「Like a Yellow Wings」 そのI


「もしもし? 私、明日野辺高校の松山未森と言う者ですが、そちらに青山武(あおやま たけし)さんという方はいらっしゃいますでしょうか?」
 次の日、未森先生は伶奈との約束通り、天ノ川学園に電話をした。少々お待ちください、という女性の声の後、男性の声が受話器から聞こえた。
「はい、青山です。伶奈の方から話は聞いてます。ウィングスの件ですよね?」
 まだ若そうな声だ。未森先生は語尾をのばさない普通の口調で、そうです、と答える。
「勿論、OKですよね?」
 電話越しから、すかさず言葉が出る。未森先生はため息一つ分間を置いた。
「いいえ、答えはノーです。残念ですが、そちらとの勝負は受けられません」
「‥‥今、何とおっしゃいました?」
 受話器の向こうから、素っ頓狂な声が聞こえる。どうやら、未森先生の言葉が信じられないようだ。未森先生は落ち着いた口調でもう一度言う。
「残念ですが、勝負は断らせて頂きます。うちの子達は勝負はしたくないと言っています。私もあまりそういうのには興味がありません。合同開催ならまだ分かりますが、公に勝負というならば承諾は出来ません」
 相手を説き伏せるように、未森先生は一言一言をしっかりと言う。電話の向こうでは言葉の途切れる声と、ため息のような音が断続的に続いている。そして、未森先生が言い終えると、待っていたかのように話しだした。
「ちょっと待ってください。あなたウィングスの評判は非常に高いのですよ。正直な所、うちと張り合えるとまで言われているんです。あなたは、どちらが上手かはっきりさせたいとは思わないんですか?」
「思いません」
「何故ですか? もしも、仮にうちの子達と戦って勝ったならば、あなた達は間違いなくこの県の一番ですよ」
「さっき言いましたよ」
「‥‥何と?」
「興味が無い、と。‥‥しつこい男は嫌われますよ、では」
 苦々しい顔で、未森先生は受話器を置いた。切る寸前、受話器からは何やら喧しい声が響いていたが、受話器を置くとその声も聞こえなくなった。
「‥‥まだまだな男ね」
 未森先生はそう吐き捨てて、職員室から出ていった。


「先生。紹介したい人がいるんですが」
「まあ、入部希望者〜?」
「いえ。今度の文化祭の時に、是非協力したいと言ってるんです」
 例の電話のやりとりの後、練習場に来た未森先生は、既に来ていた龍に声をかけられた。場内には既にメンバー達が集まっている。龍の後ろにはメンバーではない男子生徒が六人程立っていた。その中で、髪の毛を後ろで束ねた生徒が龍の隣に立った。少し顔長だが、いい目をしている、と未森先生は思った。
「どうも。龍の友人の高瀬佑一と言います。僕と後ろの五人は“クライム”というバンドを結成しているんですが、是非、今度の文化祭の時に一緒にやりたいと思いまして」
 そう言うと、後ろの五人は軽く未森先生に一礼をした。
「と言う事は、あなた達の音楽に合わせて踊ってほしい、という事ですね〜?」
「そうです」
「でも、今回どんな曲で踊るかまだ決めていないし〜。それにあなた達のレパートリーだって分からないわ〜。どんな曲が出来るの〜?」
「日本のロックならほぼ出来る自信があります。エックスジャポン、ルナオーシャン、グリーンモンキー、クレイならほぼ出来ます。ドラムとキーボードを別々の奴がやってるんで、バラードも問題ありません。要望があれば洋楽やその他の曲も文化祭までにマスターしてみせます。どうでしょうか?」
 佑一は切々と語る。その間、後ろの五人の内、龍に優るとも劣らない美形の青年が、じっと悠を見ていた。柔らかそうな茶色い髪の毛は、首に届くか届かないかという程度にのばされ、そのせいだけではないだろうが、青年の雰囲気を良いものにしていた。その視線に気づき、悠もその青年を見返す。
「‥‥何? こっちじろじろ見て」
「‥‥いや、以後お見知りおきを、と思ってね」
「はっ? 何言ってんの、あんた」
 悠が明らかに意味不明、という顔をするが、その青年は龍にはない清々しい笑顔を見せる。
「考えておくわ〜。もしあなた達に頼めそうな曲になったらあなた達と一緒にやるから〜。みんなもそれでいいでしょ〜?」
 未森先生はメンバー達を見る。メンバー達は龍を始めとして、皆頷いた。
「バンドとコンビ組んでやるなんて初めてですよね。それも楽しそうでいいと思います」
 皆の意見をまとめたかのように、静香が言う。未森先生も頷き、佑一の肩をポンポンと叩いた。
「今日か明日にでも曲を決めようと思うから、決まったら龍君経由であなた達に知らせるわ〜。なるべくあなた達の期待に答えられるように努力するから、胸を踊らせて待っててね〜」
「はい。ありがとうございます。サンキュー、龍」
 嬉しそうに笑った佑一は、龍の背中を力強く叩いた。その後ろで、例の青年と悠はまだ向かい合っていた。
「俺、ギターやってる二年の神崎靖之って言うの。近藤悠さん、だよね。一緒にステージに立てるといいよな」
「あんた、ストーカー? 何で私の名前まで知ってんのよ。それに、まだ一緒にやるかどうかは決まってないわよ」
 初対面なのにペラペラと話す靖之に、悠はますます困惑してしまう。相手が嫌な顔をしていないので、無理に怒る事も出来ないようだ。
「それじゃあ、俺達はもう帰ります。曲が決まったら知らせてください。では」
 律儀に再び頭を下げた佑一は、他の五人と共に練習場を後にした。去り行く時も、靖之は悠に手を振っていた。
「何なのよ、まったく」
「‥‥悠、意外と鈍感ね。あっ、意外じゃないか」
 煮え切らない顔の悠の隣で、涼が不気味に笑う。それを聞いて、悠は怒りもせず涼の顔を覗き込む。
「あいつは、私に気があるって言いたいんでしょ?」
「‥‥鈍感じゃなかったんだね」
 珍しく少し驚いた様子の涼に、悠は勝ち誇ったような笑みを向ける。しかし、すぐにさっきの煮え切らない顔に戻る。
「でもさ、初対面であの態度はないわよね。もうちょっと、初対面の話し方ってのがあるじゃない?」
「‥‥色々な人がいるって事」
 何かを悟ったかのように、涼は呟いた。
 クライムのメンバーが去った後、未森先生はドアを閉めて、再び元の位置に戻った。
「というわけで、今回はさっきのバンドの子達が一緒に参加したいと言ってきています〜。それを踏まえた上で曲を決めましょう〜。バンドだから、やっぱりロックがいいのかしらね〜。でも、今年最初もやっぱりロックだったから、今回は違う雰囲気の曲がいいわね〜。誰か案がある人いますか〜?」
 昨日といい今日といい、色々な事が起こったが、ようやく元のウィングスの会合になった。と皆が思った時だった。
 ドアを誰かがドンドンと叩いた。力任せな感じで、何度も何度も叩かれた。
「今度は何なの?」
 疲れたように静香はため息を吐いて立ち上がり、ドアの方に歩いていき、ドアを開けた。そこには伶奈と、二十代くらいの男性が立っていた。長身で格好良い感じがしたが、一目見て、静香は背中に鳥肌が立った。その目は、人を見下しているような嫌な目だった。
「ウィングスの担任、松山未森先生とお話がしたい。入っていいですか?」
 男は静香を見て言う。真っすぐで、静香はその目を見て身震いしてしまう。
「私が松山です。その声は天ノ川学園の青山さんですね?」
 座ったまま、未森先生は青山先生に手を振る。手を振ってはいるが、あまりいい顔はしていない。青山先生と伶奈は靴を脱ぐと、メンバーの間を大手を振って歩く。悠や涼は明らかに怒り顔をしている。桜子や奈々子は怯えている様子だ。
 未森先生の前に立った青山先生はその場にドカッと腰を下ろし、あぐらをかく。その後ろで伶奈が正座で座る。
「まだ何かあるんですか? 言うべき事は話したつもりですが」
 語尾をのばさない口調で、未森先生はつまらなそうに青山先生を見る。しかし、青山先生は真剣そのものという顔で見返す。
「納得出来ません」
「しつこい男、という言葉ですか?」
「違います! どうして勝負を受けないのか、という事です! 興味が無いですって?
そんな理由通じません!」
 怒鳴りつけ、青山先生はドンと床を叩く。桜子と奈々子の体がビクンと活きのいい魚のように跳ね上がった。しかし、未森先生は相変わらずのすました顔のままだ。
「理由なんかどうでもいいじゃないですか。私もこの子達もやりたくないと言ってるんです。だからやらない。それだけです」
「だから! どうしてやりたくないんですか?」
「‥‥‥本当にしつこい人ですね、あなたも。ウィングスは競技ではないんですよ。あなたは競技にしたがってるみたいですけど。でも、少なくとも今はまだ競技じゃない。だったら、勝負をする理由は無い。おわかり?」
「分かりません!」
 真っ赤になった青山先生の鼻をツンツンと指先でつつく未森先生に、青山先生はつばをかける程の勢いでまくしたてる。その勢いに、メンバー達は完全に圧倒されている。伶奈はその中で一人冷静に青山先生の背中を見つめている。
「‥‥あなた、ひょっとして恐いんじゃないですか? 負けるのが」
 皮肉っぽく、青山先生は口の端を上げて笑う。
「別に」
「臆病者なんですね」
「臆病者で結構。言いたい事言ったみたいですから、帰ってください」
「むきーーーっ!」
 悪口にもまったく動じない未森先生の様子に、青山先生は歯軋りをして悔しがる。それを爪をギリギリと噛んでいた悠が、凄まじい勢いで立ち上がる。
「先生! そんな事言われて何も思わないんですか? 臆病者ですって? 誰が臆病者だ、この野郎! ガキ臭い事言って、うちの先生挑発するな!」
「挑発されてるのはあなたの方よ、悠さん」
 なだめるように、未森先生は静かに言う。青山先生は悠の方をチラリとだけ見ると、再び視線を未森先生に戻した。
「どうやら、全員が全員反対というわけではないようですねぇ」
「あなたが余計な事言ったからでしょう。でも、そこまで言われて何もしないのも、何だか癪に触るわねぇ」
 未森先生はいつもでは考えられないような鋭い視線で青山先生を見返す。その視線に、青山先生は思わず顔を引いてしまう。
「先生! 勝負を受ける気なんですか? 昨日、あれほどやりたくないって言ってたのは先生じゃないですか」
 静香がいつもと様子の違う未森先生を心配そう見つめながら言う。未森先生はまたいつもの柔和な顔に戻る。
「勝負を受ける気は無いわ。でも、合同開催ならしてもいいと思うの」
「‥‥合同開催?」
 聞き慣れない言葉に、静香はつい聞き返してしまう。青山先生も伶奈も同じ顔をしている。他のメンバー達も、同様だった。その中で、未森先生だけが勝ち誇ったように笑っている。
「そんなに一緒に踊りたいならいいわよ、踊っても。文化祭の時に来なさいよ。校長先生に許可は取るから心配しなくてもいいわ。それが合同開催って意味。ただし、条件が二つ。一つ目は必ずあなた達が先に踊る事、そして二つ目は踊りの上手下手を公に決めない事。あんた達が心の中で勝手に決めるのは自由だけど。その条件を呑めるなら、一緒に踊ってもいいわ。どう?」
 皆、黙って先生の話を聞いていた。悠も静香も、立ったまま何も言わない。伶奈も青山先生も口をポカンと開けたまま、一言も喋らない。
「どうかしら? 先生殿。気に入らない?」
 挑発的な態度で、今度は未森先生が青山先生に詰め寄る。青山先生はしばらく黙っていたが、やがて一つ咳をすると、元の生意気そうな顔になる。
「いいですよ、それでも。どうせそれ以外の条件では受けてくれないんでしょう?」
「ご名答」
「‥‥分かりました。それでいいです」
「いいんですか? 先生」
 青山先生の後ろから、伶奈が口を挟む。伶奈は不服そうな顔をしている。そんな伶奈に
青山先生は含み笑いを向け、伶奈の綺麗な黒髪をグシグシと少し乱暴に撫でる。その顔は静香が見たような、人を見下すような目はどこにも無かった。
「ああっ、一緒に踊ればどちらが上手いかは分かる」
「‥‥」
 そう言われ、伶奈は苦笑してはいと答えた。未森先生は二人のやりとりをくいるようにじっと見ていた。
「さあ、詳しい話はまだ今度電話しますから、とりあえずは帰ってください。これから曲を決めたいと思ってるんですから」
 急かすように、未森先生は青山先生の肩を叩いた。青山先生は立ち上がり、満足気に口笛を吹きながら、ドアの前に立つ静香の腕を叩いて、練習場から出ていった。その後を追い掛けるようにして伶奈もその場を後にした。
 残された十二人と未森先生。真っ先に声を出したのは悠だった。
「先生。確かに勝負じゃないみたいですけど、どういうつもりなんですか?」
 十二人は疑惑や疑問に満ちた顔で未森先生を見つめる。未森先生はとても優しそうな顔でメンバーを見つめ、諭すような口調で言った。語尾が再びのびていた。
「天ノ川学園の人にも見せてあげたいの、あなた達の踊りを〜。理由はそれだけよ〜」
「でも、天ノ川学園の人達はやっぱり自分達の学校のウィングスを応援するんじゃないですか? 私、ブーイングの中、踊りたくないです」
 そう言ったのは桜子だ。さっきから猫耳が頭から見え隠れしている。未森先生は桜子の傍に座り、猫耳をいじりながら答える。
「楽しい踊りがブーイングを受けるわけないわ〜。今まで、あなた達は一度もブーイングなんてもらった事無いじゃない〜。みんなの踊りが見ている人達まで楽しくさせている証拠よ〜」
 桜子は気持ち良さそうに目を閉じて、その話を聞いている。
「つまり、先生はお固いあの人達の目を覚まさせてやろうと。そういう魂胆なんですね?」
 青山先生に触れられた静香の腕をさすりながら、透が思い立ったように言う。
「そんなに深い事までは考えてないわ〜。ただ、勝負とか無いんだったら、一緒に踊った方が楽しいかなって、そう思っただけよ〜。それに、何かの形でOKしないとあの先生いつまで経っても退かなそうだったから〜」
 その言葉を聞いて、メンバーの中から安堵のため息をもらす者が現われ始める。
 場内が再びいつもの雰囲気になると、未森先生は桜子の頭をポンと叩いた。
「みんな、あの青山先生が嫌いみたいね〜」
「当然です。勝負勝負って、ウィングスを間違えて理解してます」
「そうだそうだ。別の部活の担任やればいいのに」
 乙姫が怒った顔で言うと、隣の竹友も強く首肯いた。未森先生は苦々しく笑って乙姫の隣に腰を降ろすと、乙姫の肩を抱いて、皆を見渡しながら言う。
「それはちょっと違うわ〜。ウィングスというのはちょっと特殊なスポーツだから、あういう考えの人がいても仕方ない事なのよ〜。それに、あの人は決して勝ちたいという思いだけが先走って、あんな事を言ってたんじゃないと思うの〜」
「それ、どういう事ですか?」
「勝ちたいって事以上に、何かあるんですの?」
 福之助と綾音が眉をひそめて訊ねる。他のメンバーも、未森先生の言葉が理解出来ていない様子だ。未森先生は今度は綾音の隣に座り、綾音を頭を撫でながら落ち着いた口調で説明する。
「あの先生はね、自分の部の生徒が大好きなのよ〜。ほら、さっき伶奈さんの頭を撫でてたでしょ〜? あの時の青山先生の目はとってもいい目だったわ〜。自分の大好きな生徒達が頑張って踊りをしている。青山先生はその頑張りの成果をはっきりとしたもので証明したいのよ〜。分からない気持ちじゃないわ〜。競い事だらけの世の中で、人の声援が何よりの成果だと気づくのはなかなか難しいものなのよね〜」
 昔を思い起すかのように、未森先生は一つ一つの言葉を噛み締めながら紡ぐ。隣の綾音も福之助も、そして他の皆も黙って未森先生の言葉に耳を傾けていた。
「私達がそれを教えてあげるって言うのは、ちょっと大袈裟な言い方だけど、でも、私達が勝負とか関係無しに踊れば、あの人達も分かってくれるんじゃないかなぁって、そう思ったから合同開催を考えたの〜。合同開催の本当の理由、分かってくれた〜?」
「つまり、普通に踊ればいいって事ね! そうでしょ? ティーチャー」
 静寂を打ち壊して、シルビアが手を上げる。未森先生は嬉しそうに頷く。
「そうよ〜。要はそれが言いたかっただけなのよ〜」
 そう言うと、メンバーは皆微笑ましげに笑って、そうなんだぁ、と声を揃えた。悠も大いに納得したようで、高揚した気分で涼の頭をポンポン叩いている。涼も悪い顔はしていない。静香、透も手を取り合って笑い、竹友、乙姫もにこやかに笑みを見つめ合う。龍は相変わらずの顔の中に安心した表情を垣間見せる。奈々子、桜子も嬉しそうだ。福之助、綾音も小さな含み笑いが納まらない。
 未森先生はゆっくりと立ち上がると、オーディオコンポの前に立った。
「それじゃあ、曲を決めましょうか〜。せっかく他校の生徒が来るんだから、奮発してやりましょう〜。この際だから、二曲や三曲ぐらいやっちゃいましょうか〜」
「はい!」
 いつもの、元気な声が場内に響いた。


第五章・完
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