「Like a Yellow Wings」 そのH


第三楽章  そして楽しく踊れ! ウィングス

 九月も終わり、十月に入った。熱い日差しも無くなり、季節はまさに読書にも勉強にも、そして運動にもぴったりの涼しい時期に入った。そんなある日の事、事件は起きた。
「たのもーーっ!」
 体育館の入り口で一人の女がそう叫んだ。その声にバスケ部の連中が一斉にその方向を見る。灰色のセーラー服に真っ赤なリボン。どう見ても明日野辺高校のものではない制服を着た女子生徒が、仁王立ちでそこにいた。キリッとした顔立ち、短めの黒髪はどことなく静香を思わせた。しかし、金色のフレーム眼鏡をかけたその目はどこか威圧的で、恐かった。
 バスケ部の一人がボールを持ったまま、その女子生徒に近づく。
「あの‥‥何か用ですか?」
「ウィングスのメンバーに会いたいのだが」
「ウィングス? ああっ、彼らなら専用の練習場にいると思いますよ」
「その練習場はどこに?」
「体育館に来る時に部室のあるアパートみたいな家を見たでしょう? その部室の裏が彼らの練習場ですよ」
「そうか、すまない」
 女子生徒は敬語なのに偉そうな感じで一礼すると、クルッときびすを返して体育館から出ていった。その後ろ姿を、そのバスケ部員はじっと見つめていた。
「‥‥道場破り?」


「たのもーーっ!」
 ウィングスの練習場の扉を、その女子生徒は力一杯に叩いた。しかし、何の応答も無い。女子生徒の声が虚しくこだまするだけだ。女子生徒はもう一度大きな声で同じ事を言って、何度も激しくドアを叩いた。しかし、やはり何の反応も無い。
「‥‥いないのか?」
「あんた、何してんの?」
 後ろで突然声がして、女子生徒は悲鳴に似た声を上げて飛び跳ねた。後ろを振り向くと、そこには悠と涼の二人が制服姿で立っていた。悠は怪訝な顔で女子生徒を見つめている。
「あんた‥‥ここで何してんのよ?」
「‥‥他校の制服」
 涼の言葉を聞いて、悠は目の前でハアハアと息を荒げている女子生徒をまじまじと見つめる。
「お前‥‥この学校のウィングスのメンバーか?」
 ずり落ちた眼鏡を直しながら、その女子生徒は悠に訊ねる。
「そうだけど。その前に、あんたは誰で、ここで何してるか答えなさいよ」
 お前呼ばわりされて機嫌が悪くなったのか、悠は少し恐い口調で詰め寄る。女子生徒は立ち上がりスカートをポンポンと叩いて埃を落とすと、その悠の真っ正面に立った。頭一つ分、その女子生徒の方が背が高かった。
「あなた達の担任と話がしたい。呼んできてくれ」
 悠の力んだ顔を見てもまったく動じる事無く、女子生徒はそう言い放った。その態度に、悠の何かがプチンと切れた。
「あんたねぇ! こっちの用件聞かないで自分の言いたい事ばっかり言わないでよ! そんな態度じゃ、頼みを聞く気にもなれないわよ!」
「早く呼んできてくれ」
「人の話を聞け!!」
 一歩も退かず、悠はいつもの歯剥き出しスタイルになって女子高生に鋭い睨みを放つ。しかし、その女子高生は勇猛果敢にその顔に立ち向かう。
「あんたと話しても意味が無いの。早く呼んできて」
「きっさまぁぁぁ!」
 悠が人の声とは思えない不気味な声を出しながら、その女子高生の首根っ子を掴もうとした時だった。部室のあるアパートの方から、未森先生が姿を現した。その後ろに他のメンバーもいた。皆、異様な目で悠と見知らぬ制服を着た女子高生を見つめている。
「どうしたの〜? こっちにまで声が聞こえるわよ〜」
「むっ! あなたがこの学校のウィングスの担任ですか?」
 その女子高生は悠の頭を横にずらすと、未森先生の前に立った。
「そうだけど〜。あなた誰〜?」
 相変わらずの口調で質問する未森先生に、女子高生は深々とお辞儀をした。そして、悠の時とはまったく違う、丁寧な口調で言った。
「私は天ノ川学園のウィングスの部長をやっている夢野伶奈(ゆめの れいな)と言います。今回、ちょっと先生とお話がしたくて来ました」


 天ノ川学園(あまのがわがくえん)。明日野辺高校の近くにある、名門大学への進学率の非常に高い私立高校である。医者や会社の社長の子供などが通う高校で、生徒は皆エリート意識が高い言われている。
 伶奈と未森先生、そしてメンバー達は練習場の中にいた。メンバーは皆、この超エリート生徒が一体何の用事でここに来たのか分からず、ただただ未森先生の隣に座っている伶奈の姿を見ていた。伶奈はその視線など気にもせず、未森先生に話を切り出した。
「実は、この前のウィングスの発表の時に私も見に来ていたんです。大変素晴らしい踊りでした」
「どうもありがとう〜。それで〜? まさかそれを言う為だけに来たんじゃないでしょうね〜?」
 未森先生の独特の言い方に踊らされる事も無く、伶奈は真剣な眼差しで未森先生を見つめ、そして言った。
「はい。それで、是非この学校のウィングスとダンスの勝負がしたいのです」
「勝負〜?」
「勝負?!」
 未森先生の言葉と、メンバー達の言葉が重なった。未森先生は相変わらずの顔だが、メンバー達の顔には驚きの様子が隠せなかった。そんなメンバーを余所に、伶奈は淡々と語る。
「はい、勝負です。私達は今まで他の高校とも勝負をしてきました。それで、今度はこの学校と戦いたいと、あの発表を見て決めたんです。受けてくれないでしょうか?」
 そう言って、伶奈はその場に正座をして、再び深々と頭を下げた。手の置き方といい、頭の下げ方といい、訓練されたかのように整った形をしていた。
「ちょっと待ちなさいよ、あんた。ウィングスはスポーツだけど競技じゃないっていうルールなのよ。それがウィングスの特徴でもあるんだから。勝負なんて受けられるわけないじゃない!」
 まださっきの怒りがおさまっていない悠は、立ち上がり声を大にして怒鳴った。透や静香、涼もそれに強く頷く。頭を上げた伶奈は一点の曇りも無い視線で悠を見返した。
「今、そのルールを外そうという動きが目立ってきているの、知らないの?」
「‥‥えっ?」
 悠は思わず絶句してしまう。伶奈は悠の方に膝を向けて、ゆっくりと語りだす。
「スポーツなのに競技じゃない。これ、変だと思わない? だって、チアリーダーでさえもアメリカでは正式な競技とされていて、毎年頂点を決める為の大会が行なわれているのよ。確かに、ウィングスは観客を楽しませる為にある。でも、何の練習もしていない人には到底出来ないダンスを披露している。つまり、何の才能も無い人には出来ない事を、私達は出来るのよ。だったら、その特殊な才能の頂点に着く者達がいてもいいと思うの。少なくとも私なら、普通の人にはない才能があったら、その頂点に立ってみたいと思うわ」
「‥‥」
「私以外にもたくさんの人がそう思い始めてきている。だから、競技ではない、という公式ルールを変えようという動きが激しくなってきているの」
 伶奈は自分に言い聞かせるように言う。そして、誰もその言葉に反論する者はいなかった。悠でさえも説得力のあるその台詞に怖気づいたように押し黙ってしまった。
 伶奈は再び未森先生の方を向く。未森先生は退屈そうにあくびをした。
「先生、どうでしょうか? 受けてくれますか?」
 緊張感の無い態度に伶奈は幾分戸惑いながらも、真摯な態度で未森先生に訊ねた。
「あなたの学校のウィングスの担任さんは、その意見に賛成なの〜?」
「はい。私達のウィングスの担任はその運動の先駆者なのです。だから、私も他のメンバーもその意見に賛成しています」
「‥‥答えは明日でいいかしら〜? この子達とよく相談してから決めるから〜」
 未森先生はゆっくりと立ち上がると、練習場の入り口まで行き、ドアを開けた。涼しい風が入り込み、未森先生の髪の毛を揺らした。その態度は、“もうあなたは帰っていいわよ”という意志表示に見えた。
 伶奈もゆっくりと立ち上がり、二十四の瞳をグルリと見てから未森先生の横を通り過ぎた。そして振り返り、スカートのポケットの中から一枚の紙切れを出し、未森先生に渡した。
「うちの学校の電話番号と、担任の名前です。青山武と言います。電話する時は、この名前の人を呼んでください。では、いい返事を待っています」
「ちょっと待って〜」
 方向を変えて、歩こうとする伶奈の肩を未森先生が不意に掴んだ。伶奈は少し驚いた様子で未森先生を見つめ返す。
「何ですか?」
「あなたは楽しい〜? 人と争ったり、順位決めたりしながら踊るの〜」
 そう聞かれ、伶奈は少し笑って答えた。そこには、刺々しい表情は無かった。
「先生、順番が違うんじゃないですか? 踊って楽しい。だから、誰が一番人を楽しませる事が出来るのか知りたい。私はそう思っているだけです」
「そう、分かったわ〜。じゃあ、電話するから待っててね〜」
 言いたい事だけ言って、伶奈は練習場を後にした。未森先生はドアを閉めると、ゆっくりとした足取りで元の位置に戻った。無言のまま、十二人は未森先生の言葉を待った。
 未森先生は壁に背を預けると、いつもと何も変わらない感じで言った。
「それじゃあ、さっそく多数決で決めてみましょうか〜。天ノ川学園とウィングスで試合をしたくない人〜? は〜い」
 自分で言って、未森先生は自分で手を上げた。それを身じろぎせずに十二人は見つめている。誰も手を上げない。いや、上げないのではなく、突然の事で何も出来なかった、と言った方が正しかった。
 未森先生は手を降ろすと、ニッコリと笑った。
「担任命令です〜。試合はしません〜。文句ある人〜?」
 やはり誰も手を上げない。未森先生は立ち上がり、十二人の肩をそれぞれゆっくりと叩く。叩きながら話し始める。
「私は争い事が大嫌いです〜。だからこの部活の担任になろうって決めたんです〜。ウィングスのルールが変わったら、きっと私は辞めるでしょうね、担任〜。あなた達がどうしてもやりたいと言うのなら、少しは考えると思うけど〜。でも、それでも私の意見は変わらないけどね〜」
「‥‥私も嫌です、はい!」
 未森先生の言葉だけが響いていた場内に、桜子の声が響いた。桜子は体を少し震わせていた。
「私も争い事は大嫌いです。だから、ここに来ました。試合とか勝負とかしたら、意味なくなっちゃいます!」
 そう言う桜子の頭を、未森先生は優しく撫でた。
「いい子ね、桜子ちゃん〜。その通りよ〜。勝負なんてするだけ無駄よ〜」
「‥‥俺も同意見です」
 そう言ったのは龍だった。相変わらず愛想の無い顔だったが、目は強い輝きを放っていた。
「踊りなんて、やる奴と見る奴が楽しければそれでいいと思いますよ。上手い下手の問題じゃないですよ。俺が一年の時、失敗した事あったけど面白かったし」
「それでいいのよ、龍君〜。なかなかいい事言うじゃない〜」
「じゃあじゃあ、私も嫌!」
 龍の隣に座っていた奈々子も手を上げる。
「私、お兄ちゃんと一緒に踊れるだけでいいし。別に勝負とか興味無いし」
「無くていいのよ、興味なんて〜」
「私も反対です、そういうのって」
「‥‥勿論、自分もです」
 奈々子に続くように、乙姫と竹友も二人一緒に挙手をする。
「順位なんか決めても、何にもならないですし」
「そうです。上手と楽しいは、別問題です。私は楽しければいいです」
「いい返事だわ〜。さすが透君静香さんコンビを抜くカップルね〜」
「ワタシもダメな方にOKね!」
 シルビアもすかさず手を上げる。
「勝負、よくないと思うね。ウィングス、チアリーダーと違う。勝負なんかしたら、きっと楽しくないね!」
「そうよ、ウィングスとチアリーダーとは違うの〜」
「僕も反対」
「私も大反対」
 福之助と綾音も手を上げる。
「上手なら美味しくご飯が食べられるとも限らないし」
「ご飯はともかく、勝負なんかしたって何の賞品も出ないんでしょ?」
「刺のある理由ですけど、間違ってないわよ〜」
「私も当然ノーよ!」
「‥‥言うまでもないってやつ?」
 悠が勢いよく手を上げる。その後ろで涼も静かに手を上げる。
「あんな奴の踊り見たって楽しくなるはずないわ!」
「‥‥楽しくないだけ、損」
「彼女の踊りが楽しくないかどうかは分からないれど、勝負は嫌よね〜」
「‥‥部長として賛成出来ないわね、やっぱり」
「副部長も同意見だね」
 最後に、静香と透が言葉を揃えた。
「少なくとも今はまだ、ルールは変わっていない。だったら、勝負をする意味なんて無いわ」
「ルールが変わったらやめちゃうかも、俺」
「‥‥さすが私が任命した部長、副部長ね〜。素晴らしい意見だわ〜」
 結局、誰も賛成意見を出さなかった。未森先生は誇らしげな顔でメンバー達を見下ろし、元の位置に戻った。
「それじゃあ、明日断りの電話をする事にします〜。今日はこれでおしまい〜。明日、文化祭で踊る曲を決めましょう〜。じゃあ、解散〜」


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