? だって、紅矢さん、両親はもう死んだって」
 紅矢は確かに両親は死んだと言っていた。葉澄はそれを確かに聞いた。あれは嘘だったのだろうか。
「あの子は守さんが大嫌いだから、そう言ったんでしょう」
 遠くを見つめながら、美奈子は煙を天井に吐き出し、ビールを口にする。
 実の父親があの実験を施した‥‥。それは衝撃的でもあり、同時に最も納得できる事実でもあった。
「あんた達は、具体的にどんな実験をしたんだ?」
 晃太がフォークを手の中でクルクルと回す。缶詰は既にどれも空になっていた。
「人間の体の中には微弱だけど電気が流れている。私達は、その電気を増幅させる事ができないか、実験していたの」
「何でそんな事を?」
「人間の人工が増えれば、電気の出費は嫌でも増える。だから、その問題を解決する為。これからの時代、原子力発電はあまりいいとは思えないわ。放射能が漏れたら困るもの。だから、何とか別の方法を。これが表向き。裏は、ただやりたかっただけ」
「ただ‥‥やりたかっただけ? そんなの理由になるんですか?」
 葉澄の目が曇る。だが、美奈子の顔に変わりは無い。
「クローン実験に何か目的があると思う? 食料危機を救う為、なんていう表立った理由はあるみたいだけど、研究者はそんな事真剣に考えていないわ。ただ、やりたいだけなのよ。まあ、格好良く言うなら、人間の進化が見たかったってところかしら」
「で、彼の母親にその実験をしたのね?」
 麗がきつい目付きで訊ねる。美奈子は小さく含み笑いをする。
「ご名答、察しがいいわね。だけど、彼女が守さんの妻だった事は私を含め、誰も知らなかった。守さんは除いて、だけど」
「どうして、彼は自分の奥さんを?」
「分からない。守さんは何も言わなかった。ただ、実験台になってくれる人がいるって言っただけ。でも、生まれる前の人間がその実験に一番適していたのは事実よ。拒絶反応が無いもの。幸い、その時、守さんの奥さんは妊娠していた」
 洋一郎も似たような事を言っていた。という事は、紅矢と切華は自分達で運命を選択する事もできず、あんな体になってしまったという事になる。
 葉澄は声を荒げる。
「考えなかったんですか? そんな事になったら、子供はきっと普通の人生を送れないだろうって」
「考えたわ。でも、守さんはそれでもいいと言ったのよ。だから、やったの」
「‥‥」
 葉澄は紅矢がどうしてその守という人は死んだと言ったのか、分かったような気がした。自分の妻を何の躊躇いも無く実験台にしてしまう父親。そんな父親、自分だったら殺してしまいたい。だから、もう死んだなどと言ったのだろう。
 美奈子は煙草を灰皿に置くと、一つ小さなノビをした。
 一つ区切りがついた。どうやって紅矢と切華という異な存在が生まれたのか。それは分かった。にわかに信じられないが、嘘だという気にもならない。紅矢と切華という存在。それが何よりの証拠だ。
「実験は分かりました。次にどうしてこういう事になったか、経緯を教えてください。どういう経緯があって、二人は戦う事になったのか‥‥」
 紅矢の口からは聞けなかった事。葉澄はそれが知りたかった。
 窓の外をじっと見据え、美奈子はゆっくりと、昔を回想するかのように語りだす。
「実験の後、その女性は紅矢君が生み、その五年後、切華ちゃんを生んだ。でも、見た目では二人のその力があるのかは分からなかった。だから、私達は研究所の中で彼らを育てる事にした。ここからずっと遠くにとある研究所があったの。そこで紅矢君と切華ちゃんは一年前まで住んでいたわ」
「それで?」
「欲しい物は全て与え、何不自由の無い生活をさせたわ。代わりに外の世界へ行く自由は奪った。理由は言わなくても分かるわよね」
「はい」
「紅矢君は九歳の時、力に目覚めた。それからすぐに切華ちゃんもその力に気づいた。二人はその力がありながら何の障害も無く生活できて、しかも年を重ねる毎にその力をコントロールできるようになっていった。完全に成功だった。私達は狂喜したわ」
「‥‥人を物みたいに」
 饒舌になって語る美奈子に、葉澄は思わず言ってしまった。だが、美奈子の恍惚とした目は変わらない。
「正直に言うわ。私達にとって、紅矢君達は研究対象以外何物でもなかった。科学者はそうでなければならなかったし、何より二人は研究員全員に敵意を持っていた。ちょっとでも隙を見せれば電撃で焼き殺される。仲良くしろという方が無理だったわ」
 葉澄は何故切華が彼らに復讐を考えているのか、分かったような気がした。自分の体を変えた奴らは、自分の事を研究対象としてしか見ていない。そんな事を言われたら、誰であろうとも怒りを覚える。
「実験は成功し、やがて表向きの理由である電力供給の話が持ち上がった。彼ら二人を発電所に連れていって、電気を蓄えさせる事ができるかの実験よ。それができれば、私達の実験は完全に終わるはずだった。でも、二人は今から一年前、最終実験の前日、脱走した」
「つまり、実験に従いたくなかったから脱走したと?」
「それも当然あると思うけど、私達は実験が成功したら二人を別々の場所に送るつもりだったの。二人はそれが嫌だったんでしょう。あの二人、いつも一緒にいたから」
「‥‥」
 時々紅矢の口から聞かれる切華への思い。過去を知れば知る程、その真実が分かってくる。これまでの話を聞く限り、紅矢はずっと切華と一緒だったという事になる。おそらくその間、友達など呼べる人などとは巡り合わなかっただろう。ならば、紅矢が切華に、そして切華が紅矢にあれほど情熱を注ぐ理由も首肯ける。
 黙る葉澄を尻目に、美奈子は語り続ける。
「脱走の時、二人は母親も一緒に連れ出したの。彼らの母親、つまり実験台の女性もその研究所にいたの。何で連れ出したのかは分からないけれど。その後三人がどこでどんな暮らしをしてきたかは私にも分からないわ。でも、今から数週間前、その母親が死亡。私は切華がやったんだと思う」
「何で実の母親を殺すんだ?」
 晃太が美奈子のビールをひったくり、飲みながら訊ねる。未成年だ、と言う事は誰も言わなかった。
「あなた達、切華と実際に会ったんでしょ? なら分かるはずよ。彼女の紅矢君に対する異常なまでの執着を」
「‥‥」
 もう誰も驚かない。
「つまり、兄に近づく女性は例え母親であったとしても許せなかった、と?」
 麗の顔がこれ以上無いというほど曇る。美奈子は真剣な面持ちで首肯く。
「幼い頃から、切華ちゃんは紅矢君の事を慕っていた。あれはただ単に兄としての信頼だけじゃなかった。あれは愛情だったわ。だから、紅矢君に近付く女性は例え母親でも許せなかった。そう、私は考えてるわ」
「‥‥」
 紅矢の言葉が思い出される。紅矢が自分をマンションに来るように言った時、切華はこれとは別に人を一人殺した、と言っていた。あれは母親の事だったのではないだろうか?
「だけど、どうしてあの二人が戦っているのか、それが分からないわ。正直、私は二人で復讐してくると考えていたわ。仮に切華ちゃんが母親を殺して、その事で争っているのだとしても、紅矢君が私達を助ける理由にはならないし」
「これ以上罪を重ねてほしくないとか、そんな事言ってました」
 葉澄の言葉に、美奈子が腕組みする。
「昔の二人を知っている私としては首肯けない理由ね。二人は私達に深い憎しみも持ってた。そして互いに愛し合ってた。そんな二人が戦う理由がそんなつまらないものなのかしら?」
「‥‥」
 紅矢は切華の事を好きだと言っていたし、切華の方も似たような事を言っていた。なのに、どうして戦うのだろう。本当にあんな理由なのだろうか。美奈子の言葉を聞き、葉澄はいてもたってもいられなくなってきた。
「私、紅矢さんに聞いてきます」
「答えてくれると思ってるの?」
「分かりません。でも、聞かないと納得できません」
 そう言うと、葉澄は部屋から出ていってしまった。
 残された晃太、明、麗の三人は顔を見合わせ、含み笑いを漏らした。それを美奈子が不思議そうな瞳で見ている。
「それにしてもあなた達、よく紅矢君についていこうなんて思ったわね。私だったら、とても恐くて一緒にいられないわ」
「彼はそんなに恐い人じゃありません」
 明が笑うのをやめ、毅然とした態度で答える。
「そういう意味じゃないわ。彼と切華が戦えば、その被害は計り知れない。なんでそんな所にわざわざ同行したがるのかって事よ」
「乗りかかった船ってとこだな」
 晃太が疲れた顔で笑う。
「泳いででも帰るべきだと思うわ」
「あなたは研究者としてしか紅矢さんを見てないからです。彼はとても苦しんでいるんです。私は、そんな彼の力になってあげたいんです」
 明が握った木刀を見つめる。しかし、美奈子の目は冷たい。
「分からなくはないけど、あなた達が死んだら彼はもっと苦しむでしょうね」
 そこまで言うと、美奈子は立ち上がり大きくノビをした。テーブルの上に空けられたビール缶は五本にもなっていた。
「じゃあ、もうこれ以上話す事も無いから、私は寝るわ。あなた達も寝た方がいいんじゃないの? 部屋は好きな所を使って構わないわ。おやすみなさい」
 皺の無い笑顔を見せた美奈子は、部屋から出ていった。
「‥‥」
 美奈子の残した、自分達が死んだら紅矢はもっと苦しむ、と言う言葉。それが三人に重くのしかかっていた。自分達が紅矢にかけている負担は大きい。自分達が危険に曝されれば、紅矢はきっと身をていして助けてくれるだろう。それはあまりいい事とは言えない。
 だが、ここまで来たらもう後戻りはできない。覚悟を決めて、最後まで行ってやる。三人はそう心に決めていた。
 麗が気分を切り替えるかのように首を振った。
「考えても始まらないわ。私達も寝ましょう。明君、おねーさんと一緒に寝ない?」
「えっ? 一緒‥‥ですか?」
 明の顔が赤みがかる。麗は大人らしい、色気のある顔で明にウインクする。
「あなたが隣にいれば、少しは安心して眠れそうだもん」
「おいおい。俺は?」
 晃太が自分を指差す。麗がケラケラと笑う。
「寝てる間に服脱がされそう」
「ひでえ」
 晃太が唸ると、明と麗は顔を見合わせて笑った。


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