ウィングス発表日・・・・。
体育館には大勢の生徒達が詰めかけていた。イスも何も用意されていない。生徒達は好きな所に腰を落ち着かせ、談義に華を咲かせながら発表の時を待っている。隅の方には先生達の姿も見受けられる。この時だけは、先生達も教える立場ではなく、一人の客になって、生徒達と何の曲で踊るのか、そんな事を話している。
時間は午後十二時四十五分。ウィングスの発表は一時からだ。後、十五分で踊りが始まる。一年生達はレパートリーが一曲しかない為、踊り自体は五分かそこらしかない。しかし、それでもそれを見たいという人の数は多かった。
壇上の裏で、未森先生と十二人のウィングスメンバーがいた。男は黒のズボンに黒のトレーナー、女は白いズボンに白いトレーナーという格好だ。皆、あまり言葉を交わさない。一年もだったが、二年も言葉少なだった。未森先生は少し緊張気味の二年生と、ガチガチに固まった一年生の肩をそれぞれゆっくりと叩く。
「みんな、緊張しなくてもいいのよ〜。踊りは私達が楽しくやってこそ、見ている人達も楽しくなれるのよ〜。失敗なんて気にしなくていいわ〜。人間なんだから完璧にやれなんて誰も言わないし〜。少し失敗するくらいが楽しくなれていいのよ〜」
いつもと何ら変わり無い口調の言葉に、十二人は少し肩のしこりが取れていくような気がした。所々でため息のような声が聞こえ、未森先生は更に声を柔和にする。
「それにたくさん練習したじゃない〜。その通りにやればいいの〜。たくさんの人が見てるからって緊張する必要なんて無いのよ〜。逆に一緒に踊ろうって言うくらいに笑えば、練習の時なんかよりずっとずっと気持ち良くなれるわ〜」
そこまで言うと、十二人の中から微かな笑いまで聞こえ始めるようになった。静香率いる二年生達は一年生達の肩や背中をポンポンと叩く。それに後押しされるように、一年生達は互いの顔を見て笑い合い、足でリズムを刻み始める。未森先生の言葉で、メンバー達の緊張はほぼ無くなったようだった。
未森先生は腕時計を見る。時間は午後十二時五十八分。客席と壇上を隔てる厚めのカーテンの向こうからは、いつまでも人の声が止まない。その中でメンバー達の個人名を呼ぶ声まで聞こえていた。しかし、それを聞いてもメンバー達の笑いは無くならない。
「早く踊りたくなってきました。ねぇ、竹友殿」
「ええっ、待ってる人がいますから余計」
乙姫は竹友と肩を並べて、今か今かと時が来るのを待っている。
「ねえねえ、奈々子ちゃん。私、猫耳出ないかなぁ?」
「いいじゃない、出ても。桜子ちゃん、その方が可愛いし。ねえ、お兄ちゃん」
「ああっ、可愛いところ見せてやれ」
「‥‥はい!」
龍の力強い頷きに、桜子は元気に返事をする。それを見つめる奈々子も微笑ましげな笑みを浮かべている。
「福之助、ちゃんと私をフォローしなさいよ」
「‥‥こっちの台詞ですよ、それ」
「シルビアが二人共フォローするね! 心配無いね!」
まだ少し眉がヒクヒクと動いている綾音と、何度も深呼吸繰り返す福之助の頭を、シルビアが叩く。少し強いわ、と綾音は言おうとしたが、今はそれくらいがちょうどよかったので、ふふふっ、と苦々しく笑った。
「二年生の私達を見てもらいましょう。一年の時とは違うんだって」
「分かってるさ。華々しく踊ってやるさ」
「華々しく散るんじゃないわよ」
「‥‥悠、縁起悪いよ、それ」
そう言い合いながらも、四人は互いの拳を突き出し叩き合う。気合いは十分のようだ。
腕時計から目を外した未森先生が、やはりいつもとまったく変わらない笑顔で言う。
「さあ、行ってらっしゃい〜。最後に一言だけ〜。失敗してもいいから楽しく踊ってくるのよ〜」
その言葉と同時に、カーテンがゆっくりと開き始めた。客の騒めきが止んで歓声に変わる。そして、十二人のメンバーは走ってスポットライトの下に身を躍らせた。
レッツダンス!
体育館全体が暗くなり、壇上にだけ光が満ちている。壇上は何の装飾もされていない。ただ、虹色に輝く白い輝きだけが、メンバー達を照らしている。
その中で無言で佇む十二人。皆、練習通りの定位置についている。歓声も消え、僅かな間だけ全く音が無くなる。そして、壇上の両端に設置された巨大なスピーカーから音楽が流れ始める。軽快なギター、シンバルの音から始めるドラムが体育館内を覆っていく。その途端に、再び歓声がさっよりも大きく弾ける。そして、ベースが加わると同時に、十二人は右手を上に上げた。
“ちっぽけなこの世界の中で たった一人の僕と私”
歌が始まる。十二人は笑顔のまま、上げた手を前に突き出し足でリズムを刻み始める。同時に観客席からも手拍子が鳴り始める。
“大きな愛はいつか届く 手をのばせば ほらすぐそこに君がいる”
ギターとドラムが響き、歌がそれに乗り流れる。それに同調するように、十二人は両手を上に上げて、右足を前に出し、ジャンプし、回転し、しゃがみこむ。
“優しい言葉も 抱擁もいらない だって僕らは今生きている事が分かるから”
サビの一歩手前で、音楽はより激しさを増して館内を覆い尽くす。客席からは音楽と一緒に歌いだす者も現われる。奈々子と桜子、乙姫と竹友が真ん中の集団とは違う動きを始める。両手を端にのばし、花開いたヒマワリのように大きく体をのばす。真ん中の二年生達は身を屈めてつぼみの花の形になり、後ろのシルビア、綾音、竹友も両端と同じように両手を上げる。
一瞬、全ての音楽が消え、そして次の瞬間にスポットライトが最高の光を放つ。
“大きな愛の歌を歌おうよ 大きな愛の歌を歌おうよ さあ君も声を出して”
後ろ三人が体を目一杯広げてジャンプし、両端の四人が両手を広げたままクルリと一回転する。真ん中の五人が顔を上げて、立ち上がる。それは未森先生の言った通り、巨大な打ち上げ花火が暗い夜空で舞い上がるかのような光景だった。
観客席からの歌声も一段と大きくなり、手拍子も激しくなる。十二人は最高の笑顔で一歩前に出て、ダンスを続ける。皆、十二人だけでなく観客までもが笑顔になり、歌いだす。
“君の流した涙など 僕が全部拭ってあげよう だから笑って 笑って”
光が舞い、音が響き、その中で足を弾ませ、両手を天高く上げ、笑顔で歌を歌い踊る十二人。この時、誰も緊張などしていなかった。体を動かし、笑って歌い、それを見る多くの人々も同じように歌いながら手拍子をする、この光景の中に溶けていた。
“僕は君を知っている 君も僕を知っている 僕はそれだけで嬉しくなるよ”
歌は合唱になる。ハーモニーになった歌は十二人の踊りを更に綺麗に彩っていく。足を上げ、両手を精一杯広げ、練習した通り、いや、それ以上の動きが音楽と重なり、虹色の光の中で舞い踊る。
それを壇上の影で見ている未森先生。未森先生は瞳の中で何の迷いも無く踊る十二人を満面の笑顔で見ていた。
“悲しみ 絶望 苦しみ そんな言葉はいらないよ 必要のない言葉じゃないか”
音楽は佳境に入る。しかし、歌詞通りの力強い音楽は終わらない。歌はより大きく思いを伝える。それに呼応するように十二人の踊りも激しさを増していく。両手は見えない羽を掴むかのように観客席に突き出される。観客達も十二人と同じように手を前に出す。十二人の手がグッと握られると、観客の手も握られる。その度、十二人は笑い、足を浮かせ軽快なダンスをする。
“大きな愛を歌おうよ もう一度 いや 何でも歌おう 僕らが笑っている限り”
場内は熱いくらいに沸き立ち、先生達も手を叩いて足でビートを刻む。生徒達も立ち上がり、十二人と同じ動きをしようとする。十二人はその場で回転し、両手と顔を上に向けて光を浴びる。光は壇上だけでなく、場内にまで広がっていく。光に照らされた観客の顔は絵に書かれたように皆笑っていた。光はまるで、笑顔の魔法をかける輝きのようだ。
“みんなも歌おう 心地好い歌を 響け 愛の歌”
歌が終わると、十二人はピタリと止まって、最後のポーズを取る。両端の四人、後ろの三人は翼のように両手を高く上げたままで、真ん中の五人は五人でくっつくような形になる。いつまでも鳴り響く最後のギターが消える。
その瞬間、観客席から惜しみない拍手が送られる。それは十二人に向けてだけでなく、観客個々にも向けられているかのように、長く長く響いた。十二人は清々しい笑顔で互いを見合い、腹の底から笑った。体育館のライトが灯る。客は皆拍手をしていた。
壇上の端から未森先生がスッと音も無く現われ、壇上の真ん中に立つ。そして、ゆっくりと観客に向かって深いお辞儀をする。それを見て、十二人も同じように頭を下げた。すると、拍手はより一層大きく鳴った。
未森先生はポケットからマイクを取り出して、スイッチを入れる。キーン、という音がこだまする。
「えーと、今日はウィングスの踊りを見に来てくれてありがとうございます。先生達も、どうも。今度の予定は夏休み明けくらいを考えています。勿論、文化祭の時も発表しますので、その時もまた見に来てください」
そう普段とは違う口調で言いながら、また未森先生は頭を下げる。後ろのメンバー達も同じように、また頭を下げた。観客達からは拍手だけでなく、暖かい声援も湧きだした。
そうして、ゆっくりとカーテンが閉まった。
「めっっちゃくちゃ良かったです! 何だか、こんなにいい気分になったの初めてって感じです!」
桜子はまだ冷めやらぬ気分のようで、スキップをしながら校門をくぐる。桜子の歩く前で、龍と奈々子、そして更にその前を残りのメンバー達が歩いている。太陽は既に暮れかけて、空の端は紺色になっている。周りには誰もいなかった。
「いい気分だろう? これがウィングスのいいところなんだ。こんなにいい気分になれる部はそうは無いよ」
龍もまだ興奮がおさまっていないようで、歩く速さもどことなく足早だ。龍の腕にしがみついている奈々子も上機嫌に使われた曲を口笛で吹いている。
「今まで、大人しい事が女性の理想だと思ってたけれど、でも、こうしてみんなで一緒になって踊るのも楽しいですね」
「ええっ、戦争じゃこんな楽しみ無かったですからね」
乙姫と竹友も衰えない心臓の鼓動を手で押さえながら、浮き足立っている。
「やっぱり最高の気分ね! このフィーリングは踊らないと分からないね!」
「うん。ご飯も美味しくなるし」
「私の社交界デビューも近いわ」
肩をくっつけて歩くシルビア、福之助、綾音も高揚した笑顔が消えない。
そんなメンバー達の先頭を歩いている四人の二年生の顔は、他の誰よりも喜びに満ちていた。
「こんなにいい踊りになるなんて思ってなかったわ! 本当に良かったわ」
声を荒げて、静香が誰かれ構わず肩を叩く。
「ああっ、このメンバーならこれから一年間、上手くやっていけるだろう」
透は両隣の悠と涼の肩に腕をかける。
「そうねぇ。いいダンスが出来そうね」
「‥‥なかなか、いいメンバーよね」
悠と涼も気持ちいい気分で歩いている。
校門を過ぎると、個々で帰る道か違う為にバラバラになっていく。そんな時、静香が立ち止まり、散々になっていくメンバーに声をかける。
「今日はみんなごくろうさま。とっても良かったわよ。これからしばらくは部活はお休みです。未森先生から呼び出しがかかったら、連絡します。それじゃあ、解散!」
そう言うと、皆満足げな顔で返事をした。その返事は誰も意識してなかったのに、ぴったりと一致していた。
朱色に染まった空は段々と、その影を深く落としていった。