エレクトリック・エチュード 第8章


 次の日の空は曇りだった。時間は七時。晃太が居間に来ると、美奈子は既に起きていて、朝食も済ませていた。朝食も缶詰だった。
「おはよう。遅かったわね」
「うっさい。こっちは一昨日昨日と大事件に巻き込まれてたんだ。疲れてんだよ」
 晃太はあくびを噛み殺す。少し遅れてやってきた明と麗もまだまだ寝足りない顔をしている。
「全然寝た気がしないわ。ねえ? 明君」
「はい。それに切華の事も気になりましたし」
「オメーの場合、隣が隣だからだろう?」
 晃太が嫌味たっぷりに言う。昨日、麗と明は同じベッドで寝た。晃太はその部屋で寝る事もできず、一人で別の部屋で寝た。
「まあ‥‥それもそうですけど。でも、いつ襲われるかと思うとやっぱり‥‥」
 明は頬を掻き、無理矢理話題を反らした。その様子を、麗は楽しげに見ていた。
 三人がソファに腰掛けた頃、紅矢と葉澄がやってきた。晃太がにたりと笑う。
「おうおう、熱いねぇ。朝から」
「そんな事無いです」
「そっから愛が芽生えるって事もあるでしょ」
「‥‥難しいと思います」
 素っ気なく答える葉澄。隣の紅矢は何も言わず、ソファに腰掛けた。晃太は小首を傾げた。
 その後、五人はテレビを見ながら食事をした。テレビのニュースは少し展開があった。病院爆破事件での唯一の被害者、神奈川勇の身辺が調べられたらしく、彼が科学者であった事などが報道されていた。もっとも、それは例の実験の事までは辿り着いていなかった。
 食後、五人は美奈子を見た。時間は午前八時。美奈子は煙草を吸い殻に捨てると、立ち上がる。
「さてと、これからの事ね。私は移動する気は無いわ。毛利の二の舞になりたくないもの」
「それじゃあ、何か策があるって事だな?」
 紅矢が目を尖らす。美奈子はそれを似たような目で返した。
「勿論よ。とっても危ない方法だけどね」


 同時刻。切華は葉澄と紅矢が出会ったあの公園のベンチで朝食を取っていた。コンビニで買ってきたサンドイッチを口にしながら、ノートパソコンに目を落とす。そこには神崎美奈子の情報があった。それによれば、彼女はここから随分と離れた別荘にいる可能性が高い。
 風がなびき、兄譲りの美しい黒髪がなびく。どこかの学校の制服を着て、公園のベンチでサンドイッチを食べる少女。それは、不思議でも何でも無い、あまりにもありふれた光景だった。
 サンドイッチを食べ終える。別荘に着くまでに腹も熟されるだろう、と青空を眺めながら思った。
「‥‥ふふっ」
 後二人だ。神崎美奈子と、あの憎き男。あの二人さえ殺せば、自分の復讐は終わる。
 そうしたら、また紅矢と一緒に生きよう。切華はそう決めていた。それは普通の人の思う幸せとは違うかもしれない。その時、紅矢は生きていないかもしれない。
 でも、それでもいい。紅矢が他の人と一緒にいるところなんて見たくない。唯一、自分を分かってくれる大事な人。ずっと自分の傍にいてほしい。自分だけ見ていて欲しい。見てくれないのなら、殺してしまいたい。
 切華のその思いには、一抹の揺らぎすら無かった。
 その時だった。二人の男が切華に近寄ってきた。今流行の服を着て、頭は金髪。見ただけでナンパだと分かった。
「君、どこの高校?」
 男の一人がベンチに腰掛け、切華の肩に手を回した。卑下た顔だった。
「高校行ってないの」
「それじゃ、何でそんな服着てるわけ?」
「着てたいだけ。それじゃダメかしら?」
 切華はにたりと笑う。それを見て、二人の男も笑みをこぼす。汚い笑顔だ。兄さまと比べるのもおこがましいな、と思って切華は笑っていた。
「全然いいよ。それよりさ、どっか遊びに行かない? 勿論、俺達のおごりだからさ」
「こんなに朝早くから元気ですね、二人共。それに、今街はこんなに騒がしいのに」
 切華の言葉に、男達の笑みは更に汚いものになる。
「そんなの、俺達に関係無いし」
「‥‥」
 男達の言う通りだ。あの三つの事件は、普通の人には何の関係も無い。もっとも、巻き添えを食らった人達もいるから、全員が全員こんな考えではないと思うが、それでもこういう奴はいるものだ。
 まったくもってムカつく。せっかく被害を大きくして、危機感を持たせてやってると言うのに。やはり、こういう奴らは何を言っても無駄なのだろう。顔も考えも最低だ。
「残念ですけど、私、これから用事がありますから」
「そんな冷たい事言わないでさ」
 切華の肩を持つ手が強くなる。その瞬間、切華の目が怪しく光った。
 その瞬間、男の手が激しく弾かれ、男はそのまま地面に突っ伏した。切華の隣に置いてあったパソコンが小さな爆発を起こす。倒れた男は体中が痙攣していた。
「熱かった?」
 切華は可愛らしく笑った。
「なっ‥‥何だ? 今の」
 もう一人の男は目を丸くする。切華はゆっくりと立ち上がり、驚いた様子の男を指差す。
「ねえ、起きたら伝えてくれない? 汚い手で触らないでって。もっとも、起きてきたらだけど」
 切華はそう言うとその場でジャンプした。そして、空の彼方に消えてしまった。
 男はただ呆然とその光景を見つめていた。


 時間にして僅か二十分。切華の眼前に神崎美奈子の別荘があった。驚く程静かだ。辺りは山に囲まれ、別荘だけが孤立している。車も別荘からかなり離れた所にだが置いてある。おそらく、あそこに美奈子もそして紅矢もいる。
 切華は唾を飲み込み、大地に降り立った。
「‥‥」
 ゆっくりと玄関に向かう。誰も出てこない。だが、切華は油断しない。目に見えない磁場を発生させて、遠距離から拳銃で撃たれようとも弾道を反らせるようにしておく。そして、すぐにでも全力を出せるように呼吸を整えておく。紅矢がいなければここまで警戒しなくてもいい。だが、唯一自分と互角の力を持つ彼が向こうにいるなら、最大限の用心が必要だ。
 ゆっくりと玄関を開ける。鍵はかかっていなかった。
 中には誰もいなかった。人の気配も無い。予想が外れたのか。切華はそう思った。
「‥‥!」
 だが、そうではない、という緊張が走る。何も無い。だが、確かに何かある。説明できない何かが、ここにはある。
 全神経を尖らせて、辺りを伺う。右手に電撃をスタンバイさせる。耳から入ってくる音は時計の音と、外で鳥が鳴いている声のみ。目に入る動く物は一切無い。一体何だ? この緊張感は一体何なんだ? 切華は流れる脂汗も気にせずに辺りに気を配る。
 刹那、目の前が真っ白になった。


 爆音が轟いた。別荘が木っ端微塵に吹き飛んだ。無数の破片が宙に舞い、赤と黒の煙が空に吐き出される。それを紅矢達六人は遠くから見つめていた。
「‥‥すげえ」
 晃太がその光景に絶句する。他の四人も同じ顔をしていた。美奈子だけが冷静に爆炎を見つめている。
「彼女にダメージを与える方法はただ一つ。それは電気を発生させる前に攻撃する事」
「だからって、自分の家丸ごと壊すわけ? 爆弾で? 正気じゃないわ」
 麗が冷汗を拭う。
「気付かれる前に攻撃するのはこれしかないわ。紅矢君の電撃じゃ彼女の体に触れる前に気付かれる。これが一番有効で、強力よ」
 美奈子はスイッチのついた機械を投げ捨てる。明がその機械を踏み潰した。
「科学者って、色んな物を持ってるんですね」
「まあね」
 爆発はおさまっていく。しかし、黒煙は吹き上げ続け、その下の方では炎が上がっていた。あれでは無事では済まないだろう。誰もがそう思った。
 その時、麗が声をあげた。
「! あれ!」
 炎の中に一つの人影があった。六人の目の色が変わる。
「お前らぁぁ!」
 切華は生きていた。服の至る所が焦げ落ち、肌にも無数の傷がある。それでも、切華は生きていた。彼女の身を囲むように青い光があった。
「くそっ!」
 美奈子が舌打ちする。それとほぼ同時だった。切華が空高く跳躍した。それは黒煙よりも高かった。そして、巨大な光の玉を放出する。それが一直線に六人に向かってきた。
「伏せろ!」
 紅矢は叫び、五人の前に出た。そして、両手を広げ、壁のような光を作り出した。
 衝突する玉と壁。接触部分からおびただしい電撃が溢れ、周りの木々が薙ぎ倒される。五人は身を低くしながらも、紅矢から遠ざかる。
「車で逃げます!」
 激音の中、明はそれだけ言って、紅矢から離れる。他の四人も明に続いた。葉澄は心配そうな目で紅矢を見るが、紅矢はその目を見返す余裕も無かった。
「兄さまぁ! 邪魔よぉ!」
 切華が急降下して、紅矢の真横に降り立つ。そして、太い電撃の鞭を作り出し、紅矢に向けて薙いだ。
 紅矢は即座に壁から手を放し、二本の剣で鞭を受け止める。壁はバランスを崩し、玉は明後日の方向に飛んでいき、爆発した。辺りの木々が爆風で激しく揺らいだ。
 鞭が剣に絡まる。互いに引き寄せようとする為、拮抗する。
「兄さま‥‥。本気で私を殺す気なのね‥‥」
「お前がやめないのならば、それも仕方ない」
 紅矢が鞭を掴み、引く。段々と切華が紅矢に引き寄せられていく。
「ふんっ!」
 突然、切華は鞭を消し去った。紅矢はバランスを崩す。その瞬間、切華は大地に手をつける。すると、大蛇のような形をした電撃が大地から顔を突き出し、紅矢に牙を向けた。大地が裂け、土が宙に舞った。
 紅矢は何とか態勢を整える。だが、その時にはもう大蛇は紅矢の目の前に迫っていた。その瞬間、紅矢の体が回転した。
「!」
 紅矢を食らわんと大口を開ける大蛇が、その回転に呑み込まれ、八つ裂きになった。
 切華は言葉を無くす。紅矢の手には数えきれない程の剣が握られていた。それらが瞬時にして大蛇の体、つまり電撃を切り裂いていた。
 紅矢はゆっくりと態勢を整え、切華に寄る。
「切華‥‥もうやめろ」
「‥‥嫌よ」
「頼むから」
 紅矢の顔が苦痛に歪む。それは肉体の痛みではない。そしてそれは、切華も同じだった。
「兄さま。私はもう昔の生活には戻れない。だから‥‥」
「‥‥」
「だから、これしか残ってないのよぉ!」
 切華が再び空に舞う。数滴の涙がその場に残った。攻撃してくるのか、と紅矢は構える。しかし、切華はそのままどこかへ飛んでいってしまった。
「しまっ!」
 美奈子や葉澄の乗った車に向かったのだ。紅矢は大きく舌打ちし、自分も空高く跳躍した。


「やばい! 来たぞ! 科学者さんよ!」
「分かってるわ! スピード上げるから、しっかり捕まってなさい!」
 五人を乗せた車は猛スピードで山を降りていた。運転席に美奈子、助手席に葉澄、後部座席には明、麗、晃太が乗っていた。晃太の声に、他の三人が後ろを振り向く。車は時速八十キロは出ていた。だが、それは切華にとってはあまりにものろいスピードだった。
「神崎ぃ! 殺してやる!」
 烈火の如く叫ぶ切華。彼女は流れるように道路を走っている。足は動いていない。アイススケートをしているかのようだ。だが、そのスピードは美奈子の運転する車よりも早い。
 切華は特大の電撃の鞭を車目がけて振り下ろす。車は左右に曲がり、その斬撃をかわす。鞭が当たった道路は粉微塵に砕けた。
 晃太が美奈子の肩を掴む。
「このままじゃいつか食らう。科学者さんよ! 何か攻撃方法はないのかよ?」
「これしかないわ!」
 運転席の美奈子は晃太に何かを投げ付ける。それはオートマチック製の真っ黒い拳銃だった。晃太はそれを素早く手にして、窓から身を乗り出す。
「安全装置は外れてるから、引き金引くだけでいいわ! 衝撃に気をつけてね」
 前だけを見ながら美奈子は言う。晃太は深く首肯き、銃口を切華に向け、躊躇う事無く引き金を引いた。甲高い音と共に銃弾が飛び出した。
 だが、それは切華の体にまでは届かなかった。切華の体に近づいた瞬間、弾は反れて明後日の方向に翔んでいってしまった。
「磁場ってやつだわ、今の」
 麗が歯軋りをする。
「くそっ!」
 晃太は諦める事無く引き金を引く。だが何度やっても同じだった。
「往生際が悪い!」
 切華は更にスピードを上げる。あっと言う間に車のすぐ横にまで来てしまう。
「終わりぃ!」
 そう切華が叫んだ瞬間だった。窓際にいた明が木刀を手にした。その木刀を手で叩く。すると、木が抜け、そこからなんと真剣が顔を出した。麗が目を丸くする。明は麗の頭を抱き寄せ、真剣をドアに向けた。
「麗さん! 目閉じて!」
 厚い窓をぶち抜いた銀色の刃が、青く光る切華の右手を貫いた。真っ赤な血が空に飛んだ。
「きゃぁぁ!」
 切華は絶叫し、急いで刀を抜くと後ろに下がった。
「‥‥明君、それ」
 明に抱きついたまま、麗が震える声で言う。
「近づいてきたら容赦なくやりますから、絶対に頭を上げないでください。間違って切り落とすかもしれませんから」
「‥‥」
 いつもの明では考えられないような恐ろしい顔に、麗は何も言えず、明に抱きついていた。
「‥‥てめえぇ!」
 真っ赤に染まった手を見つめ、切華は獣のような眼光を車に向ける。そして、再びその手をかざし、青い光を作り出す。光は血と交じって異様な色をしていた。
「消し飛べぇ!」
 光を発射しようとする切華。だが、その切華の体が瞬時に消える。後ろから突進してきた紅矢が切華に体当たりを仕掛けたのだ。
「きゃぁ!」
 団子状態で車の前に躍り出る二人。美奈子はそれに素早く対応し、二人をかわす。
 二人は転がるスピードのまま起き上がる。起き上がってもそのスピードは変わらない。切華は額からも血を流していて、目が真っ赤になっていた。紅矢も体中傷だらけだった。
 切華は両手から鞭を取り出し、振り回す。山の斜面や道路が砕ける。その中を車は辛うじて走っていた。それはもはや奇跡に近かった。
 だが、紅矢も負けていない。両手でその電撃を鞭を掴むと、力一杯それを引いた。切華の体が引き寄せられる。そして、躊躇う事無く切華の腹に蹴りを入れた。
「ぐうっ!」
 再び道路に転がる切華。その横を車は通り過ぎていく。紅矢は小さくジャンプすると、車の上に飛び乗った。
 体中が擦り切れても、切華は迫ってくる。青い手で道路に触れる。すると今度はさっきよりも巨大な電撃の大蛇が二匹、道路を食い散らしながら現れた。二匹の大蛇はまるで巨大な津波のように車に迫ってくる。
「いいか! 親父の所に行け! 俺も必ず行く!」
 紅矢は運転席の美奈子にそう告げると、車から飛び降り、迫り来る大蛇の前に立つ。
「必ず来てください!」
 助手席の窓から身を乗り出し、葉澄が叫んだ。聞こえたのか聞こえなかったのか、紅矢の姿はあっと言う間に点になった。
 昨日聞いた紅矢の、殺してしまいたいという言葉。あれは切華の考えと同じだった。だがそれでも、切華は叫ばずにはいられなかった。
「大丈夫よ、お嬢さん。切華ちゃんはきっと紅矢君を殺す事なんてできないわ。彼女は紅矢を愛してるんだもの」
 美奈子が呟く。しかし、葉澄は今にも泣きだしそうな顔になる。
「だから殺すんです。永遠に自分の物にしたいから」


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