「Like a Yellow Wings」 そのF


「‥‥」
 持ってきた小さなCDラジカセのスイッチを切った未森先生は、少しの間黙って踊りを終えた十二人の顔を見た。十二人共、真剣な目を未森先生から反らそうとしない。
 しばらくして、未森先生はにっこり笑った。
「良かったですよ、みなさん〜。たった三日でここまで出来るなんて、やっぱりあなた達はウィングスの素質があるんでしょうね〜」
 それを聞いて、十二人は我を忘れて、抱き合い喜びを分かち合う。
 合宿も二日過ぎて、三日目になっていた。そして、三日目の最後の通しの練習が終わった今、そのダンスは非常に見栄えのいいものになっていた。まだまだ改善しなければいけない部分はあったが、まだ発表までは時間がある。
「とりあえず、合宿の練習はこれで終わりにしましょう〜。あとは、帰って学校の練習場での練習でより細かな部分を仕上げていきましょう〜」
 予想以上の具合に、未森先生も満足そうな面持ちだ。そして、その笑顔のまま言葉を続けた。
「あと、今日は胆試しをやりたいと思います〜。夏と言えば花火か胆試しですよね〜。でも、花火の方はお金がかかるのでやめました〜。という事で、胆試しをします〜」
 思いもよらない言葉に、十二人は顔を見合わせてヒソヒソと話し始める。透や龍などは大して嫌そうな顔もしていないが、奈々子や桜子は明らかに嫌そうな顔をしている。他のメンバーも透や龍のような顔をしているし、悠や涼などはやる気十分と言った顔をしていた。
「いいじゃない、胆試し。私を恐がらせようなんて十年早いけどね」
「‥‥私、幽霊の役やりたいな」
「私もその案に賛成だわ」
 余裕たっぷりの悠と涼を見ながら、先生は声を少し張り上げる。
「時間は午後の九時からです〜。ここから歩いて十分くらいの所に廃墟になった教会があります〜。そこにボロボロになったマリア様の像があります〜。マリア様の足元に私が用意したカードがありますので、それを取ってきてください〜。あっ、二人一組でね〜」
 胆試しと言うと日本的なものを想像していた十二人は、一瞬だけ言葉を無くす。真夜中の廃墟の教会のマリア像‥‥。さすがの悠もゾクリと背筋を震わす。
「九時にここに集合してください〜。それまでに一緒に行く人、決めておいてね〜」
 未森先生は何やら怪しげな笑みを浮かべたまま、足早にペンションの方に戻っていった。その背中も何やら不気味に感じる。それを見つめる十二人はこの瞬間、胆試しには絶対何か仕掛けがしてある、と悟った。


 食事も済み、十二人は午後九時にペンション裏に集まった。既に外は真っ暗で、ペンション以外の場所から人工的な光も無い。うっそうと茂る木々は、とても人を誘っているようには見えなかった。
「みんな、ちゃんと二人一組になったかしら〜?」
 膝まであるズボンに、紺色のTシャツ姿の未森先生は右手に持った懐中電灯で十二人を照らす。十二人は二人一組で立っている。透と静香、悠と涼、龍と奈々子、桜子とシルビア、福之助と綾音、そして竹友と乙姫という、お決まりのパターンだった。二人に一つの懐中電灯が配られていて、七つの光はまるで緊急時の軍事基地のように忙しなく動いている。
 人数を確認した未森先生は木々のしげる方向を指差す。
「真っすぐ歩けば教会に着きます〜。途中に猿飛さんがいるので、もしも迷ったら猿飛さんを探してください〜。基本的には二十分もあれば行って帰ってこれます〜。なので、十分毎に出発して行きましょう〜。まずは、透君と静香さんのおしどり夫婦から行きましょう〜。木の影で変な事しちゃダメよ〜」
 茶々を入れる未森先生は意図的に無視して、二人はしっかりと手をつなぐ。透は袖の無いシャツにズボン、静香は肩の部分を紐で止めるタイプの半袖と、丈の短いスカート姿だ。懐中電灯を持っているのは静香の方だ。未森先生は無視された事に腹を立てているらしく、口以外の顔のパーツ全てで「怒り」を現している。
「透がいるから大丈夫だよね?」
 静香はほんの少し暗い顔を上げて、透の顔を覗き込む。風呂に入った為だろう、僅かに濡れた髪の毛がうなじに張りついて色っぽく見える。
「静香がいるから大丈夫だよ」
 透はそんな静香の髪の毛に触れながら、無理の無い素直な笑顔を向ける。
「イチャついてないで、とっとと行けぇ!」
 見ている方が恥ずかしくなるようなやりとりに耐えかねたのか、未森先生がゴムの切れた車の玩具のように叫んで、透の尻に強烈な蹴りを食らわせた。その衝撃で透と静香は森の闇に消えていった。懐中電灯の光だけが、闇の中でぽっかりと浮かんでいた。
「生徒に蹴りを入れるな、あんたは!」
 その暗闇の中から、そんな雄叫びが聞こえた。


「案外簡単じゃない。カードの文字はいいとは言えないけど」
 朽ちたマリア像の前で、静香は苦々しく笑った。光に照らされたカード。そこには、
 “透君と静香さんへ 避妊具はちゃんとつけるように”
 と、乱暴な調子の文字で書かれてあった。表には帰り道の地図が書かれてある。どうやら、行く人と帰る人が会わないように、帰り道を変えているらしい。
「あの先生、俺達が組む事分かってたんだな」
「まあ、誰でも分かると思うけど」
 教会は台風が直撃した後のように、見るも無残な姿を曝していた。ステンドグラスは割れ、イスは座れるようなものは一つも無い。マリア像は塗装が禿げ、目の淵からは雨水が乾いた跡がある。まるで涙を流した跡のようだった。夜に見るマリア像は、今にも動きだしそうで、その姿を初めて見た静香と透の二人も一歩後退りしてしまう程だった。
 しかし、それも最初だけで、ずっと見ている内に二人共慣れてしまい、カードを取る頃にはまったく恐がらなくなっていた。
「他のカードにはどんな事が書いてあるのかしら?」
 静香は残り五枚のカードをめくってみる。
 “悠さんと涼さん いつも一緒にいるとレズだと思われますよ”
 “川原兄妹 実は兄妹じゃなかったというオチはありませんので”
 “桜子さん シルビアさんから巨乳パワーを吸い取ってみては?”
 “福之助君 綾音さんと結婚すれば一生働かなくてもいいんですよ”
 “竹友君と乙姫さん 気が合うのは気のせいだとは思いませんか?”
「‥‥あの先生、私達に何か恨みでもあるのかしら?」
「恨みと言うより、ブラック過ぎるジョークって感じだけどね」
 残りの五枚のカードを伏せながら、二人は未森先生がウィングスの担任である事を少しだけ後悔した。


「‥‥悠。あんまりくっつかないでよ」
「それは私の台詞って事、分かって言ってる?」
「‥‥言ってる」
 懐中電灯の明かり以外、二人を照らす光はほのかな月の光だけだが、月の光は森の不気味さをより増徴させていた。しかし、悠と涼の二人は怯える事も無く、ズンズンと夜道を進んでいく。悠は黄色いTシャツと色褪せたジーパン、涼は上下が一つになっている白いワンピースという格好だ。
 涼は悠の腕をがっしりと掴んではいるが、それは恐いからと言うよりは、少しでもここに長い間とどまっていたいから悠を止めようとしているように見える。
「あの猿飛っておっさん、この道のどっかに潜んでいるのかしら?」
 光を周りの木々に当てながら、悠が独り言のように言う。
「‥‥突然、私達の事襲ったりして」
「あんたは襲われないから心配しなくていいわよ」
「‥‥胸フェチだったら、私を襲うわ」
「きさまぁ! ここで今襲ってやろうか! ただし、残るのは死体だけだけど」
 きっとその光景を他の人が見たら、きっと胆を試されるだろう。そこには、幽霊のような髪の長い女と、狼男のように歯を剥き出しにしている女が取っ組み合いをしているのだから。


「お兄ちゃん〜。恐い〜」
「あんまし引っ付くな、お前は。熱い」
「あっ! ひっどいなぁ。それが愛しの妹に言う言葉?」
「‥‥」
 龍は自分の腕にぴったりとくっついている奈々子を見て、仕方ない、と言わんばかりのため息を吐いた。お揃いの紺色のTシャツに、これまたお揃いのクリームのズボンが並んで歩いている。勿論、奈々子が勝手にお揃いを買っただけだ。
 龍は元々、こういったものに恐怖を感じないタイプの男だった。そして、奈々子は兄と一緒にいられる事が何よりも嬉しかったので、恐いなどという感情は完全に忘れていた。逆にこの雰囲気がいい、とすら思っていた。
 龍は奈々子の歩幅に合わせて、若干速度を落として歩いている。奈々子はその配慮にまったく気づいていない様子だ。
「奈々子」
 前を見ながら、不意に龍が奈々子の名を呼ぶ。
「んっ? 何?」
 少し雰囲気が違う事にも気づいていない奈々子は、無邪気にポニーテールを揺らして龍の顔を見上げた。
「何で俺にばっかりついてくるんだ? クラスに格好良い男の一人や二人いるだろう?」
 少し残酷な事を聞いてしまったかな、と言い終えた後、龍は後悔した。その時、初めて奈々子は兄の雰囲気が違う事に気づき、今まで見せていた迷いの無い笑顔を、ほんの少しだけ曇らせた。そして、より強く龍の腕にしがみついた。
「‥‥お兄ちゃんが、私の事一番よく見てくれるから」
「‥‥」
 いつもと違う静かな言い方に、龍は思わず言葉を失ってしまう。普段なら宙に浮かんでいるようなポニーテールが、今は湯上がりのせいなのか、少し萎えていた。
 周りの暗闇が深く静寂を誇張させる。しばらく黙っていた龍は、喉の奥からフフッと笑って、奈々子の頭をゆっくりと撫でた。奈々子は気持ち良さそうにその愛撫に身を任せていた。


「サクラコちゃん」
「‥‥何ですか? シルビアさん」
 シルビアの腰にしっかりと両腕を巻き付けた桜子が、シルビアの顔を見上げる。シルビアはアメリカ人らしい、朗らかな笑顔で桜子を見た。桜子は太股まで辿り着くような大きな白いTシャツと膝まであるズボンを履き、シルビアはヘソが見えんばかりに小さい袖無しシャツと、太股があらわにされた超短めのジーパンを履いている。
「そんなに恐いの?」
 そう聞かれ、桜子はブルリと身を震わせて、より強くシルビアに抱きつく。
「恐いって言わないでください。‥‥意識しちゃうじゃないですか」
「‥‥んふふふ」
 か弱い体で小動物のように震わせながらそう言う桜子を、突然シルビアは抱き締めた。桜子の顔がシルビアの胸にのめり込んだ。
「! んぐぐぐぐ」
「震えてるサクラコちゃん、とっても可愛いね! グニグニしたくなるね」
 胸に圧迫されて、桜子の顔が赤くなっていく。どうやら、息も出来ないらしい。桜子は猫耳をピンとのばして夢中で暴れるが、シルビアの抱擁は離れなかった。人間に抱きつかれて藻掻く小さな白い幽霊。そんな言い方が適当な光景だった。


「福之助‥‥。そこにいるでしょうね?」
「‥‥」
「福之助?」
 真っ赤なシャツとスカートに身を包んだ綾音は不安げな面持ちで後ろを振り向く。そこには薄めの茶色いトレーナーと黒のズボンを履いた福之助がちゃんといた。二人の手はがっしりと握られている。綾音が一方的に握っているようにも見える。振り向いた綾音に、福之助はいつもの福顔で笑って見せた。
「‥‥恐かった? 綾音」
「‥‥」
 その瞬間、綾音のパンチが福之助の頬にテキサスヒットした。福之助は見事に吹っ飛ぶが、手が握られていた為、遠くにまでは飛ばなかった。
「あんた‥‥。いつからそんなタチの悪いジョーク出来るようになったの?」
「ひははは(今から)」
「今度やったら殺すわよ」
「ほふほひひへふほほははふふは(僕の言ってる事分かるんだ)」
 歪んで元に戻らない口で、福之助は何とか言葉を紡ぐ。フンッと荒い息を吐きながら、
綾音はドスドスと音がする程の勢いで夜道を歩いていく。それでも、握った手は離さなかった。綾音に引きずられるような形で、福之助は綾音についていく。
(これって‥‥いい仲って言うのかな?)
 ジンジンと痛む頬をさすりながら、ふと福之助は思った。


「竹友殿は、こういうのは大丈夫なんですか?」
「ええっ、自分は夜一人でいる事に慣れてますから。乙姫さんは?」
「‥‥ちょっと恐いです」
「‥‥」
 恥ずかしそうに竹友の手を握る乙姫を見て、竹友はそんな彼女に何と声をかければいいのか分からず、慌てながらもその手を離さなかった。竹友は迷彩服を着ていて、びっくりするくらい周りの光景と溶け込んでいる。薄青色のワンピースを着た乙姫が手を離さないのも無理はなかった。
 一番最後に出発した乙姫と竹友は、寄り添い合いながら暗い夜道を歩いていた。竹友は普通に歩いているが、乙姫の方はぎっくり腰になったかのように腰を曲げて歩いている。
「剣道をやっていたんですよね?」
 竹友は光の先に朽ちた教会があるのを見ながら、横の乙姫に訊ねる。乙姫はまだ、教会の存在に気づいていないようだ。
「はい。家が代々剣道場なんです。お父さまもお爺さまも師範代で、私もその後を継ごうと思っているんです」
「‥‥剣道をやっている人は、夜など恐くないと思っていたんですが」
「夜はいつもお父さまやお爺さまと一緒でしたから。こうして、夜を歩く事はあんまり無くて‥‥。ひっ!」
 教会を見た乙姫は途切れるような金切り声を上げて、竹友にしがみつく。竹友は止まって、自分の腕にひっつく乙姫を見つめる。うなじや髪の毛から立ちこめる清々しいシャンプーの香りが、竹友の鼻孔を刺激する。
「だっ‥‥大丈夫ですよ。何にも出てきませんから」
「そっ、そうですよね。‥‥ははっ」
 無理に笑う乙姫。それとは裏腹に、竹友にしがみつく腕はさっきよりもきつく巻き付いていた。竹友はドキマギしながらも、自分の腕を掴む乙姫をしっかり支えるようにして歩いた。


 教会には誰もいない。老朽化した床を歩くと、ギシギシという鈍い音が響く。他に音は無く、その音だけが不気味に教会内にこだまする。竹友はなかなか歩かない乙姫の腰に手を当て、ゆっくりと押しながら歩く。乙姫は恥ずかしそうに俯きながらも、キョロキョロと辺りを見回している。緊張と恐怖がごちゃ混ぜになっているようだ。
 入り口からマリア像までは歩いて十秒もしない内に辿り着ける。しかし、乙姫の歩くスピードが遅く、二人がマリア像に辿り着いたのは入り口に入ってから一分も経った頃だった。
「このマリア像‥‥。涙を流しているように見えるのですが‥‥」
 無表情に自分を見つめるマリア像を見返しながら、乙姫は竹友の腰をつつく。
「きっと雨風に曝されて、あういう模様が出来たんでしょう。心配無いですって。マリア様が自分達を襲うはずないですし」
 竹友はマリア像の足元に置かれた一枚のカードをめくりながら、サラッと言う。
「‥‥何だ、これ」
「何と書いてあるのですか?」
 二人は頬をくっつけてカードを覗き込む。そこには未森先生の書いた例の文章が書かれてあった。二人は目を点にしてしまう。
「‥‥気が合うのは、気のせいなんでしょうか?」
「あの先生、時々意味の分からない事言いますから。だから、気にしない方がいいのではないんですか?」
 えらく気を落とした口調の竹友に、乙姫は一瞬場を忘れて竹友に優しい声をかける。その言葉に、竹友は苦々しく笑う。
「乙姫さんは気にしないつもりですか?」
「えっ? 私‥‥ですか?」
 突然ふられて、乙姫は言葉を濁してしまい、首まで真っ赤にして、竹友を見返す。竹友も耳の先まで真っ赤にしながらも、乙姫の言葉を待っている。恐い静寂ではなく、気まずい静寂が流れる。乙姫は胸がポウッと熱くなるのを感じた。
「気に‥‥しないつもりですよ」
「そうですか‥‥」
 やっとの事で言葉を紡いだ乙姫に、竹友は安堵の笑顔を見せる。いつもの角張った感じの無い、穏やかな笑顔だった。その笑顔のまま、竹友は言う。
「さあ、帰りましょうか。皆も待っているでしょうから」
 カードをポケットにしまった竹友は、再び乙姫の手を握り締め、教会を出て、カードの表に記載された道を帰っていった。


 帰りの道は行きよりも暗く、道という道も無い獣道だった。二人は行きよりも密着した状態でその道無き道を歩いていく。ふくらはぎ辺りまで生い茂った草を掻き分ける度、カサカサという音が響いた。行きと違い帰りは、あまり会話が弾まなかった。
「竹友殿。露天風呂の時に聞いていたのですが、バスの中での記憶が無いんですか?」
 喋ろうとしない竹友に、乙姫は少し不安げな様子で訊ねる。
「ええっ、酔ってて覚えてないんです」
「そうなんですか‥‥」
 どこか落胆した面持ちで、乙姫は肩を落とす。
「今回の踊りは透先輩と静香先輩が主役ですよね」
「そうみたいですね」
「‥‥羨ましいですよね、あういう役って」
 少し遠く見るような感じで、乙姫は語る。竹友は乙姫と視線を合わせず、ただ彼女の手を握ったまま歩いているだけだ。
「私も、本当はやってみたかったです」
「立候補すれば良かったじゃないですか」
 そう聞かれ、乙姫は柔らかい紺色の髪の毛を振る。
「ダメですよ。私はあんまり主役って感じじゃないですから」
「‥‥そんな事無いですよ。少なくとも自分は、似合っていると思います」
「えっ? そっ、そうですか」
 予想に反した言葉に、乙姫は思わず竹友の顔を見上げてしまう。竹友はその表情を見られたくないのか、無理に顔を反らしていた。


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