「Like a Yellow Wings」 そのG


「先生! 何ですか、あのカードは!」
 悠が髪の毛を逆立てながら、未森先生に言い寄る。
「気に入ってくれた〜?」
「気に入るわけないじゃないですか! あれは人権問題ですよ!」
「みんな平等にしたつもりですよ〜?」
「‥‥あんた、先生に向かない性格してるわ」
 まったく反省の色の無い未森先生に、悠はハアと大きなため息をついた。
 竹友と乙姫が帰ってきた時、既に他のメンバーは帰ってきていた。皆、どこか悲しげな顔をしている。どうやら、あのカードを読んで意気消沈したらしい。
 竹友は透と静香の姿を探していた。乙姫と話をしてから、竹友はどうしても二人に言いたい事があった。二人は群衆から少し離れた所にいて、そこだけ二人だけの世界になっていた。もう、誰も二人の事など見ようとしていない。竹友は乙姫の手を握ったまま、二人に近づいた。
「透先輩、静香先輩」
 頭からハートマークが出てきそうな様子の二人に、竹友は声をかける。二人はとろんとした表情のまま、竹友と乙姫を見た。
「どうしたんだ? 二人共。何かレクチャーしてほしいのか?」
 透は静香の肩から手を離し、竹友の肩を叩いた。しかし、竹友の様子はまったく変わらず、真剣なままだった。それを素早く察知した透と静香は、体を離してキリッとした顔になる。
「何か‥‥真剣な話みたいね。言ってみて」
 静香が少し声のトーンを下げて訊ねる。竹友は乙姫を隣に寄せて、二人に言った。


 合宿も終わり、メンバーと未森先生は猿飛に別れを告げて帰路に着いた。
 帰りのバスの中、乙姫は嬉しそうな顔で、膝の上でウーウーと酔いで唸っている竹友のタワシのような髪の毛を撫でていた。それを一つ前の席に座っていた福之助が微笑ましげに見ていた。
「いい雰囲気だね、竹友君は別として。それにしても、あんな事提案するなんて、二人も頑張るね」
 福之助の隣の席から、綾音も顔を出す。綾音の顔も、どこか嬉しそうだ。
「本当ですわ。‥‥でも、ちょっと羨ましいですけどね」
 二人からそう言われ、乙姫は頬をポッと赤らめる。
「ありがとうございます。みなさんには迷惑をかけますけど、許してください」
「いいって別に。僕達のパートには変化無いし。それに、透先輩も静香先輩もダンスは慣れてるから、そんなに迷惑にはならないと思うよ」
 終始笑顔のまま、福之助は額から脂汗を流している竹友の肩をツンツンと指でつついた。
 静香と透は、未森先生が書いてくれた踊りの書かれたノートに目を走らせていた。
「もうそろそろ、世代交代かしらね」
「かもね」
 二人は新しく覚えなければならないパートの部分を見ながらも、不安の表情は一切伺えない。それどころか、逆に嬉しそうに頬を緩めている。
「本当にあなた達でよかったわ〜。他の子だったら入れ替えがきかなかったかもしれないしね〜」
 二人の前の席の未森先生が、クルクルとペンを回しながら言う。
「それにしても先生。よくOK出しましたね。こんな事、そう滅多に起こる事じゃないのに」
「まあ、踊るのはあなた達だしね〜。あなた達がいいならば、私もOKって言わないわけにはいかないわ〜」
「‥‥こういうところだけ、先生っぽいですよ」
「こういうところって言葉は余計よ、透君〜」
 そう言って、未森先生はペンをピタリと止めた。
 乙姫と竹友が透と静香に言った事。それは役を交換してほしい、という事だった。透と静香は驚いた顔をしたが、しっかりと握られた二人の手と、その一点の曇りもない真剣な眼差しを見てすぐにOKサインを出した。乙姫と竹友は、それを聞いて、ありがとうございます、と二人一緒になってお辞儀をした。多分、今の二人同時の返事は練習などしてないんだろうな、と思いながら、透と静香は笑って、構わないよ、と答えたのだった。


 夏休みも終わり、二学期が始まった。始業式は終始ダランとした雰囲気の中で行なわれ、まだ夏休みボケが抜け切れていない者も多く、あくびを連発する生徒や、二ヵ月ぶりにあった友人と話を弾ませている生徒で体育館は埋め尽くされていた。
 始業式の後、校内の部活用看板には無数のポスターが貼られた。それは九月の下旬に行なわれるウィングスの告知ポスターだった。帰り際、そのポスターを眺める生徒達が大勢いた。
 そして、始業式のその日から、ウィングスのメンバーは部室裏の練習場で猛練習を始めた。合宿である程度は様になっていたが、まだまだ未完成な部分が多い。しかも、突然透と静香の役が乙姫と竹友に移った事もあり、残された課題は山積みだった。しかし、誰も乙姫と竹友に役が移った事に文句を言う者は無く、皆熱心に練習に取り組んだ。そのお陰で、発表一週間前にはダンスはほぼ完成していた。
 そして、残り一週間も矢のように過ぎて、ウィングスの発表日の土曜になった。
 土曜の午後、体育館は前回よりも多くの生徒達が集まっていた。勿論、その端には先生達の姿もある。場内は活気と熱気に溢れ、開け放たれた窓から流れこむ清々しい風は、まるで冷風のように館内を通り過ぎた。
 壇上の裏で、メンバーと未森先生が待機していた。悠、涼、奈々子、桜子、綾音、そして静香の六人はウエイトレスのようなピンクのヒラヒラしたスカートをなびかせた服を着ていて、手にはホウキが握られている。透、福之助はウェイターのようにシワの無い黒いズボンに、これまたシワの無い白いYシャツという姿、手には女子と同じくホウキがある。龍は中年が好んで着そうな灰色のスーツ姿で、シルビアはスリットの入ったきわどい紫色のドレスを着ている。胸も半分近く見えている。しかし、シルビアは何の恥ずかしさも無さそうだ。
 そして、乙姫はクリーム色のセーターに赤と焦茶のスカートを履き、それを覆うように薄緑色のエプロンを着ている。竹友は紺色の綺麗なスーツに真っ赤なネクタイ姿だ。
 未森先生は十二人の顔を眺めながら、少し声のトーンを下げて言う。
「ええと、合宿が終わってからも色々とありましたが、みなさん、とても素晴らしい踊りになっていました〜。だから、緊張しないで元気に踊ってください〜。前回は本当に綺麗に出来ましたよね〜。あの調子でいいんですよ〜」
 時間は午後十二時五十五分。前回の踊りを知っている客の熱狂ぶりは、カーテン越しでも十分に分かる。未森先生は十二人全員の肩を叩きながら、最後にこう言った。
「初心を忘れちゃダメよ〜。楽しく〜。それが最初で最後のルールだからね〜」
 未森先生は乙姫と竹友の肩を特に強く叩くと、壇上から降りていった。
 残された十二人は緊張の様子も無く、楽しげにどう踊ろうか、などと話している。竹友と乙姫の二人は一番前にいる透と静香の肩を叩く。振り向く二人に、竹友と乙姫は深々とお辞儀をする。
「本当にありがとうございます。自分達のお願い聞いてもらって」
 そう言う竹友の肩を静香がポンポンと叩いた。顔を上げて竹友は静香の顔を見る。静香の顔には、何の怒りも見えず、終始微笑ましい笑顔だった。
「いいのよ、別に。こうして間にあったんだからいいじゃない。それに、私と透の関係は見ている人の中でも知ってる人が多いけど、あなた達のカップルはあんまり知ってる人がいないから、意外性があって面白いと思うのよ」
 カップルと聞いて、乙姫と竹友は同時に頬を朱色に染める。
「カップルだなんて‥‥そんな」
 乙姫は竹友のスーツの裾をクイクイと引っ張りながら、照れた表情を隠そうとする。それを見て、静香と透は顔を見合わせて苦々しく笑う。
「初々しいねぇ」
「まったくだわ、妬けちゃうわね。さあ、行ってらっしゃい、お二人さん」
 時間が一時になり、観客席の歓声が一際沸き上がった。そして、ゆっくりとカーテンが開かれる。
 壇上には家の中だと思われるセットが用意されている。観客席から見えない所には別のセットも用意されている。そのセットの周りには数人の生徒が待機している。
 そして、竹友と乙姫の二人は透と静香に背を押されて壇上に出た。


 レッツダンス!
 ヴァイオリンやビオラと言った弦楽器の音が広がり、それに激しいドラムとギター、ベースの音が重なり、音楽が始まった。まだ歌は始まっていない。
 竹友と乙姫は壇上に出ると、体を密着させて踊り始める。クルクルと回り、手を握ったまま離れてはまた体を密着させる。乙姫のエプロンがフワフワと舞う。華麗で、息の合った踊りだった。スポットライトが二人を追いかけるようにして動く。そして、しばらくして歌が始まった。
 “町の隅でホンワカ〜 夢にまで見たマイホーム 美しい空”
 少し間延びした歌が始まる。歌詞に合った、いい感じの声だ。竹友と乙姫は家のセットを背景に、たった二人で壇上全部を動くかのようなダンスを披露する。とても途中で配役を変えたようには思えない、見事な動きだった。
 “エプロン姿の自慢のワイフ 庭で日向ぼっこ イッツ ワンダフルライフ!”
 歌に合わせて、乙姫は満面の笑顔を観客に向け、竹友も乙姫の手をしっかりと握って派手に回る。ワンダフルライフとはまるで自分達の事を言っているようだ、と二人は踊りながら思う。観客席からは竹友と乙姫の友達の声援が一際高くこだましている。
 “突然現われた係長 そして無理矢理 一年半の悲しい一人旅”
 壇上の隅から龍が姿を現す。客席の一部から、龍! という黄色い声援があがる。龍は練習通りの角張って、しかしどこか流暢な踊りを見せ、戸惑う様子の乙姫と竹友の周りを回りだし、そんな二人を強く指差す。乙姫と竹友は驚いた演技で、怒った顔をしている龍を見つめる。踊りをやめ、オーバーリアクションで龍から逃げようとする。
 ドラムの音が一層激しくかき鳴らされ、歌はサビへと入っていく。スポットライトがより強く輝き、シルビア以外の残りメンバーが入ってゆく。客席が一斉に騒ぎだす。
 “この虚しさをどうすればいいの? 君以外に僕を救ってくれる人がいるの?”
 定位置についたメンバーはホウキをステッキのように回し、掃く真似をしながらその場でコサックダンスにも似た軽快なダンスを見せる。。
 竹友、乙姫と龍がそれと同じ動きで踊り、足を開き、手を掲げて踊る。
 “行く先々で現われる魅惑の美女 目を奪われるのは彼女達のボイン”
 サビが終わり、再びメロディに入る。そして最後のシルビアが歌詞の通り魅惑のダンスで竹友と乙姫の間に割って入る。シルビアが腰をひねって激しくドレスの端を揺らす。その度、スリットから綺麗な太股がチラチラと見え隠れする。その高校生とは思えない見事なボディーが存分に披露されたその衣裳に、観客席から男子のオーッという声が聞こえる。
 乙姫は驚いた様子で派手に転んでみせ、竹友は彼女に手をのばそうとするが、そんな竹友の顔をシルビアが自分に向けられる。そして、竹友とシルビアが二人並んで踊りだす。
 “あいつの事が好きなのに 今何故いないのか分からない ああ”
 龍の手を取って、龍と一緒に踊る乙姫。シルビアと体を密着させて踊る竹友。その周りで他のメンバーが頬に手を当てて考え込んだりした様子を見せる。
 “この孤独さをどうすればいいの? 誰が君を救うんだい?”
 再びサビに入り、メンバーは再び派手に踊りだす。龍に手をとられた乙姫と、シルビアに手をとられた竹友は、何度ももう片方の手をのばすが、その手は握られない。周りのメンバーは隣同士で手をつなぎ、フィギュアスケートのようにクルクルと回る。
 “君はローズで僕はジャック 沈んでしまったら何もかも大往生!”
 後ろの家のセットが右に動かされ、代わりに星の瞬く夜のセットが左から来る。その間に、龍と乙姫は左端に、竹友とシルビアは右端に移動して踊り、真ん中には残りのメンバー達がくる。三ヶ所でそれぞれバラバラの踊りが展開される。黄色い光が青白っぽい光に代わり、壇上は夜のようになる。観客席からは既に大合唱が起きていた。
 “この虚しさをどうすればいいの? 君以外に僕を救ってくれる人がいるの?”
 真ん中のメンバーが散り散りになり、再び四人が真ん中にやってくる。龍とシルビアが手を離す。自由になった乙姫と竹友はすかさず抱き合い、竹友は乙姫の腰を、乙姫は竹友の背に手を当て、今までにないくらい激しく舞う。その両隣で龍とシルビアが一人きりで
悲しげな顔をして踊る。更にその周りで残りのメンバーが笑顔でホウキを振り回す。
 “君の温もりが恋しいよ 君の作った料理を食べたいよ 今はまさに大往生!”
 サビが続き、踊りは最高潮に達していく。竹友と乙姫は真ん中で、主役に相応しい体全部を使って踊る。手を上げ、足を広げ、最高の笑顔で大手を振る。その隣の龍とシルビアの踊りは二人に比べて静かだ。顔も俯きがちで、手の上げ方もぎこちない。
 前に比べて笑いの多い観客席からは、手拍子と一緒に歌われる歌が途切れる事無く続いている。青白い光は再び眩いまでの黄色に戻り、観客席をも光で埋め尽くしていく。
 “早く帰ろう 早く帰ろう お金なんかはちょっとでいいのさぁ!”
 歌が絶叫して終わっても、音楽は続く。十二人皆の動きが一つになり、綺麗に舞う。ホウキが上に投げられ、下に落ちると同時にウエイトレスウエイターメンバーはジャンプしてホウキをキャッチし、残りの四人がその場で派手に一回転した。そして、音楽がフェードアウトしていくと、メンバー達の踊りも静かなものになっていき、完全に消えるとメンバー達の踊りも止んだ。
 ダンスが終わると、手拍子が一斉に拍手に変わった。竹友と乙姫は汗だくになりながらも至福に満ちた笑顔で、互いを見合わせ、そして観客席に向かって深く一礼した。それに合わせて龍とシルビアも頭を下げる。そして、最後に残りのメンバーが礼をする。皆、爽やかないい顔をしている。
 そして、壇上の端から未森先生がマイク片手にやってきた。
「本日も満員御礼、ありがとうございます。今回は少し趣向を変えてみましたがいかがでしょうか? 今度は勿論、文化祭です。もっともっと凝った踊りを披露したいと思いますので、楽しみにしていてください」
 そう言うと、マイクのスイッチを切り、軽く一礼する。壇上で誰かが礼をする度に、拍手の音量は上がった。そして、その拍手はカーテンが閉まってもしばらく続いていた。


「さっき、友達に声をかけられました。踊り、良かったよって」
「自分もです」
 夕暮れをしげしげと眺めながら、乙姫と竹友は肩を並べて会話を弾ませている。二人の視界には十人のウィングスメンバーが映っている。皆、竹友と乙姫を見てはニコッと笑って見せた。
「今回も成功して良かったですね」
「ええっ、本当に」
 竹友と乙姫も満足した顔で見つめる。その様子を、悠が少し不機嫌そうな顔で見ている。そして、二人に近づき声を荒げた。
「あんたたち‥‥。告白とかしたの?」
「えっ? ‥‥別にしてませんが」
 乙姫は不思議そうに悠を見返す。悠は呆れた顔をして二人を見る。
「告白とかしなくっちゃ、正式に付き合ってるって言わないのよ。あの透だって、ちゃんと静香に告白してあういう関係になったんだから」
「あのってどういう意味だよ」
 先頭を歩いていた透が、ジロリと悠を睨む。その隣で、静香がフフフッと含み笑いをする。悠は透を無視して、竹友と乙姫ににじり寄る。
「はいはい、じゃあ私がエスコートしてあげるから。竹友君、乙姫ちゃんの真正面に立ちなさい」
 悠は竹友の背を押し、乙姫の真正面に立たせる。乙姫は恥ずかしそうにモジモジと太股をすり寄せているが、あながち嫌な気もしていなさそうだ。
「はい。僕と付き合ってくださいって言うの」
 竹友は頭をポリポリとかきながら、大きく息を吸う。
「‥‥これからも、一緒にいてください。お願いします」
「はい、私でよければ」
 竹友が頭を下げると、乙姫も間髪入れずに答え頭を下げた。その頭と頭がゴチンとぶつかった。二人は頭を抱えて藻掻く。
「あんたたち‥‥近すぎよ。まっ、いいか」
 藻掻きながらも笑う乙姫と竹友を交互に見て、悠は破顔した。


第四章・完
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