「切華‥‥。お前、何やったんだ?」
「お兄ちゃん‥‥ほら見てよ」
 切華は血に染まった両手を紅矢に見せる。切華の前では女性が一人倒れていた。それは紅矢にとって見慣れた女性だった。
「‥‥殺したのか?」
「そうよ。だってこの人、私のお兄ちゃんを独り占めしようとしてんだもの」
 切華は平然と語る。紅矢は体中がガクガクと震えていた。
「‥‥何言ってるんだ? お前」
 切華はゆっくりと立ち上がる。全身返り血まみれで、思わず紅矢は後ろに下がる。だが、切華は紅矢に抱きつく。
「お兄ちゃん。私達、自由になりましょ」
 首に手を回し、無理矢理紅矢の唇を奪う切華。紅矢はそんな切華に何の抵抗もできなかった。
「!」
 紅矢の目が開く。そこには黒い天井がある。隣を見ると、葉澄がベッドで寝ている。紅矢は額に浮き出た汗を拭った。
 人に話したから、あの時の思い出が蘇ったのだろうか。分からない。何にしろ、いい夢ではなかった。
「‥‥」
 もう一度寝ようと目蓋を閉じる。だが、眠る事など到底できなかった。


 次の日。その日は晴天だった。
 紅矢と葉澄がマンションから出るとそこにはもう晃太と明がいた。晃太は昨日と同じ格好をしていたが、明は私服だった。動きやすいようにか、ジーパンにシャツという出で立ちだ。勿論、その手には布袋に包まれた細長い物が握られていた。
 紅矢は昨日と同じ灰色のコート姿で、葉澄は学制服ではなく、紅矢と似たような色の服を着ていた。OL風のスラッとしたスーツっぽい姿で、少し大きめに見える。
 晃太達の隣には一台のタクシーが既に用意されていた。
「早速行こうぜ。ちなみに、金はにいちゃんのおごりって事で」
 晃太は調子良く笑い、タクシーに乗り込んだ。明も続く。紅矢も葉澄も微笑して、タクシーに乗り込んだ。
 タクシーで二十分程して駅に辿り着く。勿論、その駅は崩壊したあの駅とは別の駅だ。
「凄いね。日本の交通機関は。一昨日、あれだけの事故があったって言うのに、それでもちゃんと運行するだもんな。まあ、別の路線だけど」
 晃太が、過ぎていく街並みを眺めながら呟く。
「電車という交通手段は大事ですからね」
 明が答える。二人共、口では軽い事を言っているが、目は絶えず車内と車外を交互に見つめていた。勿論、切華の姿を探しているのだ。
 紅矢も神妙な面持ちで車内を見つめている。葉澄はそんな紅矢に寄り添うようにくっついている。端から見ると、恋人同志のようにも見える。
 晃太が葉澄の近くに寄って、耳打ちをする。
「なあ、昨日、何かあったのか?」
 それは興味本位という感じの言い方だった。葉澄の頬が染まる。
「べっ、別に何もないわ」
「しどろもどろに言っても説得力無いよ」
「そっ、そうかしら?」
 葉澄を目を泳がせてしまう。晃太はケケケッと笑って紅矢を見る。紅矢は二人の間に割って入る事ができず、明に声をかける。
「明君。木刀でどうにかなるものでもないと思うが」
「昨日の竹刀よりはまだマシです。電撃だろうが何だろうが、太刀筋さえ見えればかわせます」
「太刀筋ね‥‥」
 明の言葉に、紅矢は素っ気なく答えた。
 電車は何の問題も無く走っている。車内に切華の姿は無い。外にもいない。気づかれていないのか、それともどこか遠くで見ているのか、それは分からない。どちらにしろ、油断はできなかった。


 四人は駅から降り、バスに乗った。そこから毛利洋一郎のいる大学はすぐだった。晃太の情報によると、毛利洋一郎はその大学で物理学の教鞭をふるっているとの事だった。
 受け付けで紅矢が彼の名を出すと、受け付け嬢はすんなり彼らを毛利の部屋まで通してくれた。
 案内された部屋は大学の中とは思えないほど、素晴らしい装飾のなされた部屋だった。どうやらそこは教室ではなく、毛利の個室のようだった。茶色の絨毯にアンティークな戸棚が並び、中には学術書が詰まっている。その中で、洋一郎は高級そうなソファに腰掛け、紅矢達を出迎えた。
「来るとは思っていたよ、紅矢君」
「言っておくが、一昨日の事件も昨日の事件も俺じゃない。切華だ。あんた達を狙っているのは切華だ。俺じゃないからな」
 白衣姿の老人に、紅矢は念を押すような言い方をした。白衣に真っ白い髪の毛。長身で利発そうな男。それが毛利洋一郎だった。昨日死んだ勇よりも冷静そうな顔つきで体付きも幾分しっかりしている。何より、威厳らしき雰囲気が漂っていた。
「切華君がここに向かってきているんだろう?」
 洋一郎は落ち着き払った口調で言う。
「そうだ。いつまでもここにいるとあいつのいい的になる。だから、今から俺達と一緒に来てもらおう」
「一体どこに連れていく気だ?」
「俺の家だ。勿論、切華はそこを知らない。偽名で借りているから、情報を知るのは難しい。少なくともここよりは安全だ」
「君が私を殺さないという保証はあるのか?」
「今やっていない。それが証拠だ。やろうと思えば十回は殺せてる」
 紅矢が脅しともとれる言い方をする。洋一郎は鼻で笑った。
「いいだろう。どこへなりとも連れていくがいい」
 洋一郎は紅矢の前に両手を差し出した。
「何だか、やけに呆気ないな」
 晃太がぼやく。それに明も葉澄も首肯く。
「ふふっ、君達。紅矢君の友達かね?」
 洋一郎が意味ありげな笑みを三人に向ける。葉澄が答える。
「そうです」
「そうか‥‥。紅矢君、よく友達ができたな。私は正直、君は永遠に切華君と二人だけで生きていくと思っていたよ」
「切華がああならなければ、そうしていたさ」
「そうか‥‥。やはり、我々のせいなのかな」
「そうだ」
「ふふっ‥‥」
 洋一郎のその口調には反省や贖罪のような念は一切感じられなかった。


第4章・完
次のページへ    前のページへ    ジャンルへ戻る