エレクトリック・エチュード 第13章


 二人の戦いを、遠くから見つめる葉澄、明、麗と守、美奈子。紅矢と切華の姿は彼らには点に見えた。しかし、ここにいても、二人の放つ衝撃が頬を薙いだ。
「私はこんな結果など望んでいなかった。どうしてあの二人が戦うんだ?」
 守が声を枯らして呟く。実の息子と娘が血を流して戦っている光景は、父親にとっては苦痛でしかなかった。美奈子がそんな守の肩を叩く。
「一人は許し、そしてもう一人は許せなかった。ただそれだけです」
「違うな。これは天罰だ。人を冒涜した者への」
「守さんは冒涜なんてしてません。守さんも奥さんも二人を愛していた」
「ああっ、愛していたとも。だが、それは所詮私と泉だけの愛情だった。それが子供達にも伝わるなどと、勝手に考えていた私への罰なんだ。二人にとってあれは単なる苦痛でしかなかったんだ‥‥」
 守は跪き、涙を流す。美奈子が守の肩を抱き締める。それを黙って見つめる葉澄達。彼らには何も言うべき事は無かった。天罰、冒涜。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。だが、誰も幸せになどはならなかった。
 と、その時だった。何かがこちらに転がってきた。それはペットボトルだった。中には透明な液体が入っていて、火のついた導火線が蓋につけられていた。
「!」
 葉澄は脱兎の如く走りだすと、ペットボトルを思い切り蹴飛ばした。ペットボトルは宙に舞い、そして空中で爆発を起こした。
「きゃぁ!」
 真っ白い爆風が五人を襲った。守、美奈子は抱き合うようにしてその場にうずくまり、明は麗をかばうように前に立つ。その爆発の向こうに晃太が立っていた。
「久しぶりじゃん。皆さん」
 晃太はいつもの笑みを向ける。その手には無数のペットボトルが握られている。明が木刀を構え、晃太の前に立つ。今ここで彼と戦えるのは明だけだった。
「どうして切華の方についたんだ? 今まで一緒にやってきたじゃないか」
「そう、一緒にやってきただけ。俺は一言もずっとにいちゃんの方についていくと言った覚えは無い」
「‥‥裏切り者」
 明は木刀から真剣を抜き出す。晃太は身を低くし、ジッポライターを手にする。
「おっさんよ。あんたの言う通りだ。あれは天罰なのさ。人の心が分からない者へのね」
「‥‥」
 守は晃太を見る事無く、その場で慟哭する。明が叫ぶ。
「うるさい! それは君の言う台詞じゃない。それは紅矢さんや切華が言うべき事だ」
「かもね。でもさ、もし俺がにいちゃんやあの子の立場だったとしたら‥‥」
 一本の導火線に火をつけ、晃太はペットボトルを投げた。
「許せないね!」
 その声とほぼ同時に明が晃太に向かって駆け出した。
「このぉ!」
 再び葉澄がペットボトルを蹴り上げる。再び空中で爆発が起こる。麗が守と美奈子の上に被さるようにして、倒れこんだ。
 明は欠片のためらいも無く、真剣を晃太に振り下ろした。
「うおっと!」
 晃太は無理にかわそうとして、バランスを崩す。明がすかさずその隙を突いた。晃太の手にしていたペットボトルが数本切れた。中の液体が明にかかる。それを見て、すかさず晃太がライターの火を明に近付けた。
 その瞬間、明の腕に火がついた。その炎がみるみる駆け昇り、背中一面に広がる。
「うわああ!」
 その場で暴れる明。晃太は明を通り過ぎ、倒れこんでいる麗、守、美奈子の前に立つ。
「普通に考えたら悪いのはやっぱりあんた達だろう。少なくとも、俺はそう思うね」
 残ったペットボトルの導火線に火をつける晃太。麗が目を閉じる。
「させるかぁ!」
 その時、晃太の後ろから明が抱きついてきた。彼の体は火に包まれている。その炎の中、明は切華にも負けないほどの形相をしていた。明が晃太に抱きついた瞬間、晃太の服にも火が回る。そして、その火が晃太の持っていたペットボトルの導火線に引火する。
「やべぇ!」
 晃太が驚きの顔を見せ、同時に明が道路を蹴った。抱き合ったまま転がる二人。麗達との距離が五メートルほどになったその瞬間、二人は巨大な爆発に呑まれた。
「明君!」
 麗の悲痛な叫び声が爆風に呑み込まれる。やがて爆発がおさまる。二人共、ピクリとも動かない。麗は立ち上がり、急いで明の元に駆け寄る。その後に、葉澄も続く。葉澄も守達が気になったが、それよりも明の容態が気になった。
「明君! しっかり!」
 その声で、明の目がうっすらと開く。服はボロボロになり、体の至る所に火傷と切傷がある。それでも、明は何とか生きていた。
「‥‥所詮素人の作った爆弾。それほど威力は無かったみたいですね」
「喋っちゃダメだってば」
 麗が涙目になりながら、焼けた明の髪を撫でる。
「私はいいから、早く逃げてください。今は美奈子さんや守さんの方が大事でしょう」
「でも‥‥」
 麗は躊躇する。このままほおっておいたら、すぐにでも死んでしまいそうだ。麗は今ここで彼の傷を手当てをしたかった。しかし、明の言う事も正しい。
 明は笑い、麗を頬を撫でる。
「死にませんから」
「‥‥分かったわ」
 麗は明の頬にキスをするとその場に明を残し、立ち上がった。
 その隣では晃太が笑った顔で葉澄を見上げていた。葉澄がきつい目を降ろす。
「‥‥まだ生きてたの?」
「ああっ‥‥。運がいいんでね」
「裏切り者は、そこで寝てなさい」
「ああっ、そうさせてもらうよ。でもさ、一言いいかな?」
「何?」
 葉澄が聞くと、晃太は雨の落ちる曇り空を見上げ、初めて真剣な顔つきになった。
「あの子の気持ちだって分かってやれよ。生まれてからずっと、冷たい研究所に閉じこめられててさ‥‥。誰だって、あんな事したくなるさ」
「紅矢さんは違ったじゃない。あの人もずっと閉じこめられていた。それでも、あの人は復讐をしようとしなかったわ」
「‥‥じゃあ、仮にねえちゃんが閉じこめられていたとしたら、どうする? にいちゃんと同じ態度がとれたか?」
「‥‥何が言いたいのよ?」
「俺はさ、妹の方が正しいと思うのさ。例えそれが世間で間違ってるって言われてもね」
 そこまで言うと、晃太は気絶してしまった。葉澄はそんな晃太をじっと見つめていた。その目に、頑なな決意が見て取れた。
「正しいとか、間違ってるとか、そんなの知らないわ。私はね、紅矢さんの方についていくと決めた。だからここにいるのよ」
 葉澄のその言葉を、晃太は聞いていなかった。
 その時、葉澄の上空で暖かい風が吹いた。葉澄が見上げると、そこに蒼い光に包まれた切華が鞭を振り上げていた。
 切華は守達の方を見ていなかった。葉澄を睨んでいた。
「そんなの、私は認めないんだからぁ!」
 鞭が道路を削る。葉澄は真横にジャンプして、その攻撃を何とかかわす。だが、その鞭は後ろにいた麗の腹に直撃した。
「きゃああ!」
 麗は思い切り後方に吹き飛び、水溜まりの中に倒れた。大量の白煙が吹き出て、麗は動かなくなった。
 ザザザッと車の急ブレーキのような音と共に止まる切華。ゆっくりと振り向く。汗と血に塗れた笑顔があった。葉澄の体が凍り付く。が、その心は熱く滾っていた。
「‥‥兄さまは永遠に私の物。誰にも渡さない」
「うるさいわね」
「‥‥何?」
 思わず、切華が聞き返す。葉澄は毅然とした態度で、切華と対峙していた。
「誰を好きになろうが、私の勝手じゃない!」
「‥‥身勝手な女」
「あなたに比べればマシだわ」
「‥‥」
 激しく睨み合う二人。切華は両手の鞭を構える。葉澄はそこから一歩も動かない。戦えば、まず間違いなく殺される。だが、このままこの女にいいように言われたくなかった。あれだけ愛してくれる人がいるのに、それに応えようとしない。それが、葉澄には我慢ならなかった。
 切華が鼻で笑う。だが、それは明らかに動揺があった。
「私と戦って勝てると思うの?」
「やれるもんなら、やってみなさいよ」
「勿論よ」
 切華は鞭を振り上げる。と同時に、高速で飛んできた紅矢が切華に体当たりをかけた。切華の体が激しく道路に叩きつけられる。
「切華ぁ!」
 紅矢が倒れる切華に向けて剣を振り下ろす。それを、切華は素手で受けとめた。切華の手は眩しい程に光り輝いている。
「もう少しだったのにぃ‥‥」
「もうやめてくれ‥‥切華」
「私はね、兄さま。兄さまが他の女に取られるのが嫌なの」
「俺はずっとお前だけを見てる。今もだ」
「だったら‥‥あの女を殺させてよ!」
 切華の体が光り、紅矢から一気に離れる。紅矢は道路を蹴り、切華を追う。再び二人の姿は点になった。
 高速で移動しながら、凄まじい輝きを放つ衝突。切華の鞭が紅矢の剣に絡まり、閃光が溢れる。紅矢は剣を引く。鞭が切れる。だが、再び鞭は姿を取り戻し、紅矢に襲いかかる。
「うっ!」
 首に触れる鞭。痕が焼けただれる。それでも紅矢は歯を食いしばり、八の剣を振るう。切華の腕に鮮血が走る。切華の顔が苦痛に歪むが鞭を振るうのをやめない。空を蹴り、距離を置くき、大地に手をつける。だが、紅矢は大地を蹴って距離を狭め、大蛇を出現させる隙を与えない。そのまま剣を大地に突き立てた。
「あっ!」
 道路が盛り上がり、切華がバランスを崩す。その瞬間を狙い、紅矢が剣を横から薙ぎ払った。剣は切華の太股をかすり、鮮血が道路に飛び散った。
 その場に倒れる切華。だが、紅矢は攻撃の手を緩めない。倒れる切華に剣を振り上げる。
「ふんっ!」
 剣が道路から刺さるその瞬間、切華は飛び上がり、体を捻らせて蹴りを放った。蹴りは紅矢の腹に突き刺さり、衝撃で数メートル吹っ飛んだ。その足は青く光輝いて、紅矢の腹からは黒い煙が小さく棚引いていた。
「くっ‥‥」
 腹を抱え、立ち上がる紅矢。切華も流れる血を払う。二人共、目は狼のそれとそっくりだった。濡れた体からは湯気が立ち上っている。
 二人の壮絶な戦いを、葉澄は固唾を呑んで見守っていた。もう、誰も二人の間に割って入れない。切華もとてもこちらに気を回している余裕は無かった。それほどその戦いは常軌を逸し、凄まじかった。
「何してるの! 早く行きましょう!」
 そんな葉澄の手を美奈子が握り、走りだす。守もついてくる。しかし、麗と明は倒れたままだ。
「まだ麗さんと明さんが‥‥」
「今はそんな事言ってる余裕は無いわ。少しでも逃げましょう。切華ちゃんの狙いは私達三人なのよ!」
 美奈子の手はきつく握られている。葉澄は倒れたまま動かない麗と明を心配に思いながらも、その場を後にした。


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