晃太の家はあの公園から歩いて二十分程の所にある一軒家だった。閑静な住宅街で、そこにはあの事件の騒音など欠片も無かった。既に日も暮れていた。
四人が家に来た時、家には誰もいなかった。晃太の話だと、親は共働きだと言う。晃太の部屋は二階で、スポーツ選手や有名ミュージシャン達のポスターが至る所に張ってあり、一言で言えば喧しい室内だった。
「ええと、名前は毛利洋一郎ね‥‥。毛利、毛利‥‥」
晃太はパソコンの前に座り、さっそくキーボードを叩き始めた。それを紅矢と葉澄、明の三人が後ろから覗き込む。
「近衛さん。近衛さんは電気を操る事ができるんでしょう? パソコンとかも電気で動いてますけど、自由には使えないんですか?」
見ているだけの紅矢が気になったのか、明が訊ねる。
「電気を使えると言っても、電気で動くものを自由に使えるという事じゃない。ただ電気を出せるだけだ。パソコンができるってわけじゃない」
「妹さんの方はどうなんですか?」
「あいつは正直俺よりも電気の扱いが上手い。遠くの物を動かしたり、拳銃の弾のように打ち出したり、ある程度は自由に形を変える事もできる。電気を体に蓄積させる事で、驚異的な移動力や跳躍力も出せる。電気が人間の目に見えないくらい早いのと同じ原理だと思う。電気系統にもかなり精通していたみたいだから、多分パソコン程度だったら使えるはずだ」
「何でもできるんですね。‥‥どうして使えるのかは、やっぱり話せませんか?」
「すまない‥‥」
明の言葉に、紅矢は素っ気なく答えた。今まで誰も聞かなかったが、誰もが予想していた答えだった。マンションの中でどうして切華があの男を狙っていたのか聞いた時、紅矢は答えなかった。だから、その体の事についても答えてくれないだろう、と暗黙の了解のように葉澄達は思ったのだ。だから、明はそれ以上は聞かなかった。
今度は葉澄が質問する。
「近衛さんは、どのくらいできるんですか?」
「俺はあまり器用には使えない。さっき見た剣や、電撃を防ぐ壁を作れる程度だ。移動に関してはほぼ大差無いが、飛び道具もできない。コントロールがうまくできないんだ。ただ、切華より自由に使えない代わりに、威力はある」
自分の手を見つめる紅矢。
何故そういう変化が生まれたのかは分からない。だが、このままでは妹さんの方が有利なのではないか、と葉澄は不安に思った。物を動かせたり、飛び道具にする事もできるなら、遠距離から一撃でこちらを攻撃する事も可能なはずだ。それに比べると、どうしても紅矢は力不足に思えた。
「でもさ、普通の人間だって十分にパソコンは使えるんだぜ。ほれ」
晃太はパソコン画面を見せた。そこには毛利洋一郎という人物の情報がびっしりと並んでいた。
「これによると、毛利洋一郎って言う人物はこの街からかなり離れた所にいるらしい。電車で行って、そうだな‥‥一時間ってとこだな。昨日破壊された路線とは違うから、すぐにでも行けそうだ。行くかい?」
「また明日にしよう。不眠不休でやっても倒れるだけだ。切華の方も疲れ知らずってわけじゃない。明日でも間に合うはずだ」
紅矢は窓の外を見て言う。外は真っ暗だった。既に時間は午後の十時になっていた。
「明日、俺のマンションの前に集合という事にしよう。そこからタクシーか何かで駅まで行って、そこから電車に乗ろう」
「この前空飛んでたじゃん。それで連れてってよ」
晃太がデータをプリントアウトしながら聞く。
「一人だったらできるが、人を担いだままでは無理だ。その間は電気を放出する必要がある。黒焦げになるぞ」
「タクシー呼ぼう」
晃太は即答した。
それから携帯電話の番号を交換しあい、すぐに連絡がとれるようにした。紅矢は携帯は持っていなかった。理由は電気を放つと壊れてしまうからとの事だった。
「ところで、君達、学校とかはいいのか?」
番号を確認し終えた後、紅矢がふと思い立ったように口を開ける。
「俺、学校辞めたって言ったじゃん。まっ、仮に行ってたとしても、今回はこっちを選ぶだろうけどね」
晃太は二人を余所にフランクに言う。
「私はありますけど、何か理由をつけて休みます。こっちの方が大事ですから」
明も呆気なくそう答えた。
「私も同じです。学校なんかどうでもいいです」
葉澄もはっきりとした口調で答えた。学校を無断で休むなんて初めての経験だった。だが、葉澄は後悔などしていなかった。今自分の置かれている立場、それを考えると学校の事など頭に入らなかった。
それを聞き紅矢は少し安堵の表情になる。いつも険しい顔をしている紅矢にとって、それは珍しい顔だった。やがてその顔がもっと珍しい少し照れたような顔になる。
「それとさ、宮原君はさ‥‥俺の家に来てくれないか」
「‥‥へっ?」
唐突な申し出に、葉澄は思わず口をポカンと開けてしまう。しかし、紅矢の顔はもう真剣なものに変わっていた。
「過去に一度、切華は今回とは別の件で人を一人殺している。それが、今の君の情況と似てるんだ。‥‥だから、できる事なら君は俺のすぐ近くにいてくれると嬉しい」
それを聞いて、葉澄の背筋が凍り付いた。どういう理由なのかは簡単に想像がついた。切華が嫉妬の末に殺したのだ。方法は、考えるだけで鳥肌がたった。
「分かりました。両親には電話しておきます。友達の家にでも行くって」
「そう言ってくれると助かる」
紅矢は小さく笑い、頷いた。
「晃太。今、友達来てなかった?」
「たった今帰ったよ」
晃太が三人を玄関まで向かえ、三人が家を出たとほぼ同時に、一階の居間から晃太の母親らしき女性が顔を出した。どうやら、二階でパソコンをいじっている時に帰ってきていたらしい。
晃太は小さくノビをしながら一階の居間に入った。テレビがついていて、さっきの病院
の事件について報道していた。案外早いな、と晃太は思った。
「今日どこ行ってたの? 携帯もつながらないし」
晃太の母親が、テーブルに箸を並べながら訊ねる。
「ちょっと友人の家にいてさ」
晃太は適当な事を言って誤魔化した。
「そう‥‥」
母親は素っ気なく答えた。
それは親子の会話というにはあまりに枯れていた。しかし、これが晃太と彼の母親との関係だった。学校をやめてから、彼の母親は晃太に冷たく当たった。彼の母親は自主退学に最後まで反対していた。これからどうするのか、何も決まっていない息子の事を思っての事だったが、晃太はその思いを無視して辞めた。悪いと思った事は無かった。
「明日もさ、朝早くから出かけるから」
「帰ってくるの?」
「分からない。けど、帰ってくると思う」
「そう」
彼の母親は晃太の顔を見る事無く、食事を用意している。食事は二人分あった。しかし、晃太は食事をする事無く二階へと上がった。母親はそれを止めようとはしなかった。
二階への階段を上がりながら、晃太は早く明日にならないかな、と思った。
晃太は紅矢に出会えた事を幸福に思っていた。毎日つまらない日々の繰り返しだった生活に、強烈な刺激が生まれた。CG満載の映画を観るよりもよっぽど刺激的だ。それで死ぬかもしれない。でも、それでもいい。このまま何の起伏も無いまま人生を送るより、よっぽど有意義だ。
そう、晃太は思っていた。
「明さん、どこ行ってたの? 随分遅かったのね」
「すいません、母さん」
畳の敷かれた純和風の部屋で、明は深々とお辞儀をした。着物を着て、ゆっくりと食事をする清楚な女性はそんな明に細い目を向ける。
「何してたの? また剣道の練習?」
「はい」
「本当に熱心ね。まあ、お父さんは嬉しいんでしょうけど」
彼の母親は今日明が学校を休んだ事を知らない様子だった。騙しているようで明は心が痛んだが、本当の事を言う事もできない。今はこのまま押し通すしかないと明は決めていた。
「まあ、剣道に励む事は良い事だわ。一緒にご飯食べましょう」
「はい」
明は席についた。目の前のテーブルには豪華な和食が並んでいる。もっとも、それは代々伝わる剣道の師範の家系の食事としては至極自然だった。
「母さん、明日はいつもより早く家を出ますから」
「えっ? 聞いてなかったわよ、そんなの。何なの?」
「剣道の朝練習です。もうそろそろ三年ですし、そうすると、部長になりますから」
朝練習があるのも、三年になったら部長になる事も嘘ではない。ただ、それに出ないだけだ。
「そう。最近嫌な事件が多いから、気をつけるのよ」
「分かってます」
気をつける‥‥。他人にとってあの事件は所詮その程度なのだ、と明は感じる。何人ひとが死のうとも、それは他人事。明は自分の母親がそう思うのは仕方ないとは思いながらも、どこか悔しかった。
食事を少し早めに切り上げ、明は席を立つ。自分の部屋に向かいながら、昔父親から貰ったあの木刀の場所を思い出そうとしていた。
あの切華という少女。彼女は自分の攻撃を受けたのに平気な顔をしていた。紅矢の話だと、ある程度の攻撃は電気で軽減されると言っていたが、それでも明は納得できなかった。
この家系を受け継ぐ者として、あのまま終わるのはどうしても嫌だった。
そしてもう一つ。明が紅矢と同行する理由があった。それは安直な言い方だが、正義心だった。あのままあの少女を野放しにしたら、後何人被害者が出るか分からない。自分などは大した事もできないだろうが、それでも何か加勢できる事があるはずだ。
何かできるなら、しなければいけない。それが幼い頃から剣の道を歩んできた明の心情だった。