エレクトリック・エチュード 第9章


 最上階にあるその部屋は、豪華と言うよりは、質素な部屋だった。美奈子の別荘と似ていて、必要最低限の物しか置かれていない。ソファとテーブル、テレビ。部屋は他にもあったが、おそらくベッドぐらいしかないだろう、と葉澄は思った。それでも、窓から見える景色は美しかった。
 そして、その部屋には一人の男が立っていた。一目で分かった。紅矢の父親、守だった。今だに黒いその髪の毛、がっちりとした体格。紅矢がこのまま年をとったらこうなるだろうという見本が、そこにはあった。
「来たか‥‥。一年ぶりだな、紅矢」
 守は静かに言う。それを紅矢は複雑な顔で見つめていた。
「もう会う事は無いと思ってた」
「私もだ」
「‥‥切華の最後の標的なあなただ」
 紅矢は実の父親をあなたと呼んだ。だが、守の方は落ち着いていた。
「分かってる。一年前のあの日から予想していた。覚悟はできている」
「切華にこれ以上罪を着せたくない。だから、自分から標的になるような事はするな」
「‥‥自殺していればよかったな。こうなる前に」
 それは親子の会話にしてはあまりに殺伐としていた。守は憔悴しきった顔をしていて、力無くソファに腰掛ける。その隣に美奈子が座る。
「久しぶりです、守さん」
「ああっ、君は変わってないな」
「たった一年ですもの」
 美奈子は少しだけ笑い、守の手をとった。
 その時、部屋の奥にあるドアから見慣れた顔が出てきた。刑事の高次だった。その後ろには麻子もいる。
「久しぶりだな。嬢ちゃん」
「あっ‥‥どうしてここに?」
 葉澄が驚きの声をあげる。
「あんたらが教えてくれたんだろ? 今回の事件の犯人を。調べていったらこの男に行き着いたわけだ」
 高次は胸ポケットから煙草を取り出す。すると、麻子が素早くライターを取り出し、目の前で火をつける。高次は驚く事無くその火をもらう。
「こいつは浅野麻子。まあ、俺の部下だな」
 麻子はにっこりと笑って小さくお辞儀をした。茶色い短髪で、年上のいいお姉さんという感じだった。麗とは違う色気があった。
「どうもはじめまして。お久ぶり、色男君」
 麻子が紅矢に言う。紅矢は嫌な顔をする。
「‥‥その言い方、やめてもらえませんかね」
「ぴったりじゃないの。クールなナイスガイ君には」
 麻子の笑顔は変わらない。紅矢はため息をついて、眉間を揉んだ。少しだが、部屋の中の雰囲気が和らいだ。
「でも、よく信じましたね。あなた達もそうですけど、警察全部が」
 明が高次と麻子を交互に見ながら言う。葉澄もそれが気になった。あんな事、普通なら誰も信じない。高次は目の前で紅矢の力を見たから別として、他の人間は信じるものだろうか。
「少なくとも俺と麻子は目の前で力を見たからな。他の奴にはまだ話してない」
「もしもの時、動いてくれるんですか?」
 葉澄は高次を見る。すると麻子が答える。
「情報と、そして目の前に存在する脅威があれば動くわ」
 さっきの戦いで晃太の放った銃弾は切華には当たらなかった。ならば、警官などいても仕方ないのではないか、と葉澄は思う。だが、もしもこの都会のど真ん中で戦いが起きるならば、逃げる人々を誘導してもらわなくてはいけない。
 どちらにしろ、目の前の二人はやる気十分のように見えた。
 高次は乱暴に煙を吐き出し、守を見下ろす。
「でだ。さっきの話の続きだ。何故あんたはこの街から出ない? 都会の真ん中を戦場にする気なのか?」
「すまない。だが、切華を止めるならば、都会の方が有利なんだ」
「何故だ? その根拠を言え」
 高次は守に迫る。最初の事故で彼の娘は死んだ。だから、葉澄にはその様子が八つ当りのように見えた。麻子がそんな高次の肩を優しく撫でる。
 守はゆっくりと高次に告げる。
「都会には電気を使う家電が多くある。それが僅かだが、電気の力を分散させてくれるんだ。まして切華の攻撃は手から撃ち放つものが多い。力を逸早く使いきらせたいなら、都会の方がいいんだ。それに、多くの警官を配置できる」
「奴に銃は効かないんだろう?」
「だが、銃を無効にする為には磁場を発生させなくてはならない。磁場を発生させるのも当然力は必要だ。微量だが、それで切華の体力を減らす事ができる」
「なるほど。我々は捨て駒という事か」
「そういう言い方はしないで欲しい。彼女と互角に渡り合えるのは紅矢だけだ。我々はただ彼をサポートする事しかできない。それに、警官の人達には人々を誘導するという役目もあるはずだ」
「‥‥」
 押し黙る高次。紅矢の力を目の前で見ただけに、その言葉に反論できなかった。
「歯痒いな。しかし、仕事はきっちりとこなす。で、奴はいつ来るんだ?」
「それは紅矢の方がよく分かっているはずだ」
 守が紅矢を見る。紅矢は守とは目線を合わせず、高次の方を見た。
「切華は俺以上に深手を負っている。すぐに行動を起こすとは思えない。少なくとも一日
は何もしてこないと思う。でももしかしたらすぐにでも来るかもしれない」
「どっちなんだよ!」
「分からないんだ。今のあいつは‥‥分からない」
「くそっ!」
 高次が地団駄を踏む。その後ろで麻子が冷静に腕時計を見る。
「諏訪さん。もう夜の十二時です。部屋に戻りましょう」
「麻子。お前何悠長な事を‥‥」
「いくら不思議な力があると言っても、人間である事に変わりはないはずです。つまり、傷を癒すには休養と眠りが必要なはずです。だから、大丈夫です」
 麻子の冷静に答え、高次の背中をさする。高次は苦虫を噛んだような顔をしながら、部屋から出ていってしまった。麻子はそんな高次の後についていきながらも、葉澄や守達に一礼した。
「明日、七時半に来ますから」
 そう言って、麻子は美奈子に一枚の紙切れを渡す。
「これ、私達の泊まってる部屋番号です。何かあったらここまで」
 それだけ言うと、麻子も部屋から出ていった。いいコンビだ、と葉澄は思った。
 二人が去った後、明と麗が守達と向かい合うようにソファに座る。
「‥‥明日が最後になるのかしら?」
「なるようにしましょう」
「そうね‥‥」
 明と麗は互いの肩に腕を回し、ウトウトし始める。
 だが、守と紅矢はその間も無言の拮抗を続けていた。守は紅矢の視線に耐えられないのか、俯いてしまう。
「まだ、私を憎んでいるのか? お前も切華も」
「当然だ。だが、俺はあんたを殺すような事はしない。死んだら、もうそれで罪は償えなくなる。生きて、俺や切華や母さんに懺悔しろ」
「懺悔か‥‥」
 守は大きく項垂れ、テーブルの上に置かれていた煙草を手にとった。口にくわえると勝手に火がついた。紅矢の手がかざされていた。
「聞かせてください」
 紅矢の手を強く握ったまま、葉澄が守に告げた。守はゆっくりと葉澄を見据えた。
「何かね?」
「紅矢さん達の体をこんな風にした本当の理由は何なんですか? 神崎さんの言った通り、ただやりたかっただけなんですか?」
 それを聞いて、守の煙草を持つ手が止まる。美奈子は守の隣に座ったまま、じっとただ前を見つめている。紅矢が葉澄の手を握り返した。
 守は煙草を灰皿に置く。
「やりたかっただけ、というのは語弊があるかもしれない。だが、私が人間の新しい進化を見てみたいと思ったのは事実だ」
「つまり‥‥俺と切華と母さんはあんたの欲望に巻き込まれた、という事だな」
「言い訳はしない。実験はいつかは人間に施さなければ意味が無い」
「‥‥身勝手だ。それで、俺と切華がどれほど辛い思いをしたと思ってるんだ?」
 紅矢は吐き捨てる。その顔から、苛立ちが見てとれた。
「もう一度言う。言い訳はしない。でもだ、俺も母さんもお前達が憎いからこんな事をしたんじゃない。‥‥分かってくれると思ったんだ。私と母さんの気持ちを。私達の願いを」
 圧し殺すように守は言う。紅矢は歯を食いしばり、黙っていた。
 辺りに静寂が漂う。麗と明は重なるようにして、眠っている。しかし、起きている紅矢達も何一つ声をあげなかった。
「隣の部屋、借りる」
 ただそう一言呟き、紅矢は部屋から出ていってしまった。守達は何も言わない。葉澄は少し迷ったが、すぐに紅矢の後についていった。


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